わかったから落ち着け


一人暮らしの先輩の家にお邪魔するのも慣れたもので、いまや食器を戻す位置まで把握しかけている。
どうかと思わないこともないが、なんとなく流れでそうなると感覚も麻痺に近い。
考えてみれば物好きなことだ。いくら懇意といっても中学生から成人まで、付き合いが続くのは珍しい。
浜野と速水も似たような年数だが級友なら話は変わる。学年が違って、学校も変わって、それでも途切れず今日へ。
諍いのような確執のようなものまであって良好関係なのだから、自分は思いのほか気に入られているんだろう。
反芻すると不思議さが増す。
洗い物を拭いて片付ける流れ作業、布巾を片手に皿を渡しながら世間話の気持ちで口にする。

「なんか、当たり前に一緒にいますね」

受け取った南沢がきょとりと瞬き、戸棚を開けて食器を仕舞う。

「日常すぎて意識になかった」

まあ、そんなものか。ひとりごちて次の水気を拭き終わる。

「彼女でも出来たら変わるんじゃないですか」

他意もなく呟いたのは受け渡し直後。
がっしゃん。大仰な音がして思わず振り向く。
幸い、落としたのはプラスチック製のレンジ対応品で蓋が外れたのと相まって煩かっただけだ。
問題は完全に表情の固まった目の前の、人。

「お前そういう相手いんの」

早口と同時に掴まれる手首、少しばかり痛いが何より視線が怖い。

「いや、南沢さんの、話、ですけど……」

唯一ができれば付き合いも変わる、そんな一般論を言ってみた。
自分も相手も友人や仲間を蔑ろにはしないけれど、そういう時間を割くことは自然な話のはず。
だがこの空気でそこまで説明できる余裕があるはずもない。
途切れながらなんとか言った断片を拾い、南沢が眉を顰める。

「できる訳ないだろ」
「そーですか」
「そーだよ」

応酬わずか数秒。
握った布巾に染みた水分がぬるく感じる。唾を飲み込んだ。

「あの、何で不機嫌、」
「はあ?」

聞くしかない状況で、向こうの声のトーンが跳ね上がる。
苛立たしげに視線を一度外された。

「つーかこの流れで気付かないとか」
「や、さすがに」

何も感じてなかったら大物すぎる、むしろ鈍感だ。
今度は被せる側になった自分へ折り返し投げられる鋭い光。

「わかるなら、返事」
「は」
「へんじ」

はっきり三文字、口の動きも正確に。繰り返された意味、理解する間。
掴まれた手首が熱を持つ。

一見、押せ押せに思えた相手が相当テンパった上の自棄だと判明するのはこの五分後のことだった。


戻る