曖昧を正す反動は


きっかけは些細なことだった。
よくある心理テスト、最初に思い浮かんだのは誰ですか?なんてありきたりな質問の答えはずばり、好きな人。
秋姉ならそりゃあ大好きだし、サスケだって言うまでもない。家族が浮かべば笑い話で終わるその単元に、食い込んできたのはダークホース。
どうだった、と聞かれて咄嗟に「か、かあさん!」と口走ったことにより起こった爆笑を気にする余裕は天馬にはなかった。
今しがた「兄さん」と答えて自分より先に笑いをとったその人が真っ先に出てきたのだから。


「えー……俺、そうだったんだ…」

昼休み、屋上、給水塔の脇。さすがに登るのは禁止されているそこの影になる場所で頭を抱えておよそ五分。
悩んでもお腹はすくもので、秋姉手製のお弁当は美味しく頂いた。きちんと包みを直したところで思考の迷路に戻る。
朝錬の終わった着替え中、他愛ない雑談からそれは始まった。昨日のテレビで見たとかで話す信助に頷いて素直に考えた。
結果が剣城、これが信助だったなら、そうだよ好きだよと口に出来た。だけど剣城は思った瞬間、危険信号。
これは外に出してはいけないものだと体中が止めにかかった。その挙句が母親誤魔化しである。

「別にいえばよかったのに」

呟いても、心に染みた自覚は消えない。まだ理解と納得が追いついてないけれど、確かに剣城は自分の中で特別だ。
それが別方向の展開だったなんて事実はいきなり受け止めきれずぐるぐるしたまま午前を過ごした。
違うクラスをありがたく思ったのは初めての気がする。昼食はだいたいサッカー部一年生で集まって食べるが、約束してるわけじゃなかった。気分でバラけることもあるし、一人の時だってある。だからこの時間が怪しまれたりもしない代わり、ずっと逃げ回るのも不自然だ。
でもだってしかしどうしても、そうだと分かると何故か急に焦る。

認識して、数日。
いいことがあった。まず、剣城といると以前の倍ぐらい嬉しい。
朝一番に挨拶するだとか、授業の合間に声を掛けたりだとか、部活の時間は当然楽しい。
大好きな相手と大好きなサッカーができるなんてとてつもない幸せだと思う。
反面、いきなり呼ばれるとびっくりする。否、普段はそうでもない、そうでもないのだが、時たま自分を呼ぶその声がひどく優しげだったりするものだからなんだかドキドキしてしまうのだ。仕方ないな、が含まれた笑い方だったり、呆れながらも相手をしてくれたり、そんな中でもたらされる剣城の穏やかさがとてつもなく胸にきた。つまり恥ずかしい。
自意識過剰とされようがどうしようもない、好きだと気付いた相手が自分に対してそんな態度を取れば動揺してしまう。
今更知った、剣城は天馬にびっくりするほど甘かった。
どうして今まで、当たり前に享受できていたのだろう。
情けないやら申し訳ないやら、そもそもそこまでしてもらえる自分でもないのに。こんな、想いを自覚しなければそんなことも思い至らないような物分りの悪さで受ける資格もない。注がれるぶん、罪悪感が生まれるようになってしまった。

追い詰められて一週間、なんとか終わる平日に胸を撫で下ろす。
顔を合わせず整理する時間がどうしても欲しい。
喜びだけじゃ済まされない感情はそろそろしっかり向き合わねばならないようだ。
逃げるように一人そそくさと帰り支度を済ませて校門を通り抜ける。

普通に話して普通にサッカーして、ただそれだけで天馬は嬉しい。
何もそれ以上を望んだりはしてなかったはずだ。
しかし、気付いてしまった恋慕の情というやつはどうやら欲張りを推奨してくる。

――剣城の一番は優一さんだけど、もし他の一番が出来たら。

ぼかしたところで自分の思考なら意味もないが、明確な表現は無理だった。
天馬にとって家族の一番があるように剣城にもそれはあって、天馬が他の特別を見つけたのなら剣城もいつかは。

「それは、やだ」

思わず零れた音に口を押さえる。足も止まった。
自分の本音に愕然とする。

「何が嫌なんだ」

突然、後ろから掛かる声。聞き違えるはずのないそれに驚いて振り向く。

「っ、剣城?!」
「ふらふらふらふら、どこ行くかと思えばこんなとこ入り込みやがって」

つかつか歩み寄る相手と周りの景色を見比べて違和感。

「あ、あれ、ここどこ!」
「商店街の裏路地だ馬鹿。自分が歩く方向くらい見てろ」

中途半端に高い建物と細い道、夕方が過ぎれば真っ暗になりかねない場所だ。
呼び止められて助かった、地元とはいえ稲妻超は広い。まさかの町内迷子は名誉に関わる。
だが、学校からこの地点までだいぶあった。おそるおそる相手を窺う。

「つるぎ、いつから……」
「言っておくが元々は病院に行くつもりだったからな、お前が危なっかしいのが見えて…」

言葉を切った剣城はバツが悪そうに眉を寄せる。
路地に入りかけたところで止めればいいのに天馬が立ち止まるまで待ったのは性分のせい。
弁えることを基本としてしまっている彼だから、きっかけがなければ動けないのかもしれない。

「いつまでぼんやりしてる気だ、送ってやるから帰って寝ろ」

気まずさを打ち消すよう口早に紡ぐのはやっぱり気遣いで、胸に染みる。
肘に近い部分を掴まれて、一歩踏み出すと同時、ひびの入る音が頭に響く。

「どうせ夜更かしでも、」
「ごめん」

地面へ付いた足を踏ん張って、その場で留まった。
逆らう力があると思わなかったのか剣城が幾らかよろける。

「天馬?」
「ごめん、ごめん剣城」

こんなに心配してもらって、優しくしてもらって、それが嬉しいのに苦しいなんてどれだけ失礼な話だろう。
不器用だけどまっすぐな温かさが好きで、甘えて甘えて甘えて、ポジションに浸かりきったずるい自分。今だって掴む腕を振り払うこともできず、謝るだけ。
俯いたまま動かない天馬をしばらく見下ろしたのち、剣城が意を決した様子で口にする。

「お前は元々おかしいが、最近更におかしいぞ?」

なにがあった、と覗き込む相手から今度こそ距離を取った。

「剣城は駄目!」

腕は掴まれているから引っ張る形に。それでも思い切り後ろに下がった自分を見て剣城がぽかんとしている。

「じゃなくて、剣城だからダメだ!」

誤解されると重ねたセリフが全くフォローにならない。

「……とりあえず二重に否定されたのはわかった」

間の抜けた表情からいつもの顔へ。一度ゆっくり瞬いた相手は静かに言う。
この受け取り方は非常にまずい。ちがうちがうと必死に首を振り、掴まれた腕を見て、もう一度向き直る。
唇を開けては閉じ、三回目でようやく言った。

「つ、つるぎは、俺に、優しいから…」
「はぁ?」

語尾の上がる意味合いは、なに言ってるんだコイツ風味。
もはやヤケクソで、ぶっちゃけた。

「もっと好きになっちゃうだろ」

視線を逸らし、拗ねた子供みたいな途方にくれた音。
気持ちの吐露に目の前の剣城は一時停止した。
刹那、空いてる片手が額をべちんと叩く。

「いたっ!」

どちらかといえば衝撃に声を上げれば、不機嫌そうな相手の顔。

「俺はその前提を知らないぞ」
「言ってないから」

反射で答えたら増える眉間の皺。睨んでいる、思いっきり、睨まれている。

「だ、だってつるぎ、困ってる……」
「一連の流れで困らない方が無理だろ」

完全にお説教モードだった。未だ離して貰えない腕はいつの間にか手首をがっちり。
引き寄せない代わり、相手が一歩距離を詰めた。
すっと見据える瞳が細まる。

「お前が勝手に俺の気持ちを決めるのか」

弾ける勢いで口にした。

「じゃあつるぎはどう思ってるんだよ!」
「好きで悪いか!!」

お門違いな怒りにぶつけたつもりが相手の叫びも大きかった。
打ったら響いた鐘の音の如く広がるのは、認識と理解と動揺と。

「えっ、え、え?えぇぇぇええ?!」
「天馬、うるさいぞ」
「え、だって、つるぎ、ええーーーーっ!」
「だからうるさい!!」

ぴしゃりと一喝、された天馬は止まったが、それは怒られたからというより何より。

「つるぎ、顔赤い…」
「………っ」

今度こそ解放された腕、そして力任せに抱き込まれる感触。

「しばらく黙ってろ」

伝わる体温、ぶっきらぼうな剣城の宣言。
鼓動の音が煩かったけど、言ったら怒られそうなので口を閉じた。


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