わがまま上等


草稿は問題なく、資料も十分、まとめてしまえば後は打ち込むだけ。
とはいえ、あちこちに書き加えた追加文、メモ帳や付箋を並び替えての清書は存外時間が掛かる。
全体のバランスを見直しながら進めていれば修正箇所もぼろぼろ出てきた。
ようやく残り三分の一へ到達し、余裕を持って提出三日前。
すぐに飲み物を取れるという理由でリビングにてノートパソコンを立ち上げる南沢には何の非もなかった。
ただ、タイミングよく障害が発生したというだけの話である。

始めて一時間強、勢いが乗ってきたところで聞こえる足音。
冷蔵庫の開け閉めからなる生活音に苦言を呈するなら開けた場所で作業はしない。
それすらもBGMに、どこか遠くで聞くような感覚をもちながら指を動かす。
リビングへ歩を進め、ソファへ沈むのは気配だけ。倉間が声を掛けず傍に居座るのもいつものことで、すぐ意識は課題へ戻る。
続いて三十分が経過した頃――ちらちら目に入る画面上の時計でなんとなく把握してしまう――背中へそっと感じる重み。
少しずつかけられる体重と伝わる温度が無関心スイッチをどんどんオフにしていく。
やがて、わざとらしく当てられた後頭部に思わずタイピングを止めた。

「お前、俺が余裕ないときに限って構ってほしそうにすんのやめろ」
「気のせいです」

即答も即答、しれっとさらっとした音声は白々しい。
あからさまに凭れておいて他意がないならなんだというのか。

「こっちがやったら容赦なく跳ねつけるくせに…」
「だから気のせいですって」

理不尽な切捨ては、あっさりさっぱり。
南沢が倉間の取り込み中にちょっかいを出すのはスキンシップの一種であり、分かってて跳ね除ける日常を繰り返しながらどの口が言うのだろうと問いたい。
瞬間的に浮かんだ膨大な反論を推敲できないうちに、身体をずらしてひょいと覗き込んでくる。
肩だけを触れ合わせて右側から、悪戯めいた瞳と上がる口角。

「自意識過剰なんじゃないですか」
「その顔むかつくな可愛いくそ」
「うわー…」

一瞬で鬱陶しげな視線に変える技は見せなくてよかった。
少し距離を取る仕草がリアルで腹が立つ。短時間でも触れたせいで寒く感じる背中が悔しい。
机へ向き直って早口で告げる。

「終わったら覚えてろ」
「はい」

鼻で笑うと思われた捨て台詞はまともに拾われた。
理解が追いつかず、キーの隙間をなぞる。

「覚えときます」

またもたれる感触は甘えるように穏やかで、滑った指が画面へ膨大な空白を生み出した。


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