溶かすくらい


意識してしまった後の空気というものはどうも居た堪れない。
普通に話していたはずなのに何かが変わって、視線を合わすのすら困難になる。
固まることを余儀なくされる雰囲気は相手の言葉で停滞を終えた。

「くらま、こっち」

ひどく優しい声音で呼ぶのは助け舟どころか手招く罠。睨むように瞳を眇めれば、少しだけ腕を開いた形で柔らかい微笑み。
奥歯を噛んで、脳内で舌打ち。実際にしなかっただけ自分はよく耐えた。
重くならざるを得ない身体をのろのろ動かして、ぽふん、と胸へ凭れ込む。
すぐさま回る腕の力は優しいばかり。満足げに抱き締めて、頬を頭にすり寄せながら何度も呼んでくる。

「くらま、くらま、くらま」

睦言に相違ないレベルの甘さが耳から侵し、背中を撫でていた手が髪へ触れるのに合わせ、渋々ながら顔を上げた。
合図、だなんて決めてもいないけれど、相手の望みが伝わってしまうのだから無視も出来ない。
寄った唇が頬に当たって、繰り返す仕草はじゃれ合いのそれ。
くすぐったさに目を瞑って数秒、開けた視界には嬉しそうな顔。

「ふ、あかい」
「うっせ」

額がこつんと当たり、吐息の混ざった声が上機嫌。
なんとか口にした反抗も、細められた瞳で霧散する。

「かわいい、すき」
「でれでれすぎんだろ」

前髪が動いて擦れる感触。吐き出す言葉は負け惜しみ。

「問題?」
「ありまくり」
「なんで」

聞いてくるのは揶揄でなく、ただ促すだけの意味を持つ。
そしてそこに微量の、ほんの僅かしかない不安が滲むのも知っている。
悔しさをふんだんに込めて零した。

「もたねぇし…」
「ふふっ」

落ちる笑いは心から。嬉しそうに、本当にあふれ出る気持ちの音。

「そんなに受け止めてくれんの?」
「だって、」

言いかけて止まったのか止められたのか。見つめ合う形で会話が途絶える。
額を重ねたまま、鼻先が触れて吐息がなぞった。

「嬉しいよ、ありがとう」

自分から口をあけたのは、言葉を紡ぐためでなくキスをねだるため。


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