それとこれとは別問題だと


開けにくい蓋というのはムキになりやすい。
ジャムの蓋然り、缶詰のプルタブ然り。
中身が乾いて固まるタイプは更に手ごわい。
水性糊なんかは中のキャップごと取れてとんでもないことになったりする。
そして一番の大惨事が、今だ。

「う、っわあ……」
「俺のセリフだ」

硬いキャップを開け切れなくてぶちまけた、その先には南沢。
実に良くある話、むしろネタ。ダイレクトに被った結果は顔面を含めた斜めの太線。
前髪の一部はじっとりと濡れて、毛先から水滴が落ちて床に落ちる。
すっと見据えるその眉間を一筋流れて伝う色は…漆黒。

「ぼ、墨汁も滴るいい男!」
「このまま抱きついてやろうか」

三分の一ほど中身の残った容器を片手に倉間が苦し紛れに親指を立てた。
すぐさま返った冷たい答えの主は黒い液体を滴らせながら一歩踏み出してくる。
反射的に静止の手を前へ。

「すいません服ダメにしたくないんで風呂入ってきてください」
「俺の服をダメにしてその発言」
「アンタ完全に部屋着じゃないですか、俺はこれちょっと嫌です」
「てめ」

真顔の宣言に真顔の本音。Tシャツにスウェットのラフな格好に対して外出帰りの私服となれば致し方ない、倉間視点では。
さすがに表情を引きつらせ、更に落ちる黒い水滴が床を汚す。
心配げな面持ちで見つめ、息を吐いた。

「カーペットないとこで本当に良かった」
「おまえ風呂出たら覚えてろよマジで」

問答は無駄と感じて風呂へと向かう相手の背。横切る空間を一瞬で確認し、追い討ちのように声をかける。

「すいません、もっと慎重に動いてください。壁に飛んだらめんどいです」

風呂の扉が力一杯閉められたのは説明するまでもない。
シャワー音が響きだしてから少しの間。
代えの服を片手に脱衣所へ入ると、墨汁の染みた面を内側に折り畳んであるのを発見する。
思わず口元を緩めながら、出来る限りの応急処置を施してつけ置き洗いへ。
上は白の時点でもうどうしようもないが、下は黒だから何とかなるはずだと当たりをつけた。

フローリングを拭き終えて、手を洗い始めた頃に不機嫌な顔の相手が現れる。
タオルドライもそこそこに、今度は透明な雫が伝う。
立ち止まるのを見て自分から近づいた。

「大丈夫ですか、あの、目とか」
「奇跡的に」

今更すぎる心配の言葉にむすっと答える表情は拗ねている。
そっと首に掛かるタオルへ手を伸ばして持ち上げた。
わしゃわしゃ。まだ水分の多い髪を拭きながら、見詰め合う。気まずい沈黙。
タオルを被せるようにすると、少しだけ表情が隠れた。指先でめくって、顔を寄せる。

「誤魔化されない」

鼻先が触れる前に一言。
睨む力は強くないが、伝えたいことは良く分かった。

「誤魔化しじゃないです」

拒否される前に押し付けて、開いたままの相手の瞳をしっかり見つめる。

「だって今日、してません」

いっかいも、と続けたところでタオルが落ちた。
乗り出すように動き、肩を掴んだ力はなかなか強い。

「だから、お前の、そういう――…っ」

言葉を切って、心底憎らしい視線を飛ばしてきたので、もう一度口付けてから謝ったところ、更に苦々しく表情が歪む。
解せない、という態度は逆効果と判断し、とりあえず額をぶつけてみる。

「って!」

予想より痛いのはご愛嬌、自分も痛いから後悔しつつ、当てたまま瞳を覗く。

「好きです」
「…っ」

今度こそ無言になった相手が背中へ腕を回し強く抱き寄せる。
肩口へ顔を埋め、唸るように呟いた。

「お前ほんっとむかつく」
「俺もよくムカついてるんでおあいこですね」


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