憂う甘さは手遅れと知る


ファーストフードのざわついた店内。
いつものノリで会話を重ねることしばし、悪意のない声が空気を裂いた。

「倉間さー、嫌ならやめたら?」
「え」
「浜野くん!」

速水の声で我に返る。思わずぎゅっと掴んでしまったシェイクのカップがヘコんでいた。
止まったのはほんの僅かであるのに、眼球が乾いたような錯覚さえ覚える。

「ほらー、かたまったー」

からからと笑う浜野に悪気はまったくない。おろおろそわそわ、様子を窺う速水の視線が忙しなく動く。
水滴が移った掌を一度握り、開いた唇をすぐ閉じる。

「いや、べつに……」
「ちゅーか、素直になるとこはここじゃなくね?」

まったくの正論で今度こそ言葉を失った。

悩み相談でもなければ愚痴でもなかった、少なくとも倉間の認識としては。
しかし、当たり前に口から出るということは、普段から流れ出ているはずで。
つまり、罵詈雑言に値する数々が降り積もった先の可能性を初めて考えた。
その事実こそが甘やかされている何よりの証拠であり、進行形かもしれないカウントダウンを彷彿とさせる。
一気に静かになった倉間を見て浜野は肩を竦め、言い過ぎたかもだけど、と付け加えた。

帰り慣れて随分経ったアパートへ近づくたび、重苦しい気持ちになる。
どんな顔をして会えばいいのか、むしろ普段どうしていたのか、その日常が問題なのか。
ぐるぐるぐるぐる考え込むうちに無意識で鍵を開け扉を開き、脱ぎかけた靴のかかとを踏んだ。

「おかえり」
「た、だいま……です」

身構える暇もなく遭遇してしまった相手は流しの近く。玄関上がってすぐがリビングでダイニングな間取りをすっかり失念していた。不自然についた語尾に、ふ、と零す笑いが優しい。
止まるわけにもいかないので今度こそ靴を脱ぎ、靴下で床に乗る。
南沢が濡れた手をタオルで拭う、その距離およそ五歩。今の倉間にはとてつもなく遠く思えた。
挨拶もそこそこに部屋に向かったっていい、逃げる手もある。しかし打ちのめされた発言の手前、さらに自分を追い詰める訳にもいかなかった。何よりここでなあなあで済ませれば明日には絶対その気は失せる。己の駄目な開き直りも身に染みている倉間だった。
結局、椅子の背に手を掛けたまま座りもしない中途半端さを発揮して数秒、冷蔵庫へ手を掛けた南沢の瞳が瞬く。

「どうした」

すぐ埋まる距離、見下ろすのではなく横から、首を傾げて覗き込むアングル。

「ん?」

そういう気遣いがたまらなかった。思わずこみ上げてくる諸々が涙になりかけてぐっと唇を噛む。
いきなり泣くとか挙動不審にも程がある。無言で首を振りかけたとき、柔らかく抱き寄せられた。
相手の体温と心音が響く。あたたかく包まれて思わず目を閉じ、頭をぐりぐりとこすりつける。
何も言わず抱き締める南沢の手のひらが髪を撫で、怯えを溶かす。

「平気?」

やがて囁きかける音にゆるゆると首を動かし、相手を見た。
緩く笑いながら落とされるのは額への口付け。絡んだ視線にたまらなくなって背伸びと共に唇を当てた。
ぱちり、驚いたように目を開いた南沢が相好を崩し、両頬を包んで甘く問う。

「もう、平気?」
「た、たぶん…」

頼りない答えにくしゃりと笑った。

「不確定」

心臓が跳ね上がるのを感じる。

「や、あの」
「んー?」
「あ、の、」

微笑んだまま額を重ねる相手はすこぶる上機嫌。
顔を染め、しどろもどろになる倉間を愛でながら待っているといわんばかり。
短く息を吸い、早口で伝えた。

「大丈夫だったら終わりですか」
「…離すなってこと?」

瞳の色が変わり、声の質が段階を踏む。
こくん、と喉を鳴らし、相手の衣服を指でひっかく。
見つめるだけで肯定の意となるのは、いつも汲んでくれるから。

「もっとアンタが欲しいです」

何の抵抗もなく音になった願いはまっすぐ届いた。

「じゃ、俺も貰う」

即座に塞ぐ深い口付けが呼吸を奪い、身体から力が抜けていく。
崩れ落ちぬよう抱きとめる力に支えられ、凭れこんだまま息を整える。
ぼやけた視界で甘やかな微笑がまた広がった。

「心配しなくても、ずっとお前のだよ」


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