手渡しのループ、その心は


南沢さんの家に行くと決まってココアが出される。
そりゃジュースだったり紅茶だったりもするけど秋に差し掛かり気温が下がれば当たり前のようにチョコレートの香り。甘いのは確かに好きだし、コーヒーは進んで飲まないにしたってこうもプッシュされると閉口する。いや、子供扱いとかは思ってない、断じて。

「あー、疲れた、眠い、疲れた」
「はいはいお疲れ」

疲れてんのに何で来るんだ、とは聞かれない、聞かれても困る。最初の頃こそ遠慮したもんだが、受け入れられてしまえばあっさり慣れる。大学生で一人暮らし、自由きままですね、なんて言ったら「お前を連れ込めるしな」と返された。そういう自由じゃない、いやそうでもないのか。
ひとつ上だから、いつも先に。階段をあがる速度は縮められはしない。それでも、ついてくるのを待ってるんだ、この人は。気付くまでだいぶかかったけど。

「ココアでいいよな」
「アンタ俺にそれしか出さないでしょ」

投げやりに答えて机に突っ伏す。リビングに置かれた小さなそれは食卓と兼用である。ごちそうになったし作りにも来た。相手の生活にあれよあれよと溶け込んでしまった自覚がたまに気恥ずかしい。

鼻をくすぐる甘い香り、なんだか今日は少し香ばしいような。眠気にまどろんでぼんやりしてるうち、ことんとマグカップが置かれた。湯気の立つそれを腕に凭れながら見やり、身体を起こす。少し息を吹き掛けて、ひと口。柔らかな甘味が広がってなんだか安心する。ほうっと息を吐き、また口をつける。美味しい、美味しいがしかし。ふた口飲んだところで地味に違和感を覚えて、つーか最初の匂いから感じたのは間違いじゃないと確信する。

「いつもと、味違いません?」
「ああ、溶かすの切れてたから」
「え」

自分のコーヒーを持った南沢さんがさらりと言った。なんのことか判断がつかない。

「買いに行ったらなかったし、牛乳と砂糖あれば作れるから」

状況を整理しよう。
そういえば、コンロをつけた音がした。てっきりお湯を沸かしてるもんだと思ってたがよくよく考えれば電気ポットがあるはずだ。保温型じゃないのを俺は知ってる。溶かすだけにしては長かった。牛乳と砂糖って言った、この人、なんか聞き流せないこと言った。

つまりは、なんだ、わざわざ作らなきゃいけないココアを、いま。

「なんだこの人」
「そういうのは思っても口にするなよ」

もはや完璧に眠気が飛んで不可解な感想しかない。
あー、また始まったよこいつみたいな顔すんなオイ。アンタが意味不明だから俺がこうなるんだろ。

「いやいやいや!だっておかしいでしょ!なんで常備してんすか!なんで切れたからってココアにこだわんだよ!」
「お前が、」

ローテーブルを叩く勢いでマジ突っ込み、真剣と書いてマジと読みたい。すぐに答えた、かに思えた相手は一旦言葉を切り、わずか視線を泳がせる。

「うちに来て飲むの、安心するから」

そこで照れるな、最後まで涼やかを突き通せ。誤魔化すようにコーヒーを飲むスピードが明らかに早い、熱いだろ、絶対熱いだろそれ。
自分のココアへ視線を落とす。ほんわりと立ちのぼる、湯気。顔が熱い。

まだほとんど飲んでもないのに、ひどい火傷をした。


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