限りなく満たすもの


――すいません、今日どうしても遅番頼まれて…

最後に受信したメールを見て画面を閉じる。適当に放った携帯が絨毯に落ちる音がしたが壊れなければそれでいい。 気にするな、と返した文章は簡素になり過ぎないように。そんなところばかり気を遣う自分が滑稽だなと思う。
同じ大学にまで進んで強欲なことだと自嘲しながら、やっと制限のない時間が増えたのに、だなんて考える本音は愚かしい。 部活やって家に帰って寝るだけで済む年齢でもないのだ。一人暮らしを始めてから一年、物足りなさがかさんでいく。
今も倉間の来る予定がなくなった事実に動く気さえしない。 クッションを枕にソファで不貞寝未満を続けてかなりの時間が経っていた。 さっき確認した数字に少し驚いたが、いつの間にか寝入ったのなら頷ける。実際、身体はだるさを残し、頭も働きづらい。 この状態こそが寝惚けだとかいうことも、南沢にはどうでもよかった。

来客告げるベルが鳴る。この時間なら荷物でもないだろう。 面倒すぎて起きる気もなく、居留守を決め込んだ。
遠慮がちに再度響いた呼び鈴は三度目に続かず、軽く息を吐き出す。
途端、聞こえてくるのは金属の噛み合う――ありていに言えば鍵を回す音そのもの。

「!?」

疑問符が頭を駆け巡り、そうこうするうち侵入者はやすやすとリビングまで侵入してきた。
窺うような足音がゆっくりと。

「南沢さん?」

耳を疑った。固まってしまった自分を覗こうと近づいてくる相手の気配。

「具合悪いんですか」
「な、んで」

仰向けに寝転んだままのご対面。表情も止まったまま唇だけを動かした。
心配そうな顔から一転、しどろもどろに倉間が答える。

「や、あの、遅くなったからどうかとは思ったんすけど」
「じゃなくて、鍵」

遮る声は淡々と、しかし、掠れて。

「もってんのに」

息を飲んだ相手の指が鍵をしまったと思われるポケットのあたりを握った。
逡巡する間、落ち着きのない視線。やがて小さく零した言葉は、

「――ドア開けたときのアンタの顔、好き」

何よりも明瞭に耳に届く。

「もうすぐ一緒に暮らすし、なくなるかな、って、思って」

聞き終えるより早く身体が動いた。 上半身を起こして腕を引き、相手がバランスを崩すのを受け止める。
背中と肩へ腕を回しながら感情に任せて。

「すき、すき、すき、すき、すき」
「あ、え、あの、」

反応できない倉間を掻きいだき、ひたすら想いを囁いた。
動揺も通り越して黙ってしまう相手の頭を緩やかに撫で、赤くなった耳元から頬を指でなぞる。

「くらま」
「は、い」
「倉間」

意思を乗せて呼ぶ名前、ひくん、と震えた僅かののち、上げてくれた顔は蕩けそうな瞳をたたえて。

「好きです」
「ん、」

口元が緩んで受け止める。軽く唇を触れ合わせ、しっかり覗き込んで音にする。

「あいしてるよ」
「!」

目を見開いて一気に増した赤色は首元まで。
分かりやすく広がる様子へ笑いを零すと必死に口を開く。

「そ、そーゆーのは、」
「かわいい、くらま」
「みなみさわさ、あの」
「ほんと、すき」
「おれ、」
「しんじゃう?」

ふふっ、と漏れ出るのは揶揄ではなく幸せの意味。
掌で頬をしっかり支え、微笑みかけた。

「ちゃんと慣れとけ、俺と生きるんだから」


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