有るが儘、為すが儘、思えば尊し


「南沢さ――…」

傍らにいる相手に呼びかけようとして横を向き、反射的に口元を手で押さえた。
音が鳴らないよう極力注意を払って、そうっと覗き込む。
机に肘をついて寝息を立てる相手の横顔。若干斜めを向いているので正面から見れないこともない。
広げられたノートを脇に避け、少しだけ近づく。
成績を保つ、ということがどのくらいの苦労なのか想像しかできないが、 好きな教科だけ割と頑張り、それ以外は平均さえ取ればいいと思っている自分よりは遥かに大変だろう。 けして頭が良いだけで済ませる気はなかった。理解力やらの下地があるにせよ、この先輩はまごうことなき努力家だ。 その時間の一部を自分に割いて、こうして傍にいるのは実はもしかして凄いことなんじゃないだろうか。

整った顔立ちをなぞるように視線をめぐらせる。
髪の毛、眉毛の形、瞼、睫、鼻筋、口元、顎から頬にかけてのライン、耳から首筋へ流してから、また顔へ戻る。
無意識に手を伸ばそうとして、止めた。不可侵のような、気がして。
片手を押さえながら、もう少しだけ顔を寄せる。すぐに引いて、机に腕を乗せ頭を凭れさせながら見上げる位置で固定した。
ふ、と笑う気配がして相手の瞼がゆっくり持ち上がる。細めた瞳は柔らかく、眠気のせいか判断しかねた。

「穴、あきそ」

気だるげな声に一気に我に返る。
弾けた思考はまとまらず、瞬きもできないくらい動揺している間に南沢が緩く微笑む。

「キスくらいしてくれんのかと思ったのに」
「い、いつ…」
「俺、割と眠り浅いほう」

残念、そう聞こえた呟きが耳を通り過ぎた。笑いながらのそれは、ただ言ってみただけとも取れる。
問いにならない問いへ答えた台詞は簡潔。答えになっていなかった。
見つめ返すばかりの自分にますます楽しそうな顔になり、肘を崩すと身を乗り出す。

「なに、見惚れる?まだ見る?」

どうぞ、と顔を寄せる相手のぶん身を引いた、つもりが背中を支えられる。否、これは捕まったというのが正しい。
しかも中途半端な体勢なので振り切ったら後ろに倒れかねない。これは動けなかった。
吐息がくすぐるほど近くなる、顔。熱い、空気が、熱い。

「ほら」
「何がですか」
「お前から」

示すものは分かりたくなさすぎる。有無を言わさぬこの展開が理解できない。
机を支えに顔の向きをずらそうとするものの、察した相手が指で顎を固定した。
そこまでするなら、もうそっちからやったらどうかと思う。

「口じゃないと、だめ」

寝惚けてんのかこいつマジふざけんな、と一瞬で言葉が駆け巡り、既に染まった赤色が増す。
歯を食い縛り睨み付け、唇を一度引き結んだのち、肩に手を掛け距離を埋める。
触れる間際、覗かせる舌を隙間に当てて、意趣返しに唇を舐めた。水音が鳴って、相手の笑みが一瞬崩れる。
今度こそ唇を押し付けた。


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