年の瀬


十二月も残り一週間を切った。
慌しさが空気に混じっているような錯覚を覚える今日この頃、帰宅した南沢がおもむろに口にする。

「年末のご予定は?」
「二日は浜野たちと初詣行きます」
「連続で」
「もう習慣なんすよ、三人でいくの」

元旦の翌日に行くのはもう数年来続いた恒例行事みたいなものだった。
参拝して御神籤を引いて結果に騒いで――中学生から変わっていないことを思うとむず痒い気分もある。

「ふーん」

抑揚のない相槌は分かりやすい。そもそも付き合いを考えれば聞かなくても知ってる情報だろうに、何故わざわざ確かめるのか。

「アンタを最初にしてるでしょ」
「でないと拗ねる」
「うぜー」

返事が分かってての言葉には感情が篭もらない。真顔で早口の相手に同じく即答。
少しだけ眉を寄せたと思えば、距離を詰めて腕を伸ばしてくる。
抱き締められて、肩に埋まる顔。息を吐きながら背中を軽く叩いた。

「……家族以外と越すの、初めてですよ」
「ん、俺も」

努めてきつくならないように言うと、返る声。
指で髪を梳いて、頭を撫でる。僅かに上がる顔を覗くために掌で促す。
数分振りに視線が合う。

「機嫌直りました?」
「別に拗ねてない」
「うそ」

反論より早く口を塞いだ。触れるだけの短いキスに、相手の瞳が熱を帯びる。

「もっと甘やかして」
「アンタ、ほんと駄目ですね」

呆れた振りで、今度は音を立ててもう一度。


年明け


つん、と軽く突付かれる感覚で意識が戻った。
隣の倉間はリモコンに手を伸ばしながら淡白に言う。

「紅白終わりましたよ」
「若干落ちかけてた」

軽く額を押さえると笑う気配。舟をこいだのを見られたらしい。

「夜更かし苦にならねーのに大晦日ってやけに眠くないですか」
「わかる」

笑い返して、画面を見やる。迫る年越しに騒ぐ番組は期待と熱気に包まれていた。

「あと五分、か」
「てきとーに変えときますね、でないと気付いたら越してそう」

カウントダウンのお知らせはテレビ任せ。あと三分、あと二分、ついに一分を切ったところで隣へ向いた。
タイミングよくかち合った視線。頬へ触れて引き寄せて、唇が重なると同時、日付を超える。

「おめでとう」
「おめでとう、ございます」

触れた瞬間だけ閉じた目を開けて第一声。
反射で返った言葉は途切れて語尾が怪しい。

「なに、恥ずかしい?」

かろうじて逸らさないでくれている視線を絡め、囁きかける。
薄く染まった目元が愛らしい倉間が困ったように呟いた。

「こういうこと、する人とは思ってましたけど……」
「いいだろ、折角二人なんだから」

額を当てて、体温を感じる。きっと緩みきった表情をしているだろう自覚を持ちつつ、気持ちを込めて。

「すき、今年も好き。愛してる」
「新年早々駄々漏れかよ!」
「うん」
「っ……」

瞬時に真っ赤になって必死のツッコミ。照れ隠しだと分かる上に罵倒でもない。
肯定しかする意味がなく、実行に移せば息を飲んでしまう相手。
鼻をこすり合わせて、優しく呼ぶ。

「倉間」

一拍、呼吸の音。

「すき、です。すげぇ、すき…」

これ以上ないくらい赤い顔で、極上の返事をくれた。

「ありがとう」

両手で包み込んだ頬がさらに熱くなり、ねだる視線に答えて開いたままの唇を寄せる。


AM2時


暗い道に浮かぶ白い息。
もうしばらくすれば、参拝客の溢れる道へ着くだろう。
外気の寒さに震えながら、すました様子で隣を歩く相手を睨む。

「誰かさんが離してくれなかったせいで二時すぎてるんですけど」
「あったまってよかったんじゃないか」
「蹴りますよ」

年を越したらすぐに出発、その予定のはずが大幅にずれたのは相手のアドリブのせい。咄嗟のハプニングからの延長戦で用意が遅れ、家を出るのが一時になってしまった。舌を入れるにしてもあそこまで長くする必要はない、まったくもってない。年明け数分で酸素を求める羽目になるなんて誰が思えるのか。

「脱がさなかっただけ理性を褒めて欲しいくらいだ」

肩を掴んで相手の動きを止めた。回りこんで正面から勢いで一撃。

「おま、的確に鳩尾狙うか…」
「いい感じに膝が上がりました。気合って大事ですね」

不意を突いた膝蹴りは見事ハマった。う、に濁音がついた呻きを上げて固まる南沢にまあまあすっきりして横に並びなおす。なんとか歩けるまで持ち直すのを待ちながら掌へ息を吐きかける。冷え切った皮膚はなかなかに痛い。

「ほら、手」

割合早く復活した相手が差し出してくる動きは自然。
逆らうことなく握り返す。ぎゅ、と絡み合う指の感触。

「はぐれますしね」
「そう、はぐれたら困るから」

歩き出す。ゆっくりゆっくり、道のりを惜しむように。

「手袋しなかったんですか」
「お前だって」

分かりきったことを聞く、分かりきった言葉が返る。

「冷たいですよ」
「心が温かい証拠」
「じゃあ温めない方がいいってことに」
「それはやだ」

握る力が強くなる。指が少しだけ痛いのは冷たいからだけではなかった。

「お前の体温がいい」

ぎゅうっと、ただ同じ力を返す。


PM12時


ぼんやり、薄目を開ける。向き合った体勢で眠る倉間へ腕を絡めた。身じろぎするのを確かめてもう一度目を閉じる。しばらくして、みなみさわさん、と呼びかける声。渋々ながら覚醒に向かう。

「いま何時」
「十二時、すぎ」
「寝たなー」

観念と共に瞼を上げる。同じく眠そうな倉間の頭を撫でた。
帰宅した時間からすると大して寝すぎでもないのだが、昼過ぎの起床はそんな気分になる。
身体が訴えてくる空腹は二人分で、とりあえず満たそうと思いながら抱き締める相手を覗き込む。

「今日はどっか出る?」
「まさか」

寝起きで抵抗もあまりないのか、えらく素直に擦り寄ってくれる。
ふふん、と笑う顔は可愛い。

「このために買い込んだりしたんですし」
「それは嬉しい」

吸い寄せられるように唇が触れた。ちゅ、ちゅ、ちゅ。繰り返す軽い音が脳内へ響く。もっともっと、先を望む本能を止めたのは肩に食い込んだ指の力。うっすら紅潮させつつも、僅かな理性で訴える。

「……食べたら」
「ん、食べたら、食べる」

少しの先延ばしはまごうことなき了承の意。
口元を笑みに変えて、手のひらで相手の頬をさする。

「ばーか」

柔らかい響きでくしゃりと笑い、倉間が鼻に噛み付いてきた。


PM6時


まどろみに任せて、浮上しそうな意識をとろとろと遊ばせる。
気持ちよさがどこからくるのか、考えたところで撫でられていると気付いた。

「まだ寝てていいよ」

瞼を開け、一番に目に入る相手の表情はひどく柔らかい。反射で身を起こしかけ、宥めるように額へキスが落とされた。布団に沈んだまま大人しく見上げると、満足げな様子で撫で続ける。掻き混ぜるみたいな指は優しく、ふいに胸がきゅうっと掴まれた。

「みなみさわさん、」
「どした」
「すきです」

動いた口は心のまま。呼びかけに笑って答えてくれた南沢は、続いた四文字に穏やかさを一瞬忘れ表情が固まる。

「なに、サービス?」

無理矢理戻した微笑みは台詞の揺れ具合といい、戻しきれてなかった。

「ふいに言ったらキョドるのやめましょうよ」
「いきなり素に戻んな」

寝起きもそこそこ吹っ飛んでツッコミと化す。容赦なく非難する相手に心外だと抗議を述べる。

「思ったから口に出しただけですけど」
「思っても言わないのが通常運転のくせに」

こういう時だけとことん責めてくる相手は若干腹が立つ。
今までの雰囲気はなんだったのかと不満がじわじわとわいてくる。

「…ったら、」
「なに」

言いかけた不明瞭さへ促す台詞。ぎ、と睨み上げてはっきり告げる。

「さっきは、ゆったらよろこんだ」

見開く瞳、すぐさま手が後頭部を押してきてシーツへ顔を埋めさせた。

「お前やっぱもうちょっと寝てろ」

一瞬見えた南沢の顔はだいぶ赤かったので、くぐもった笑いが止まらない。


PM8時


夕食も終えて片付けのひととき。洗い物を並んでするのは、なんとなく離れがたいせいでもある。
一日べったりしていると癖になりそうで、いやむしろ今更かと謎の自問がぐるぐる回った。
すすいだ食器を手渡し、倉間が水きり台へ。本当はいらない流れ作業も甘えの一種だ。

「おせちとか作るべきだったのかと少し」
「雑煮あればいいかなって」
「同感ではある」

特に意味のない話題はコミュニケーション。
また水と食器の音だけが鳴って、するりと感想が零れ落ちる。

「こんなゆったりした新年になるとは思わなかった」
「ばたばたしたかったんですか」
「お前なんでそういう被せ方するかな」

言い方も悪かったかもしれないが即答の内容もなかなかひどく思えた。溜め息まではいかないにしても少し呆れたくなる。この相手はいくらでも毒づいておきながら自分がされると途端に怯えるのでそう感じても気を配るしかない。
短い沈黙、もうほとんど洗い終わった食器から水が滴る。肩にこつん、と頭が凭れた。

「幸せ、ですけど」

思わずスポンジを握る。

「おれも、俺もすごく」

すき、と囁けば伸びてくる相手の濡れた指。ちゃぷん、と水音が耳へ届き、泡まみれの手を握り合った。


PM10時


寝るには早いし、そもそも昼に起きたせいで眠くもない。新春特番を流しつつ、飽きれば本を読んだりだらだらと過ごした。ふいに思いついた、というかなんというか、背中を見ていたらやりたくなったので抱きついてみる。擦り寄って凭れ、腕を回す。少し驚いたような相手は、ハートカバーをぱたんと閉じて首だけで振り返った。

「今日はサービス多いな」
「明日出かけて寂しがられても困るんで」

言い訳にしてはつれない答えが口をつく。
笑うか流すか呆れるか、若干の後悔を交えながら反応を待つと想定外のものが返る。

「余計足りなくなりそう」

目を瞬いた。罰の悪そうな相手の顔。
するり、腕を解いた。

「だめ、離さない」

片腕だけが捕まって、しかしそれ以上の行動はない。
なんだかな、と思い中途半端な姿勢を変えることにする。

「前から抱きつこうかなー、と思うんですけど」

言ったが早いか、掴む手から解放されこちらを向いてくれる相手。
ぽふん、と胸へ飛び込んでやった。迷わず抱き締める腕の感触。
安心したように息を吐くのを見上げて覗く。

「正直、幸せすぎて怖い」
「相変わらず無駄にネガティブですね」

変わる表情は不満げで、思わず噴出した。
片手を動かしてぺちぺちと頬を叩く。

「ま、そのぶん思い知らせてやるって決めてますから」

指先で輪郭をなぞり、手のひらをゆっくり押し付ける。

「愛されててください」

瞳が溶けていくのを確かめながら、何度目か分からないキスをした。


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