沈み込むのに際限なんて


起きる時間はだいたいが被るか少し前後するかで、寝起きの悪くない倉間が布団から出てこないのは割合珍しい。
どちらかというと起こされるのは自分の方が多く、 別に朝に弱いわけでもないけれど声をかけられるのを楽しんでいる自覚はある。
そういえば昨夜は週明けに提出のレポートを仕上げるだの夜更かしをしていたな、 とぼんやり思いながら寝室へ戻った。 まだ寝ている。そっとしておこうと踵を返しかけ、目覚ましだろう携帯のアラームが耳に届く。 眠りの浅い自分なら即起きるところだが、頭上で鳴るそこそこの音量にも倉間は目覚めない。
設定したなら起床希望時間なんだろう、枕元へ近づいて声をかけた。

「倉間、アラーム鳴ってる」
「んん……」

眉を寄せ、むずがるように唸った倉間が寝返りを打つ。ちょうどこちら側を向いたので、なおも呼びかける。

「くーらま、朝」
「んぁ?」

寝惚けに加えて若干の不機嫌、一応目を開けたがこれは絶対に寝ている。
大して焦点の合っていない瞳で緩慢に瞼を動かし、また寝入るかと思われたところで何か言った。

「キスしたい」
「え」
「やです、キスしてくんなきゃ起きない…」

薄ぼんやりした表情でとんでもないことを口にした倉間は、固まる自分を置いて呂律の怪しい様子で更に呟き、
両手を伸ばして頬を捕まえてきた。 反応も出来ないうちに引き寄せられ、重なる唇。 柔らかさについ自ら押し付けると食むように相手が吸い付いてくる。 知らず、唾を飲み込む。

「ん、もっと」

寝起き特有のとろんとした瞳が違うものに見える。 甘えた音に舌を伸ばして口内へ進む、迎えた粘膜が性急に擦り付いた。 くちゅくちゅと絡ませて、少し残った理性で離して引くと糸を垂らしながら唇の外で舌先がくすぐる。 息を漏らす倉間の頬は赤い。

「きもち…」

口元を濡らしてぽつり、まどろむ語尾に瞼が下りて両腕が布団に落ちた。
穏やかな寝息、アラームはいつの間にか止まっている。止めたのは自分だったような気もした。

「寝んのかよ…!」

拳を叩き付けたい衝動を堪えて掠れた声を絞り出す。
好き放題やって寝こけた相手の顔を見つめる。 先程の艶はどこへやら、歳相応の、むしろ幼く映るそれ。

「くそ、かわいい…」

吐き出しながら布団を掴み、乱れた部分を直してやった。
身じろいだ倉間が小さく、ごく小さく呼ぶ名前。

「みなみさわさん、」

胸が詰まる。 敗北感しかない遣る瀬無さだったり、とにかく渦巻く色々なものを言の葉に込めたい。
あ、から始まる五文字を呟いて額にキスを落とした。


揺らされる、感覚。
段々はっきりしていく意識は覗き込む倉間の顔で完全に浮上した。

「なんで一緒に寝てんですか。起こしてくださいよ」
「起こしたよ」

目線というか体勢に疑問を持ったのはほんの一瞬、そういえば開き直って二度寝を決め込んだかもしれない。
同じ布団で向かい合って――起きた倉間が自分の方へ身体を動かしたのが実態だろう。
時計を見るともう昼だった。 睡眠をたっぷり取って復活した倉間は素晴らしき通常運転、甘えの欠片も見当たらず胡乱な視線を向けてくる。 安心するような解せないような、無意識に出た溜息はしかし、相手の癇に障ったらしい。 見るからに機嫌を損ねた表情、睨む瞳が拗ねに変わってぶっきらぼうに言い放つ。

「どうせ、ああいうほうがアンタ好きなんだろ」
「は」

外される目線、引き結んだ口、咄嗟にフラッシュバックするのは紛れもない朝の一場面で。

「お前っ…」
「寝惚けたのは嘘じゃねえし!単に、割と記憶が、あるだけで……結局また寝たし」

思わず飛び起きる、急に動いて頭がふらついたがそんなことはどうでもいい。
反論の強気は最初だけ。続いていく説明は途切れがちになり、最後は誤魔化して終わった。
跳ね飛ばされた布団、気まずそうに横を向く相手に腕を伸ばす。

「どこまで、」

肩を掴む。びくりと震えるのに怯みかけつつ、シーツへ沈む頬を掬い上げて視線を合わせろと促した。

「どこまで起きてた」

瞬時に染まるのは、赤い色。
耳も首元も分かりやすいくらいに広がっていく。

「おま、」

殺気に近い雰囲気を持ちながら、遮る腕の勢いはあまり強くない。
顔を狙った手を握り、言葉を止めると負け惜しみが聞こえる。

「真っ赤じゃないですか」
「お前が言うな」

手へ伝わる温度は熱い、それがどちらのものかなんて、今更愚問だ。
自由な倉間の腕がまっすぐ伸びて、少し迷ったみたいに頭へ触れる。
一度だけ撫でる仕草から髪を梳いて、指が耳を辿り頬へと滑り掌が当てられた。

「……腹減りました」
「、俺も」

捕まえた手はいつの間にか指が絡み合い、体重のかかるベッドが軋む。
互いの鼓動を感じながら、食べるようにキスをする。


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