この先、寧日のみ


終電ギリギリで帰路につく。日付少し前に届いたメールは律儀なもので。

――先に寝てます、おやすみなさい。

たったそれだけ、それだけが今の状況を――言うなれば幸せを表している。
玄関で靴を脱いで音を立てないよう、静かに静かに寝室へ向かう。帰ってくる南沢を気遣ったのか、最低限の光だけ残された薄暗い部屋。見渡せば眠る倉間は自分のベッドで。そう、あってもなきがごとしの割り当てだが『南沢の』ベッドで寝ていた。今すぐ抱き締めたい気持ちをなんとか抑え、ご丁寧にベッドサイドへ畳んである寝巻きへ手早く着替える。服のまま布団に潜り込めば、次の日お小言を頂くのが目に見えているからだ。
ほんの少し丸まって寝る倉間は中心から僅か左寄り。布団の右端を捲って身体を滑り込ませる。背中から抱き抱え、髪へ唇を当てた。

「ただいま、倉間」

***

意識の浮上に伴って、腕の中で動こうとする体温を把握。
眠気が残る頭で擦り寄った。

「ただいまおやすみおはよう」
「真ん中いらなくないですか」

不機嫌そうな声が斬り捨てる。思わずしっかり目を開けた。顔を上げて絶妙な角度で覗き込んだところ、むっとして見える横顔。だがしかしこれは照れだ。もう慣れたもので、聞いてくるなら答えるのみ。

「昨日言えなかったから」
「寝惚けてると駄々漏れですね」
「寝惚けてない」
「浮かれててもそうでした」

後ろを向いたままの頑なさ、それでも振り解かないのが倉間の甘えであるならば。

「つれない」

襟足のかかるうなじへ唇を当てる。ちゅ、と吸い上げればさすがに焦る声。

「やめろばか!」
「やだ」

端的な返事を聞くが早いか、大した拘束でもなかった腕は振り解かれ、勢いよく相手が向き直る。

「おかえりなさいおはようございます!!」

やけくその響きと睨みつける瞳。微か頬に刺す朱は怒りと羞恥のどちらが上だろう。「おやすみはメールで言いました!」まで付け加えた相手をようやく正面から抱き締めた。染み渡っていくのは存在そのもの。

「ん、帰ってきた」

背中へ届いた掌で緩やかに撫でること数回。口を引き結んだ倉間がぽつりと零す。

「南沢さんの、ばか」

拗ねたような声音。

「俺だって一人で寝たんですよ」
「かわ、」

べちん、押し付けられた手に発言を阻まれた。
胡乱な視線。

「連呼はいいです」

それほど強くない力を手首を掴むことで退けて、見つめ返す。

「ふさぐなら口がいい」
「アンタ、ほんっとさあ!」

張り上げる声は突っ込みの方向。きっといい加減にしろだとかそういう意味合いが含まれている。
それでも付け込ませたのは本人だ。知らず唇が笑みの形に。

「甘やかして」
「十分だろ!」
「もっと」

両頬が音を立てて挟まれる、少し痛い。思いっきり睨む倉間の顔が、近づいて。触れる唇は長く長く、吸い付く力に合わせて息が漏れた。は、と酸素を求めて離れた刹那、至近距離での宣告。

「俺以外に甘えたら噛みますから」


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