機能しないんだ、


「それじゃ、お邪魔しました」

玄関先で挨拶、軽く頭を下げるのに笑いかけて相手が背中を向けてからゆっくりとドアを閉める。金属音が軋むよう響き、聞きなれたはずが何故かびくりとしてしまう。それは少しの空虚さがもたらす後遺症めいたものだった。
倉間が帰ると決まってそうなる。成長し自由な時間も増えて気兼ねのない一日だってあるというのに人間なんて結局我侭なもので、傍にいればいるほど倍になって跳ね返るのだからやっていられない。降り積もっていく身勝手な不満を追い払って思考を閉じた。気配の残る一因でもある食器を流し台へ運びながら無意識に溜め息をつく。
何をどう繕ったところで、足りないものは、足りない。

淡白かと問われると首を傾げる。倉間はつれない態度のくせして簡単に自分を追い詰めてくるし、やられたと思えばやりかえしたなんて関係も日常だ。とかく相手は負けず嫌いで、そこがますます好ましいのだから呆れの視線も何度か貰った。むしろ数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいはうろんな表情だったりを見ているだろう。それでいて不安になるのも一瞬のこと。くるくる変わるその反応こそ自分を満たすものであるのも知っている。満たされては飢え、飢えては満たされ、供給を何度もねだっては絡む。存在を望む、大仰な表現さえ陳腐に思える。もはや言葉で括れやしなかった。

巡り巡ってまた別れ際、立ち上がった倉間に続いて玄関へ赴き、何食わぬ顔で靴を履く。
え、と瞬いたのに用意した言葉。

「コンビニ行くから、ついで」
「はあ」

連れ立って歩き出す道すがら、ぽつぽつ語る空気を噛み締めた。一度やってしまえば開き直るしかなく、用事のない延長見送りは定期と化す。多くを話すわけでもない並んだ距離が安心を生む。どうせ訪れる虚しさも幾らか軽減された気がした。
倉間は特に何も追求せず、ただ隣を歩く。受け入れられれば十分だ、と思う。例えば自分が靴を履いた時の僅かに驚いた瞳だとか、ドアノブへ手をかけて振り返る視線だとか、期待しそうなシークエンスを何度も何度も仕舞いこむ。大事に大事に、奥のほうへ。

帰る側にも関わらず、玄関で自分を待つのが当たり前となった倉間。ついゆっくりした動きになるくらい惜しむのは今更だ。開いた隙間から外気へ触れ、白い息を吐く。閉まる音を背に帰路を辿る、倉間が半歩早かった。アパートから路地、差し掛かる手前で足が止まる。突然だったから追い抜いてしまい、慌てて振り向いた。両手をダウンジャケットのポケットに突っ込んで――こけたらどうするんだ、と子供にする注意をしたくなる――見つめてくる倉間の目つきは若干睨んでいるようにも思える。

「どうした?」

問いかけても、沈黙。

「倉間?」

きちんと向き合い、視線を合わせた。
途端、零れ出る言葉。

「一緒に住みますか?」

周りの音が全て消えた。

「寂しいんでしょ、アンタ」

遠慮ない物言い、含まれる意味。
きつい眼差しの中に、見えた感情は錯覚ではない。
冷えた空気、伸ばされる掌。伝わる体温が、静かに届く。

「お前が足りない」

ようやく笑う、口元。

「俺もですよ」


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