投擲の威力は演習なし


この男はもう何度叫び罵れば気が済むのか、一回くらいちゃぶ台返しでもして見せればいいのだろうか――その家具がまずないけれど。
そういう雰囲気、繰り返す微かなスキンシップからの触れ合い。素直に従う程度の差こそありはしても、拒んだことは一度もなかった。肯定を示す仕草にほっとしたように笑うのを何度も見ているのは若干の罪悪感もある、だがしかし。

「何で受け入れて疑われなきゃなんねーんだよ、しね!」

抱き締められた胸元を思い切り突き飛ばす。肘を伸ばした分だけ離れた相手は大人しく衝撃を受け止める。馬鹿なことを言った自覚があるっぽいだけタチが悪い。

 ――――いやじゃ、ない?

囁く声は最低限の音量で、ごくごく僅かな不安を滲ませて問うてきた。
今日はダメとかいまはちょっととか言って欲しいなら言ってやる、だけどそんな訳がないくらいはさすがにわかる。倉間だって本当に無理ならやんわり断りもするし、第一、無駄にこちらを気遣ってばかりの南沢がタイミングを読み違えることもないのだ。自制だけは――本音はそれだけじゃなくても今は腹がたつので一旦投げ捨てて――ピカイチの相手が何を言うのか。俯いて歯を食い縛る。

「アンタが、…から」
「?」 
「アンタがその気になった時点で俺もそうなんだよ察しろ!」

疑問の気配にやはり爆発。顔を上げると共に睨みつけて言葉をぶつければ、きょとんとした顔で一秒固まる。頬の熱さが悔しくて視線を逸らす。一度離れたはずの腕が再び自分を胸にいだく。擦り寄る体温、甘える動き。

「いやです。今日はしねえ、キスもしねえ」
「倉間」

呼び名は頭に口元を埋めたせいでくぐもって耳に届く。ぎゅうぎゅう。完全に駄々っ子のていで響かせてくる。

「倉間、倉間、」
「うっせえ!」
「くらま」

声を張り上げたところ、視線を合わせるよう顔が近づいた。下がる眉尻、懇願に近い瞳の色。

「〜〜〜〜〜〜っ!」

むかつきすぎて鼻へ噛み付く。びっくりして瞑るのに少しの安堵。

「いっつも甘やかすと思うな!」

至近距離の宣言にも屈せず、見つめ直す視線はそのまま。頬を撫でる緩やかな所作、手のひらが顎をなぞる。

「キスしたい」
「聞けよコラ」

自分でも驚くほど低い怒りになった。



ぐだぐだと離れてくれない相手をキスで黙らせて眠りについた翌日。目が覚めるのを待ってましたと言わんばかりの過剰な密着。

「日付変わった」
「朝から盛んな!」

今日は、の部分を持ち出してくるのが鬱陶しい。だいたい煩いから結局長い口付けになったあたり自分も甘すぎる。舌は許してやらなかったが。寝起きも相まって緩んだ顔を手のひらで押しのける。

「あんた俺が断らないと思って、」
「嫌がられたら泣くかも」
「はあ?!」

べちん。勢い余って叩いてしまう。大した力でもないけれど一瞬怯んだその隙に瞳を覗き込む侵略者。

「お前に拒まれたら、本気でへこむ」
「いっそ落ち込め!」

くだらないことで怒らせておいてどういう了見だ。 殴った手で枕をばふばふ鳴らしてしばらく、黙ったかと思った南沢がそっと指を伸ばす。

「ほんとにだめ?」

掴まれる前に手の甲で弾いた。

「ダメだよ!ざけんな!」

ちゅ、と聞こえる柔らかい感触。叫ぶや否や、一気に詰めた距離がキスに繋がった。硬直する倉間へ伺う表情。

「だめ?」
「なんでキスして許されると思ってんだ意味わかんねーっ!!」

今度はガチで振り上げた手が握られて、ほっぺた同士を擦りつけながらまたごねる。

「やだ、お前欲しい、限界」
「こっちのが色んな意味で限界だ殴らせろ!」

顔の皮膚から伝わる温度と鼻に掛かった子供みたいな声。 リミットオーバー極まれり、全力で振り解いて起き上がった。

「ゴミの日なんだよ!大人しく待ってろ!」

布団に馬鹿を残して扉を閉めた瞬間、ゴミ袋片手に座り込む。

「なんであの許可の出し方したんだ俺……」


後悔しかなく戻った部屋で、復活した南沢が上機嫌にまとわりつく。舌打ちも隠さず披露しても笑顔は消えない。朝の気温で冷えた身体を抱き締めて、いとおしむよう耳朶を食んだ。

「ちゃんと、待ってた」


戻る