没落 怯える男を前に、水鳥の思考はどんどんと冷えていった。 事務めいた口調でレインウォールの解放を告げれば一瞬は表情を緩めたものの、鋭い視線にまた強張らせる。 ――こんな、男のせいで。 細めた瞳を相手に向けた。 「シュウのことだけどさ」 「はい!あの子が、あの子がどうかしましたでしょうか」 呟いた名への反応は早い。肉親の情はあるらしい、それすらも鼻につく。 ゆっくりと口元に笑みを刻み、柔らかく問いかける。 「アンタたちのことなんか忘れて元気にやってるよ。だから、もういいだろ?」 答えのいらない問いを。 「は、」 右手を振りかざした。橙の光が男を薙ぎ払い、断末魔の叫びもなく地面へ倒れ付す。 「あたしがテメェを許すとでも思ってんのかよ」 低く呟き、振り返りもせず扉へ向かった。 取っ手を掴もうとするその時、ガチャリと音がして外側に開く。 身構えるより先に目に入ったのは、この家の嫡男の姿であった。 「お、放蕩息子のお帰りか?」 自然と笑いが浮かんだのは何故だろうか。 水鳥を見て、怪訝な表情をする白竜。 「……何を、」 「見逃してやる。どーせ継ぐ気のない嫡男に意味なんてないさ」 言葉を遮り言い放つ。反応できない少年の横を通り過ぎざまに言い捨てた。 「この家も終わりだね」 *** 屋敷も随分と静かになった。 使用人全てに暇を出し、後片付けを済ませてしまえばこの場所にも用はない。 あの日、水鳥が去ったのち圧し掛かってきたのは酷く重い現実だった。 「父上……!」 駆け寄り抱き起こすも既に事切れており、自分が遅すぎたことを知る。 悲しくなかった訳ではない、それでも胸を満たすのは空虚ばかりで。 ただ、淡々と、この家は終わるのだと確信した。 どのくらい帰っていなかっただろう、とにかく何もかもが馬鹿馬鹿しく、どうでもよかった。 唯一の楽しみであった日々の研鑚も、剣城と袂をわかってからは習慣でしかない。 シュウをこんな場所に置いていったのは心残りだったが、反乱軍に参加したと聞いて憂いは消える。 いつの時代も流れに乗るものが勝つ。白竜の知る限り、シュウはそれを読み違えるような者ではなかった。 「感傷など、らしくもない」 自嘲を零し、踵を返す。 もう戻ることは二度となく、屋敷も朽ちていくだろう。 他人事のように思いながら玄関へ足を踏み出した。 入口に人の気配。開く扉を動かずに見つめる。 「あ、」 最初、声を発したのは見たことのある顔。まだ平和といえる時期から随分と変わった雰囲気は指揮官のものか。 自分を認めつつ、声を掛けあぐねている様子の王子の隣で呼ぶ声が響く。 「白竜」 「剣城か」 視線を交わし、知らず口角を上げた。 最後にこのくらいの楽しみがあってもいい。 「俺とお前に余計な言葉はいるまい。構えろ」 *** 王子が止める間もなく始まった一騎打ちは、僅差で剣城に軍配が上がる。 白竜は鼻を鳴らして構えを解いた。 「…………ふん、随分マシになったようだな。詐欺行為を始めた時はとんだ腑抜けだと思ったが」 自分も修練を積んだはずだ、しかし剣城に届かない。 それが戦いに参加した者との違いというならば、そうなのだろう。 「どうするんだ」 主語もない問いかけに、事情は筒抜けと知る。 嫌われきったこの家の評判など、外を歩けばいくらでも。 「葬儀は済ませた、もう義理もない」 「白竜、君は」 「貴様らは貴様らで好きにしろ。ご苦労なことだ」 口を挟もうとする王子を牽制する。この期に及んで自分などに声を掛けてどうするというのか。 噂は聞いている、王子は敵軍の降伏も快く受け入れると。お人よしに呆れるばかりだが、それが彼の強さだと世間は言う。 ならばそれでいい、自分には関係のない世界だ。 今度こそ立ち去ろうと扉へ向かう。止める者はいない。 「白竜」 はずだった。 「……シュウ」 幻聴かと思った呼び声は本人に相違なく、遅れて現れた従兄弟は玄関で扉の枠へ手を当てた。 「君は逃げるの?」 「逃げる?何を言って」 「逃げだよそれは。地位を捨て家を捨て、責任を全て投げ出すつもりなんだろう?それが逃げでなくて何かな」 シュウの声はかたい。怒っているのだと頭の隅で思うものの心は凪いだままだ。 「元より俺のものでもない。知っているだろうシュウ、俺は孤児だ。 生まれた本来の跡継ぎはすぐに死んで、慌てて親のいない子供を代理に立てただけだ。父上が死んだのなら血も途絶えた、もう終わっていい」 「違うよ」 「ああ、お前がいたな。お前もこの家系だ、未練があるならお前が継げば」 「違うんだ、白竜」 冷たさばかりに感じた音が、意思を混ぜて会話を止める。 口を噤んだ白竜へ、覚悟を決めたようシュウが語りかけた。 「君が知らなかった話がもうひとつある」 枠に手を当てたまま、もう片方で胸元を掴み目を閉じる。 「そう、僕は君の従兄弟にあたる。便宜上はね」 付け加えた一言と共に開いた瞳の光は暗い。 「僕の両親は、君のお父上を、当主を快く思っていなかったんだ。それこそよくある血縁争いだね。そんな中、跡継ぎが死んだ。これはチャンスだ、自分の子供が跡目を継げる。でもすぐに替え玉が用意された。悔しかったんだろうね、とても。生まれたばかりの自分の子供を見て、恐ろしいことを思いついてしまった」 「まさか…!」 白竜が息を飲む。 「そのまさかさ。赤子は入れ替えられた。そうして、息子は本家へ、孤児は両親の元へ。報いかな、父親は事故で、母親は流行り病ですぐに死んでしまった。僕がこの家に来た理由は変わらないね」 シュウが支えにしていた枠から手を離す。 「育ててくれた乳母がね、とても隠し通せないって。罪悪感の軽減さ」 驚愕に目を見開いた自分とは対照的に、距離を詰め、しっかり立って言葉を紡ぐシュウ。 「君は、この家の正当な後継者だよ。白竜」 ぐらり、視界が揺れる。額を押さえ、一気に与えられた情報を必死に手繰っていく。 「そ、んな…馬鹿な!俺は、俺は……」 信じていた世界の崩壊、諦めて捨てたものの儚さと重さ。すべてが急激に全身を襲う。 たたらを踏んだ白竜へ差し伸べられたのは、温かい手のひら。 支えるようそっと手を取ったシュウは、優しく自分を呼んだ。 「白竜、一人だと思いこむのはもうやめよう」 ぴしり、殻の割れる音がする。 「僕がいるよ。二人で、この家の罪を償おう」 ひびがいくつも入って、広がって。 「だが、お前は……お前にそんな責任は、」 頭を振り、必死に声を出す。温かさが重なった手から染みていく。 シュウが微笑んだ。 「僕たち、たった二人の家族じゃないか」 張り詰めていたものが全て崩れ去る。 彼のくれた一言が、不要ながらくたをまとめて彼方へと。 「シュウ、すまなかった」 やっと、手を握り返せた。 「ううん、ありがとう」 ほころぶシュウの笑顔に、白竜も笑う。 *** 余計な茶々も入れず帰りもしなかった王子と剣城へ白竜が向き直る。 「事情が変わった。俺もお前たちに協力しよう」 若干、展開へついていけていない王子が一拍遅れて、うんと頷く。 剣城はやれやれ、と息を吐いた。 「これは嫡男としての義務だ、戦いを見届けさせてもらうぞ」 ▼白竜が仲間になった! |