ひとおもいに噛み砕く


後ろから伸びる腕が視界の端に映る。逃げも振り払いもしないで好きにさせると、肩を囲むよう抱きついてくる相手の体温。

「……足りない」
「足りたことあるんですか」
「ないからいつも欲しい」

もはや面倒くさくて口にしたところ、被せる答えがきて思わず固まる。
二秒ほどの沈黙の後、不思議そうな声。

「倉間?」
「即答すんなよ!!」

腕を緩めて横から覗く形で身を乗り出した南沢へ噛み付いた。
ぱちくり、瞬きのちに微笑む口元。

「なに、嬉しかった?」

反射で掌を叩きつける先は唇。べちん!と音が鳴り、一瞬の感触を覚えてすぐさま手を離した。
今度は開いたままだった瞳がじっと見つめ、ぼんやり呟く。

「今のはさすがに割と痛い、つか離すの早いな」

視線から逃げるよう逸らしていけば、そんな察しなど良くなくていいのに口角が上がる。

「ああ、」
「言わなくていいです!」

合点の言った音へ反射で手を動かすも、あっさり手首を掴まれた。

「舐められると思ったか」

カッと頭に血がのぼる。睨みつけて怯んでくれる相手ではなく、それはそれは愉しそうな表情が浮かぶ。

「期待されたら応えないとな」
「や、やめ、」

声が震えて身を竦ませる。掌へ当たる息に呼吸を止めかけて、柔らかく触れる温かさ。
しかしそれだけですぐに離れ、何もない。おそるおそる瞼を開けた。

「ふ、ははっ、…かわい」

堪えきれない様子で笑いを零す南沢は、殴りたいくらい優しい声音で言ってのけた。
感情で動いた左手をどうして止められるだろうか。

「おっと」

加減のあまりない勢いの攻撃は腹の立つことに防がれて、結果、両手を取られた絶体絶命な状況に歯軋りしたい気分になる。剣呑さを増す眼差しを軽く受け止め、よくない笑みを保った相手が顔を寄せて囁いた。

「ちゅーしようか」
「言い方わざとやめろむかつく!っん、」

抗議は軽くキスに飲まれ、開いたままの無防備な口内へ舌が入り込む。ねっとり表面を一回だけこすりつけ、肩が震えるのを確かめてわざとらしく離れていく。飲み込んで喉を鳴らす自分を見やり、瞳を細めて問いかける。

「足りない?」
「…さいあく」

吐息の混ざった声に掠れた音で返す。ますます笑みを深めた南沢がねだる。

「な、倉間」

唇に唇で噛み付いた。食むように何度か動かして、感触に甘えた息が漏れる。

「自分だけだと思ってんの、むかつく…」

見上げて言えば表情が消えていた。否、絡む視線の鋭さが変化。

「やばい、本気で貪りたい」
「いつもは違うのかよ」

ぐるんと視界が反転する。
身体を打ち付けることなく器用に押し倒してくれた相手は、荒い息をひとつ吐いて。

「お前ほんと煽るの好きだな」

捕食者の顔で、笑った。


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