藪をつついてまな板の上


酒の力は偉大である。アルコールによって気が大きくなり調子に乗って言わなくてもいいことを口走るほどには。
そこそこ飲んだ帰り道、お互いにほろ酔いで歩くうちに些細な話題が広がりを見せる。あの時はどうしたこうだった、思い出話へシフトしていくと当然サッカーに行き着く。相手がやけに倉間のエピソードばかり拾ってくるので酔っ払いのノリで投げてみた。

「南沢さん、俺のこと好きなんですか」

笑って問うたその瞬間、相手の表情が止まる。

「その発想はなかった」
「なくていいんですよそんな発想」

真剣に呟かれた内容に自分こそ真顔になった。

「ネタにマジ返しとか俺の立場なくなるからやめてください」
「いやでもお前はいいところを突いてきたぞ。なるほどそういう…」
「何がなるほどなんですか!?」

一人納得を始めてしまった南沢は焦りの突っ込みも聞いているのかいないのか顎に手をあて思案数秒。歩きながらの沈黙がじわじわと嫌な予感を募らせる。やがておもむろに視線を寄越した彼は淡々と爆弾を落とす。

「考えてみたら、俺おまえで抜けるかも」
「酔ってますね?!真顔で酔ってますねアンタ!」

荒げた声もどこ吹く風でへらりと笑う。

「酔っててもいーや」
「ちっともよくねえ!」
「帰れないから倉間んち泊めて」
「この流れで誰が泊めるかああああ!」

小首を傾げてねだったイケメンへ衝動のまま繰り出した蹴りは残念ながらヒットしなかった。自分のコンディションが万全じゃなかったからだと思いたい。

結論から言うと泊めた。もともと店を出た時点で終電は間に合うはずもなかったのでそういう話でもあったのだ。
やっぱり酔っていたらしい南沢は簡単に眠りに落ちて、床に雑魚寝でいいんですかと聞く前に移動不可能となる。
仕方がないから転がしたまま薄めの布団を掛け、まだ寒くないから風邪もひかないだろうと希望を持って自分はベッドで寝た。そこで途切れた記憶から続くのが今朝な訳で、ぼんやりした意識のなか寝返りを打ちかけて違和感。
何故、身体が動かせないのか。
感じる体温の理解を拒む頭の往生際の悪さを砕くように囁かれる挨拶。

「おはよ」

――なんで床に転がしてたのに!

心の叫びが伝わったのか読み取ったのか後ろから抱え込む体勢のくせに答えが返る。

「お前寝てるし、可愛いから」
「まだ酔ってんですか」
「昨日の記憶もばっちりあるけど」

意味が通じると思いたくない理由を一刀両断するも、相手はなかなか手ごわかった。

「すごいなお前、よくあれで俺を泊めたな」

ぐ、と一瞬詰まるが解せない。あそこで見捨てて放置でもすれば満足だったとでもいうのか。

「アンタんち中途半端に遠いだろーが」
「おー、愛されてる」
「その冗談続けるなら蹴り飛ばしますよ」

笑いとからかいを含んだような声に苛立ちを向ける。

「じゃあほんとならいい?」

軽く放られた言葉と同時、腕を解かれて視界が揺れた。  
中途半端にめくれ上がった布団が南沢の肩を覆っている。仰向けにされたのだと理解したのは相手が見下ろして覗き込んでくる時だったから遅い。反応より混乱が勝つ倉間を眺める視線はどこか夢見心地で違和感がすごい。

「だってお前といるの一番居心地いいし」

突いた手を動かして頬の辺りのシーツをなぞりながら彼が薄く笑んだ。

「仮に誰かが隣とか考えたら憎悪しかなかったし」
「怖ぇ!」
「そう、割と強いかも独占欲」

反射的に叫んだ自分へ喉で笑って、愉快げに。

「拒否しないんなら囲おうかなー、くらいには」

語尾からは笑みが消え、細まった瞳が獲物を狩る光を帯びた。背筋から震えが駆け抜ける。緊張した倉間を見て、ふ、と息を零す相手はまるで分かっていたていで口にする。

「嫌なら諦める。嫌なら」
「なんすかその断らない前提」

まるで念押しに近い発言にむかつきが勝った。

「お前は俺の言うこと聞くみたいなところあるから」
「最低か」
「必死って言えよ」

噛み合わなくなる問答と矛盾をこの男は気付いているのか。だんだん馬鹿馬鹿しく思えてきた倉間は核心を突く。

「アンタ、自覚したのほんとに昨日ですか」
「さあ?無意識だったかもな」

口の端を上げる鬱陶しい表情を開き直りと取るか否か。  
ついにこれみよがしに大きく息を吐き出した。

「も、めんどくさいからいいです」

ひとつ言ってしまえば堰き止めるものは何もない。

「正直、何がとかぱっと出てこねーけど別に嫌悪感もねえし南沢さんだしどーせ勢いに任せなきゃ追い詰めもできないヘタレみたいだし好きにしたらいいんじゃないですか」

勝手に加害者の振りをされてもちっとも響かないし、恐ろしいのは自分へ向けてくるベクトルが重いというただ一点のみである。それが一番の問題かもしれない予想は頭の隅に追いやった。

ひと息に告げて少しの間、見開いたまま硬直していた南沢が表情筋を回復しきれず呆然と呟く。 

「いや……おまえ…」
「なんすか文句あんですか我が儘な」

言うだけ言ったのはお互い様、これ以上悪くもないようもない状況だと倉間もたかをくくっていた。

「ちが、おま、そこで俺だしって、南沢さんだし、って受け入れたどころか両想いだぞ」
「はあ?!」

突然降ってわいた解釈に本日一番の難色を示す。

「知りませんよ!だいたい南沢さんうぜえって思っても離れる要素とか俺にはな、い……」

勢い任せで並べ立てかけ、それこそが肯定の流れを汲むことに愕然とする。途端に噴き上がる羞恥と焦り。睨みつけるつもりの視線をあちこち逸らし、ぎこちなく呟く。

「あの、顔洗ってきていいですか」
「いいけど」
「えっ」

あっさり下りた承諾に思わず相手を見る。いつもの様子を取り戻した南沢はさくさく答えた。

「なんなら風呂入っても、朝食べてからでもいい」
「ちょ、何か違う。何かおかしい」

前提ありきの口調は気前よく聞こえるがどこか変だ。理解を拒む思考を遮るよう声を立てて笑う彼。

「ははっ、倉間、」

迷いなく触れた手が頬を撫で、顎を指で持ち上げる。 

「まさか逃げられるなんて思ってないよな」

本気の眼差しが心臓ごと縫い止めた。


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