重ね合わせる至上


見られている、のは感じていた。明確な意思でもって寄越されるそれが分からないほど鈍感でもない。
少しの語弊を頭で訂正、汲む気があるから察するのだ。どうでもいい相手の様子など自分だって窺ったりするものか。 しかし決め手もないまま、時間だけが経過していく。
不器用、あまりに不器用だと思うけれど、いわゆる『お付き合い』という間柄の進展を先導するには無理があった。
なにしろ告白もあちらからでキスも流れでなんとなく。その雰囲気だと思ったら目を閉じるのが関の山。
笑う気配に余裕を感じ、一度目を開けてみたら表情を見る前に目隠しされた。

――閉じたら終わるまで開けるの禁止。

予想外の早口だったそれが照れからくるものだとわかったのはやけに長い口付けのあと。少しばかりばつが悪そうに目元を染めているのを見て、こちらが居た堪れなかった。
やけくそ気味に初めて自分から唇を押し付けたのもその時だ。驚いた顔と、次いで緩んだ微笑はなかなか忘れられるもんじゃない。むしろ刻まれる勢いだ。
そんなこんなでゆるゆる構築してきた二人の空気は良好、いつもむず痒いやり取りをしてるはずもなく、じゃれ合い程度の口喧嘩もどきだってある。ただ、それが途切れる瞬間。先輩後輩から、互いを認識したのちの雰囲気へ転換した時、どうしていいか真剣に分からなくなる。
視線が変わるのだ、自分を見る瞳が。いつものすました顔に浮かぶからかいの笑みが、求める意味合いの眼差しへ変化して。

「さわって、いい?」
「えっ、あ、は、い」

どうぞ、と言いかけてそれもどうなんだと言葉を止めたおかげで歯切れが悪い。
カーペットに直で座り崩した足の間を南沢が這う。伸び上がる近さに思わず逃げかけて何とか堪える。
ぺたり、頬へ当てられた手のひらは肩を滑り腕を撫でてから胸に移りするすると。 腹を辿って太腿に落ちたあたりで思わず呟く。

「ほんとにさわるだけですね」

一度だけ瞬いた相手は瞳だけで表していたものを消して真顔で、ぽつり。

「つかお前、気付いてるだろ」

視線、と続く言葉に息を飲む。ついさっきも注がれた強い要望を思い出す。
南沢の表情がほんの僅か翳る。

「怖がられたら、やっぱ」
「ちがいますよ」

言い切られる前に遮った。勘違いで突っ走られても真剣に困る。

「なんか、こう、どうしていいかわかんなくなるだけで」

用意してなかった答えはなかなか表現しづらい。
目線をあちこち彷徨わせ、床に着いた手も無意味に動かした。

「南沢さん、見てる、なって」

いまも外されないその視線、拒絶を否定した途端クリアになったその色は自分が しどろもどろ紡ぐうち、また濃く滲み出て強さを、否、主張を増す。

「た、べられ、そう」

細められた瞳が光った、気がした。

「いやじゃない?」
「え、」

ふいに押された力は微弱、だがバランスを崩すには十分なもの。
背中が床へ突いた感触と見下ろす表情。一気に襲い来るのは、羞恥。

「あ、あ」

染め上げたのは頬だけでなく首のあたりまで熱かった。耳だってきっと確かめるまでもない。
今更ながら割った足の間に身を入れた相手の体勢がまずいと知る。だけど身体は固ったまま。

「ふっ、」

零れたのは穏やかな息ひとつ。
笑いで崩れた空気がふわりと広がる。
力が抜けたように倒れこんでくる、体温。

「いやじゃないならいい」

安堵の含まれた響き、圧し掛かられたはずなのに重くもないのは当人の配慮だろう。
こんなところでまで気を遣う、それがどうしようもなく嬉しいし悔しい。
揺れた感情を見透かしたか揶揄のひとこえ。

「期待されてんなら応えるし」
「ちがっ!」
「ちがう?」

一度外れた目線がまた覗き込んだ。
からかいに交えて誤魔化すつもりか、少しの寂しさをまた察してしまう。

「俺、知らねーし」

準備のない本音が口から勝手に。

「わかんねえから、アンタがくれるなら、いらないとかないです」
「!」

見開いて固まること一秒、身体の機能と理解が追いついて彼の顔が赤く彩られる。

「お前…ほんと、そういうの」

口元を押さえ、堪える仕草。向こうから逸らされたのが何故か惜しい。
相手の頬へ指が伸びる。

「さわら、ないんですか」
「ばか」

今度こそ体重がかかり、言葉ごと一身に受けた。

「すきすぎてつらい」

もたらされる追い討ちに電流が走る。
言語中枢をマヒさせてしまった自分を置いて、繰り返される独り言。

「お前かわいい、やだ、かわいい」

まだまだ何も出てこない言葉の代わり、気力を総動員して腕を動かす。 背中へ回してぎゅっと抱き締め、みなみさわさん、と名前だけ呼んだ。 こちらを向いてくれた彼は、額を当てて息を吐き出す。

「まだ俺がやべーよ」

噛み締めるその呟きに、目を閉じて、笑った。


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