いまいちど、セーフ判定


無意識に動かした手が触れる間際、生じた迷い。
もはや何度目か分からない優柔不断な仕草は倉間の視覚外で繰り返す。
たとえば、肩へ。たとえば、頭へ。そのくらいなら前からの延長線で不自然もないかもしれない。特に撫でる事に関しては子供扱いだの怒るか思えばそうでもなかった。もちろん滲ませれば対象となるが、自分がそうする意味合いは別のものであるからして。
とにかく、触れるのならば細心の注意を払わねばならない相手、だった。まかり間違って普通のスキンシップさえ拒まれたら相当傷付く。さすがに。
そこまで危惧する理由はひとつ、やっぱりこいつ流されたんじゃないかという気持ちが拭えないからだ。

言うつもりは、なかった。
ただでさえ距離という弊害もあるのに叶う見込みのない賭けに出られるほど強気になれる訳がどこに。
それはまさしく魔が差したというべき。わだかまりが解け、嬉しそうに笑う相手を目にして口が動いた。
止まる表情、視線も固定。やらかした、と思ったところで後の祭。背中をひやりと流れ落ちる、恐怖。

「あ…………はい」

予想に反し、聞こえてきたのはぼんやりした、相槌。
少し苛立った。何を勝手な、と振り返った心境なら思うがリアルタイムでそんな落ち着きなど無い。

「いいってとるけど?」

語尾の上がりは催促の意。ごくわずか、本当にわずかな声の変化がその場で出せるギリギリの。
流すなら今だけ、ここで倉間が誤魔化したならすぐに塗り替えてしまえばいいと。
いつの間にか握り締めた拳へそっと、触れてくる掌。まばたきを忘れた瞼が動く。視線の先で、おそるおそる重ねられた手が袖口を辿り、生地を緩やかに握り込む。
もう一度見た倉間の顔は錯覚でなければ赤く映り、頷くのを確かに受け取った。

穏やかな始まりはしかし、生殺しの合図でもある。
次にどんな顔で会えばいいのか悩んだ自分を一蹴したいつもの態度、いや、久し振りの生意気可愛い倉間だった。正直、もう見れないかもしれないくらいは覚悟していた時期もあったので、付き合う云々より純粋に嬉しい。軽口を叩き合うだけで割と満足してしまった、最初は。
元々どうしようもない想いが届いたのもあって、取り戻した関係を大切になぞる。そうすれば浮かんでくる、許されるだろう境界線。自分は今まで、どうやって倉間に触れていたのか。
伝えたからには抑える必要が消えたので、自覚はどうあれ感情は垂れ流しだ。というのも時折浴びせてしまうのか、戸惑ったような顔になるからだ。そうなれば、平静を装って隠すしかなく、自然と行動も制限された。
同時に降り積もって層を作る、不安と頼りなさ。

倉間は自分を慕っていた、憧れとして。
もし、それを失いがたいなんて理由だったなら。

相手の見えない角度で空を掴む。髪に触れる、それだけのことが躊躇われた。困惑や怯え、果ては拒否に繋がるのならどうするのが正しいのか。仮定で自分を追い詰めた。
会話が途切れ、ネガティブを含んだ回想のせいで気持ちが切り替わらないうち、おもむろに倉間が一言。

「南沢さん、挙動不審ですよ」

誰のせいだ!と心中で叫び曖昧に笑う。咄嗟の言い訳さえ出てこないとは呆れる、どうやら相当参っていた。
繕えぬ気まずさの中、倉間の顔が不機嫌にシフト。

「窺われんのも勝手に分かったよーな気になられんのむかつく」

ぽつん、落とされた爆弾に思考が吹き飛んだ。

「いつもいつも自己完結しやがって鬱陶しい」
「……おい」
「気付かないとでも思ってんですかアンタだだ漏れなんですよ」
「おい、」

ヒートアップしていくのは相手だけじゃない。
膨らんでいく理不尽さに声が低くなった時、睨む瞳が一瞬怯んだ。

「お前、俺に分かるように何か言ったか?」
「っせーな!あんな、いきなりするっと言葉とか出てこねーよ!」

反射の文句は一拍の口ごもりを挟んでやけくそ気味に放たれた。聞くが早いか肩を掴む、身体が揺れて驚きで視線の険が取れる。

「じゃあ好き?」
「っ、」

息をのむ音、見開く瞳。それは、伝えた時の顔に酷似して。

「言えよ」

情けなく声が歪む。
今度こそ。焦がれに焦がれた返答をいま。
きっとみっともない顔をしてるだろう、それを向けることこそ辛いものがあるがなりふり構ってられなかった。
大きく開いた相手の目が、瞬く。すぐさま、本当にすぐ、顔が寄せられた。あたたかい、微かな弾力。押し付けられていると理解するまで一秒かかった。ちゅ、と音を立てて離れる唇、ばつの悪そうな、倉間。

「お前、これで誤魔化せると」
「すきです」

思うなよ、言い切る前にぶつけられた。
ぶっちゃけ誤魔化されるに値したが認めるにはプライドもあったので口走った問題提起は簡単に撤廃。

「好き、です」

勢いでなく、きちんと区切って。
見つめてくる視線は一生懸命、染まる色はもちろん赤。

「あー、この」

掴んだ肩を離す、代わりに腕を伸ばした。
広げた場所に凭れ込んでくる体温を抱き締めて、深く深く息を吐く。

「かわいい」


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