repeat after me?


淡白な付き合いでもないはずなのに、甘さというものの加減がおかしいのが自分たちの常だった。
同じ大学へ通い始め、機会を窺うこと数週間。向こうが高校生の頃から通わせたに等しいアパートは、倉間の第二の家に近い。 実家からもここからもほとんど通学時間が変わらないのをいいことに、泊まった回数は両手を軽く超えた。
一年間、我慢した。正直、我慢だけでいうならこの後輩と付き合ってから限りなくあるがそれはとりあえず置いておく。
レジュメを確かめる倉間の肩をちょいちょいとつつく。こちらを向く顔にさりげなく切り出した。

「今日は俺、遅くなるから」
「ああ、じゃあ適当に時間合わせます」
「じゃなくて」
「?」

首を傾げる倉間の目の前に鍵を差し出した。
掌で受け取り、視線を戻す。

「今日、荷物でも来るんですか」
「それじゃねーよ」

あれほど雰囲気のない合鍵の進呈もそうそうないはずだ。
不機嫌さを滲ませた自分に対して解せぬといった様子の表情が忘れられない。
理解できないのは、お前だよ。

相変わらずの実家通いで、たまにこちらへ寄る、特に変化のない日常は小さな金属でどうにかなったのか。
信じられないことに進展した。
大して使いもしなかったその鍵を、当たり前に活用して訪れたのが先日の風邪の一件だった。 二人だけで生活を共にしたのはよく考えたら初めてで、もっと堪能すればよかったと少し思う。 そんな余裕もないからこその成果といえるが。
嫌なのかと思ったあの硬い表情は驚きの裏返しで、病気で不安な俺の甘えからくる一時的なものと考えたらしい。
勢いで応えて先走るなんて嫌だった、と後から聞いた時の感情は筆舌に尽くしがたい。
もう一日休む結果となり倉間も道連れにしたあの朝、布団の中で漏れる本音。
あまりに可愛くて再度ねだったら、裏手を額に飛ばされ、睨みながら足を絡ませてきた。
そういうところが、ますます自分を煽る。

という訳で、近く二人で暮らせる広さに引っ越すことが決定した。まさにスピード解決。
普段の利便性に加えて最寄の病院もチェックを義務付けられたのは、まあ仕方ない。
ネットの情報やチラシと睨み合いながら、あーだこーだと希望を述べ合う。
前にも増して、よく泊まる。変にここへ荷物を増やせば手間も増えかねないのに、なんだかんだ理由をつけて。
可愛い。繰り返しになるが本気で可愛いから困る。
倉間は言うべき単語を口にしないくせにひどく分かりやすかった。 中学の時からそうだ、爆発する感情はすぐ顔に出る。ただし、詳細を読むには付き合いの長さが必要だという惚気も加えておく。 逆に隠すと決めると上手いところもあるのは腹立たしい。 そんな相手が、自分に対して向けてくるものの意味を掬い取って、悦に入るのは至極当然といえる。
当たり前の好意、それがどんなに尊いものか。

記憶にある初めての諍いは、倉間の卑屈さに起因した。

「アンタ俺の何がいいんすか」

溜めて溜めて搾り出してきた言葉は俺にしてみれば馬鹿馬鹿しい以外のなんでもない。

「お前だからに決まってんだろ」

怒りを込めて即答すると、途端に相手が動揺する。
そんな簡単に自分の言葉で揺らぐなんて、それだけでたまらなかった。
殊更ゆっくり抱き寄せたのち、観念したように胸元で囁く声。

「……、です」
「俺も好き」

瞳を覗き込んで笑いかける。倉間が自分から唇を寄せた。

その後も何度か揉めたり怒鳴ったりキレられたりはあったものの、概ね良好に続いている。
全て唐突に繰り出される相手の必殺兵器で細かいことがどうでも良くなる自分の単純さ、 そして何か起こるたびに少しずつ改善される倉間の態度の相乗効果だ。 要するに、根本的解決をしないまま今に至った言い訳ともいう。
結局今回も、可愛く肯定した様に理性を無くしたのだからどうしようもなかった。

回想が過ぎてぼんやりしていたらしい。飲み物を入れに立った倉間がいつの間にか戻ってきて、向き合う側でなく自分の傍へ座る。 ふたつのマグカップはおざなりに置かれ、つい、と袖が引かれた。

「ダメ、ですか」

一瞬で他の思考が砕け散る。少し見上げる形は物凄く卑怯だ。
簡単に揺れそうになる自制心を叱咤して、口の端を上げて答えた。

「ダメって、言ったら?」
「あ、はい。すいません」
「もっと粘れよ」

びっくりするほど簡単に引いた返しに思わず被せてしまう。特に表情も変えず相手は続ける。

「進まないのに、無理には」
「無理とか言ってない」
「なんで怒ってるんすか」

不機嫌になるのは俺で、それに対して少し苛立ちが見えた。いつものこととはいえ、まったく、噛み合わない。
回想にかこつけて、ついつい口にする。

「お前はさあ、俺が言われなくて不安とか、考えたことねぇの?」

瞬きが止まる。言ってからほんの少し、後悔した。
実は握られたままだった袖に心なしか力が入り、視線が僅かに思案を滲ませる。

「え、と、好きって、話ですか」
「なんでこういう時だけさらっと言うんだよマジで」
「あ。あー…」

ぽつん、落ちた言葉に脱力感。その流れで聞けてもなんだかな。
間の抜けた音を伸ばす倉間に思わず溜め息を吐く。すぐさま申し訳なさそうな声に切り替わる。

「すいません、あの、なんか、気付かなくて」
「いい。なんか惨めになってきた」
「そこまで」
「そこまでだよ」

謝りながら通常運転で言いたいことを言うのがまた、なんとも。その意識しない容赦のなさが割と攻撃だった。
もはや不貞腐れた返しになっても俺は悪くないだろ。

「ええと、じゃあ、前に言ってた二ヶ月毎日ってのやりますから」
「は?」

いきなり出てきた提案が自分の投げやりな文句から来たとわかるのにタイムラグ。
そのうちに両手で頬包み込んで、まっすぐ見つめてくる、瞳。

「好きです」

今度こそはっきり届いた言葉が、胸を鷲掴む。

「一日目」

ふっと笑った倉間を掻き抱いた。
満足げに擦り寄ったその身体を俺に預けて、小悪魔めいた台詞を寄越す。

「今度は誘われてくださいね」

だから、やらないとは言ってねーよ。


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