侵食、穏やかに


「虫歯」
「……へー」
「心底どうでもいいと思っただろ」
「割と」

口を開くのも億劫な気分で一日を過ごし、はっきりいって食欲もなかった。
痛くないのがまた不安を煽るところでもあり――痛い虫歯はだいぶやばいレベルなのだが――この精神的圧迫から早く解放されたい。
調子の悪さを隠すでもなく見せるのは相手だからで、取り繕ったとして詰め寄ってくる気がしたから早々にぶっちゃける。
そして頂いた感情の薄い相槌。予想できなかったこともないけれど余裕のなさから恨みが増しげになった大人気なさを仕舞い込む。

「月曜日までの空いた四日がマジで怖い」
「別に歯ぁなくなったりしませんよ」
「やめろ」

馬鹿にした声音で笑うことでなく内容を遮った。
その四日でどれだけ悪化するんだとか考えた自分への追い討ちでしかない。
本気が伝わったか目をぱちくりさせた倉間はしかしやっぱり冷たかった。

「ちゃんと磨かないから」
「お前は俺のイメージをどうする気だ」
「大丈夫ですって、最近のは白くて目立たないし」
「そういうの聞いてるんじゃない……って詳しいな」

完全に片手間の様相を呈してきた会話は至極その通り、相手の意識は今しがた光った携帯へ向けられている。
メール確認だけ済ませた倉間の返事に引っかかりを感じ、一瞬冷静。
机を挟んで向かい合う後輩は、またぱちりと瞬いたのち、

「ああほら」

無防備に口をあけて見せた。
なに、と問う声。示す指先。
奥歯のひとつのかみ合わせ、そこの白は周りと若干違うように見える。
わかりやすいパズルのピース。理解に続いて理不尽な怒り。

「………………てめえ」
「まあ磨いててもなる人はなるんで」

治療跡を晒してくれた倉間はほんの数分前の暴言を覆してきた。

「俺は一回くらいお前を殴っても許される気がするできないけど」

目の前の表情が憎たらしくなる。

「鼻で笑うな」

乱雑に自分の頭を掻いて息を吐く。

「こんなもんなけりゃ口で塞いでやったのに」
「は」
「あ、」

滑った言葉は拾うこともできず空気に溶ける。
気まずい沈黙は僅か数秒、超絶クールな声で破られた。

「そもそもしませんけど」
「そもそもってお前そもそもって」

斬り捨てに程がある仕打ちへ断然抗議。早口対決のような台詞は怜悧な視線で止めを刺してくる。

「むしろしたことないですよね?」
「あ」

完全なる墓穴に片足が嵌った。押さえても意味のない口元へ手が向かう。
まだ苛めたりないか更なる追撃。

「する気あったんですか」
「ありますけどお?!」
「なぜ敬語」

もはや自棄気味に言い放てば落ち着いたツッコミ。
居た堪れない、どこまでも居た堪れなさ過ぎる。
これほど痛めつけられる行動をしただろうか、もはや土に埋まりたい気持ちになってきた。
顔を覆いかけた矢先、落とした視線が机へ突いた相手の指先を捉える。
伸び上がったのだと認識のすぐあと。
ちゅ。軽い音が頬に当たった。
一瞬、呼吸さえ止まる。

ぎこちなく頭を動かして顔を見ると、僅か目元だけ赤く染めて。

「治ったらどーぞ」

ぶっきらぼうに口にする承諾に肘から崩れ落ちた。

「おま、だから…月曜……」

天板に倒れ付す自分の上で、愉快そうな笑いが起こる。

「どーんまい」


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