、声を出さないで


「今のなし」

とっさに相手の口元を押さえた。呼吸の息が当たって動じる部分もあるが塞ぐことには代えられない。

「いや、なくはないけどなしで」

早口でまくし立てながら合わさぬようにした目線をちらりとやれば予想通りの鋭い眼差し。迷わず手首を掴みにかかる力は強い。押さえつける手の勢いを思い返し、はっと掌を離す。

「悪い……」

たぶん少し痛かった……ことは加減したのでギリギリないかもしれないが苦しかった恐れはある。
解放と同時に動きそうになった唇を見咎めて制止のジェスチャーを向ける。
部室の隅、壁際。ホワイトボードの近くに寄ってしまったのは何のきっかけだっただろうか。位置的に自分が逃げづらい所へ立っている。
とりあえず止まってはくれた倉間が焦れる気配を感じ、言い訳のように言葉を紡ぐ。

「分かりきった答え聞いたらさすがにきつい」
「は?」

一文字の返しが胸に刺さる。絞り出す声は若干揺れた。

「勝手だな、わかってる、でもほんとなしで」
「あの、」
「わかってるから」

右往左往する文字列は危うさを増して、倉間の発言をかき消そうと必死だ。もうまともに顔さえ見れず遮った瞬間、壁伝いの衝撃が身体を震わせた。

「一回黙れよ」

左腕の脇に蹴り付けた足はよく上がったもんだと他人事のような思考が回る。耳の中でまだ音が響いてる錯覚を覚えた。

「勝手にテンパるのやめてくれません?マジ鬱陶しい」

怒りに冷えた低い声、沸騰していた頭が急激に冷めていく。胸の内を締めるのは、ただ、後悔。

「……悪かった」
「何に対しての謝罪ですか、それ最初の発言にだけかかってんでしょ」
「ちょっと、本気で、勘弁してくれ」
「嫌だ」

どうにか落とした言葉もあげつらわれて、痛みばかりを積んでいく。むしろ詰んでいる、何もかもが。
さすがに耐えきれず瞼を閉じる。しかしそれすらも許さない声音。

「やっと確定したのに誰が逃がすかよ」

通り過ぎた文章の意味が僅か引っかかる。俯いたまま目を開ける。倉間の手が胸ぐらを掴み上げた。

「こっちは無駄に思わせぶりなアンタに振り回されっぱなしなんですよ!責任とれクソが!」

今度、壁に叩きつけられるのは空いた掌。見開く間に距離が縮まり、ゼロになって体温が触れた。

「認めないなら俺も言わねーからな」

睨む瞳は怒り以外の感情でも揺れ、たまらず自ら唇を寄せると手が邪魔をする。

「言わないと、させない」

こくこくと頭を動かして、促されるまま、再度告げるために空気を吸った。


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