打てば響くの前提を


向けられる視線の柔らかさが慈しむ方向へシフトしたあたりで我慢できずに言葉を切った。

「なんですか」
「いや、かわいいなーと思って」

ぐ、と堪える一瞬。握り締めた拳を何とか抑えて努めて静かな声音で問う。

「すいません、俺の認識が正しければ今まさに文句言ってる最中なんですけど」
「うん、かわいい」
「話が通じねえ!」

ついに表情を緩めて口走った馬鹿へ振り下ろしたい気持ちを机に叩きつけた。鈍い響きと痛みで冷静さは取り戻せず、ご丁寧に撫でようと手を伸ばす南沢へ舌打ちを進呈する。だがしかし、敵は気にすることなく拳を撫でた。



「南沢さんが俺のこと好きすぎてつらい……」

ファーストフードの一区画、肘を突いて呟いた倉間の表情は重い。そして対する友人の反応は見事なものだった。

「あっはっはっはっは!」
「浜野くん笑いすぎです」
「だってやばい、いまのはやばい、ぶはっ」

容赦なく大爆笑してくれた浜野に怒る気力もない。

「あーもー好きなだけ笑え、ただしその分俺の愚痴が長くなるぞ」
「速水ー、倉間がガチだ」
「倉間くんはだいたい本気ですよ」
「お前ら友達甲斐のない奴だな」

嗜める速水の発言は分かっていたが自分のフォローでもなかった。淡々と見解を述べる姿勢にぼやくと、浜野が正論を返してくる。

「こんな話聞いてるだけ十分優しいと思うなー俺ら」
「俺だって言いたかねーよ!でも本人にキレても無駄なんだよ!全部かわいいで済まされる身になってみろいっそ死にたい!」
「ご愁傷様です」

がん、と机に頭をぶつける。なかなか痛い。昨日ほどではないが。鼻も少し押し潰される感触に逃避して数秒、角度を変えて頬を当てた矢先、落ちてくる感想。

「あれだよねー、南沢さんて倉間が向けてる感情の元を正しく把握してるからキレようが文句言おうがそんなところ
ひっくるめて全部オッケーなんでしょ」
「すごいですね、分析すると果てしなく重い」
「で、分かったような気になってんじゃねーよ的流れになるかと思いきや、きちんと感情の機微には反応してフォロー入れてくる」
「なんだお前南沢さんマスターかキモい」

思わず顔だけ上げて浜野へ言うと、諭す声が掛かった。

「倉間くん、好意を無碍にしちゃだめですよ」
「あれ、キモイ否定してこ?速水そこ否定してこ?」

訂正を求める一人をスルーして、優しげな手のひらが頭に乗る。

「要するに、のれんに腕押しでフラストレーション溜まってるんですね」

一行でまとめられてしまってはぐうの音も出ない。ぽんぽんと労う動きがありがたいやら情けないやら。大人しくなってしまった倉間を二人はそれ以上突付かなかった。
散々だらだら居座った席を立つ間際、浜野が頭の後ろで両腕を組む。

「まーしかし、あの人も卒がないからねー」

なかなか立ち上がれない倉間のトレイを片手に持ち上げてくれたかと思うとハッと真顔になる。

「しかし痒いところに手が届く…孫の手系イケメン!」
「やめろお年寄りに優しそうだ!」
「いいことじゃないですか」

完全に突っ込みを放棄した速水の発言によりその日はお開きとなった。



帰宅したリビングには先客あり。客も何もれっきとした家人であるが、昨日から引きずった手前。どうも分が悪い。

「お、不機嫌」
「わざわざ口にしないでもらえますか」

目が合うが早いか余計な一言。こういうところは昔から本当に変わっていない。からかう隙があれば必ず絡んでくるといっても過言ではなかった。連日喧嘩したくもないので――自分が一方的にキレただけなのはさておき――部屋へ戻るか考えたところ、寄ってきた相手がさりげなく腕を引く。

「え」

一瞬遅れた反応の間に頬へ触れる感触。

「ちょっと」

ちゅ、ちゅ、ちゅ。繰り返される軽い口付けは鼻先目元、再度頬に当たって、唇まで下りてきた。

「脈絡ねえにも程があるだろ!」

反射で顎を押しのけて、睨む。怯みもしない相手はまっすぐ見つめ返す。

「俺に触られんの、いや?」

静かな視線に思わず勢いが殺がれ、口ごもる。

「や、そうじゃなくて」
「したいとかいちいち聞いてもお前怒るし」
「だから!」

表情も変えず馬鹿なことを言い出されてはたまらない。声を荒げて遮ると、倉間を待つように唇を閉じた。

「その、こっちが態度悪いのにアンタがそうやって甘やかすから、いやどーせそこも好きとかほざくんだろうけど 俺はモヤモヤしたまま与えられるばっかでなんなんだっつー話ですよ!」

聞く準備をされた気まずさ及び気恥ずかしさが最高潮だが、ええいままよと感情の通りぶちまけた。変わらぬ顔でぱちぱち瞬いた南沢は次の瞬間、相好を崩し、

「何かくれんの?」

至極上機嫌に微笑んだ。

「応相談」
「ふは」

ふてくされて呟く答えにいよいよ笑って、緩みきった様子で抱き締めてくる。

「お前のそういうとこ好き、かわいい」
「また、」

人差し指が唇へ触れて、文句を封じた。険しさの増す瞳を覗き込み、言い聞かせるよう彼が囁く。

「いいんだよ、俺はお前が居て満たされてるから」


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