捕まえてあげるから逃げろ たとえば、欲しいものがあるとしよう。 例えるも何もあるからこんな思考になる訳だが。 つまりはその欲しいものが、どうあがいても無駄だと分かっている時、基本的には諦めるのが結末だ。 駄々をこねるガキでもあるまいし店のディスプレイの前で文句を言っても始まらない。 始まりがなければ終わりもない。 要するに持て余したまま燻らせ、捨てることも出来ないで奥の奥に投げ込んでいる現実。 忘れてないから意識に覗く、消えもしないから疼くだけ。 そんなこんなを繰り返して繰り返して繰り返して日々をすごせば忍耐力もつくだろうよ。 もはや滅多に激情もしなけりゃ失望もしないで流してきた中で、聞こえてきたのが窓ガラスへの実弾とも いえるものだった場合、動けるかといえば、答えは。 好意を感じていなかった訳じゃない。 むしろ分かりやすいまっすぐさ、言い換えるなら愚直さで自分に向かってきた後輩は可愛いと思う。 一悶着というには捻じ曲がった出来事を経て現在、結局変わらず懐いてくるあたりこいつも重症だ。 疎遠を認めず、当たり前の顔で以前のように傍にいる。傍に、それは語弊があった。 だが少なくとも、そう多くない休みでわざわざ時間を作って会うだの合同練習に被せて予定を作るだの、 離れた先輩後輩としては破格の待遇だ。お互いに。 こっちでどうだ、あっちでこうだ、直接の雑談は特別なものでもない。 メールもするし、電話も頻繁ではないにせよ使う。まことに友好的な関係だ。 続くんだろう、壊しさえしなければ。続くんだろう、続く限りは。 ぼんやりとした展望はしかし、何気ない一言で霧散した。 「おれ南沢さんすきですよ」 全ての思考が飛んだ。今は何を話していただとか一切合切が弾けて消える。 スナック菓子を飲み下してのその台詞は一体どこから繋がったのかも思い出せない。 「へぇ、どのくらい」 問う声はまだ表面を繕っていた気もする。 「いやいやどのくらいって」 指に付いた粉を舐めながら笑う倉間がこちらを向いて絶句した。 え、と呟く音を拾いつつ目を眇めてもう一度。 「どのくらい」 明らかに狼狽した様子で、それでも口を動かす相手。 「あの、すごく、すきです」 「たとえば?」 「い、いちばん?」 疑問に疑問で返すな。 ともかく答えに異論は特にない。距離を取ろうか迷うその挙動がなければもっといいが。 「どこまでできる?」 「はい?」 「さわるとか、キスとか」 「え、え?」 向こうが離れる前に距離を詰めた。 ますます混乱する倉間は言葉の理解まで届いていないだろう。 お門違いだが腹が立つ。抑えて抑えて押し込めてきたものをあんなくだらない一言でぶちまけざるを得ない 自分の矮小さに反吐が出る。 「やれんの?俺と」 「その状況にならないといかんともしがたいですね!」 やけくそ気味に叫ばれた内容は素晴らしい着火となった。 笑みを浮かべて覗き込む。まだ身体には触れていない。 「じゃあ作るか、状況」 「いやいやいやいや」 斜め後ろに傾ぐ体勢で倉間が焦る。 なんとか打開しようという表情は必死。 「南沢さん、怒ってます?」 「べつに」 「いや俺からすると相当やばいんですけど」 今更すぎる確認は最早無駄というもの。 俺のほうがよっぽどやばい、今まで積み重ねてきたものがトランプタワーの如く崩れさる。 心地いい空間を壊さないようにしてきたなんて言い訳にしかならなくなった。 ようやく、頬へ触れる。偶然でもついででもなく、理由を必要としない接触。 「単にさあ、聞きたいだけ。お前、俺とやることやれんの?」 自滅への一歩。掌を滑らせると動揺していた視線が泳ぎ、遠慮がちに呟いた。 「つーか、それよりアンタ俺に欲情とかするんですか」 「するけど?」 即答。今度こそ言い逃れのない本音は相手を完全に硬直させる。 「あ、」 「あ?」 罵倒だろうか拒絶だろうか、落ちてきた小さな音を拾う。 「ありがとう、ございます」 染まった顔は耳まで赤く、皮膚から伝わる温度は熱い。 完全に混乱しての返答は、そのテンパりを通り越す真実でもって俺に届いた。 |