要望は正しく理解させて


タイミング、機会、きっかけ。表現を変えたところで実行できない事実は変わらないわけで。
別にそこまで、どうしても、じゃなかった。逆にそれならもっと開き直れる。
ちょっと思ったくらい――例えば触れた体温だとか、ふいの微笑みだとか、そのあたりで感じてしまうものが中途半端に押した程度のスイッチでは足りないのだ。
ながら作業も随分と板について、気付けば洗い物は残りひとつをすすぐだけ。
水切り台へグラスを置き、手を拭きつつ零れる溜め息。

「なにすねてんの」
「うわっ」

いつの間に寄ってきたのか、圧し掛かるように背中から抱き付かれた。
素で驚いた悔しさと後ろめたい気持ちも合わせてぶっきらぼうな声になる。

「すねてませんよ」
「そ?なんか機嫌悪い」

納得しないまま、肩から回る腕を首元で組む相手。完全にホールドの体勢だ。

「それでくっついてくるんすか」
「俺が原因か謎だし」
「は?」

理解しかねる意を込めて返せば、即答は更に謎。
思わず口を大きく開け、凭れてくる人の主張は続く。

「原因なら解決する、違うなら話聞く。どっちにしても放置はねーよ」

迷いのない口調、誠実さを乗せた言葉は過分に過分。
絶句した。この人馬鹿じゃねーの、と何度思ったか考えるのもそろそろアホらしいレベルで重症だった。
復帰するのにおよそ数秒、たっぷりの沈黙ののち、なんとか唇を動かす。

「……甘すぎません?」
「当然」

擦り寄る仕草と、耳元への優しい囁き。

「お前が何よりも優先」

甘く届いたそれは顔の熱を急激に上げてきた。

「ばか」
「うん」

罵倒にもならない音を満足げに受けとめる、その嬉しそうな声はなんなのか。
俯く顔が見たいらしく、横から覗き込もうと動く。当然見せたくはないが、多分耳まで赤い。

「機嫌直った?」
「元々悪くないです」
「ならいい」

短い台詞にこもる安堵。頭をこつん、と当ててくる。髪が触れ合ってさらさらと。
片手をそろりと上げて、肘の辺りの服を掴む。

「ん?」

きゅっ、と握りこむ力が入った。

「悪くないけど、よくしてください」

相手の呼吸が一瞬止まる。おそるおそる振り返り、斜めに見つめ合うと固まった顔から綻ぶ表情。

「よろこんで」

緩みきった微笑が甘えも含んで頬に擦り寄る。
掴んでいない腕は腰へ移動した。艶めいた瞳といざなう視線。

「満足してもらえるよう努めるよ」


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