与えられんとするところ


「じゃ、」

空気に耐えられなくなったのは自分が先か、そのことさえ腹立たしくて背を向ける。
用意周到、集荷も呼んだ。手荷物というのは意外と少ない。
持ち手を握り締めて肩に掛け、歩き出そうとして腕を引かれた。
首を巡らせれば、強くはないが弱くもない力で倉間が手首を掴んでいる。

「なに」

温度のない声が落ちる。口を動かすのも億劫だ。
先刻までろくに発言もなく反論どころか頷くばかりだったくせに今更何があるのか。

「あ、いえ、すいません」
「だからなに」

竦んだ気配に小さな呟き。目も見ずに早口で言うのは怒られた子供のそれだった。
思わず低い声で重ねる。

「なんでもな…」

視線を外したまま口を動かした倉間の瞳から大粒の涙が落ちた。

「!」

水の膜が張って盛り上がり、次々と雫が頬を伝う。
掴んでいた手がすぐさま離された。袖に染みる僅かな水の跡。
流れ落ちる涙を拭いもせずに、慌てた様子で後ろへ下がる。

「すいませ、いや、ほんと」

首を振りながら腕で顔を隠そうとするのを遮った。 掴んだ力は加減が効かない、相手の顔が少し歪む。
問い詰める勢いは恫喝に近い。

「なんで泣くんだよ」
「すいません」
「だから!」
「っ」

震えて息を飲む倉間の顔が怯えの色に染まる。
余計に溢れる涙に苛立って歯を食いしばり、掠れる想いを吐き出した。

「謝るんじゃなくて……っ」

睨みつけたのか縋ったのか自分でも分からない。
喉を鳴らした相手の瞳がようやくまっすぐに見つめ返し、揺れる声で音を紡ぐ。

「い、いやだ」

呼吸も辛そうな泣き顔のまま、はっきりと口にした。

「アンタがいないとか、耐えらんね…っ」

しゃくり上げてそのまま目を瞑った倉間を衝動的に引き寄せる。
荷物を投げ捨て、床へ押し付けた。目を見開く表情を見下ろし、カーペットへ手を突いて圧し掛かったまま口付ける。

「んっ…!」

薄く開いていた唇は侵入するのに都合良かった。 抵抗のない舌を絡め取り強く吸い上げて、漏れ出る甘い音に耳を澄ます。 荒い呼吸に赤い顔、濡れた瞳は煽るのも容易く、腰をまさぐって裾から手を入れる。
相手の手が伸びたのは制止かと思いきや、空いている手を繋ぐように握られた。指を絡めて握り返す。
涙の滲む光が自分へ届く。見つめ返したまま、粘膜を擦り合わせた。 瞳に艶が浮かんで、されるがままだった相手の舌がねだる様にちゅくんとくねる。 唇を深く合わせながら、肌をなぞる指を動かした。

嫌とは一言も発しなかった。
代わりに何度も自分を呼んで、泣きながら鳴きながら縋りつく。

「南沢さん、みなみさわさん、みなみさわさ、」

余裕など生まれるはずもなく、理性は早々に飛んだ。 声を全く抑えない倉間というのは初めてで、文字通り貪って食らい尽くす。 意識を飛ばして落ちるのを見届け、時間の経過を思い知る。

布団へ寝かせて隣へ添うと、擦り寄ってぴたりとくっついてきた。
泣き腫らした顔を眺め、梳くように撫でる。さらさら落とす髪は瞼を避けて、そこへはキスを。

「ん、みなみさわさ…」

零れた呼び掛けに少し驚く。
腕が伸びて抱きつく動きを見せたのでそのまま背中に回させた。

「ここにいる」

寝顔に囁けば、穏やかな寝息が返ってくる。

「……よかった」

小さく小さく呟いた音は、安堵に満ちていた。


窓から差し込む光を感じてうっすら目を開ける。
腕の中の体温がないのに気付き、辺りを見回した。
一応自分も抱き返したはずだから、腕を外されたのだと思うと少しだけ微妙な気分になる。
視線を動かして相手を探す。
シャツ一枚でよたよた歩く倉間が片手で顔を押さえながら俯き気味に洗面所から出てくるところだった。
疑問を浮かべかけて、ああ、と思い至る。

「倉間」

呼びかけると微かにびくついて顔を半分隠したままこちらを見た。

「おはよう、ございます」
「おはよ」

挨拶して固まる相手を見つめていると慌てたように目を逸らす。

「あの、おれ、まじ、顔やばいんで」
「倉間」

呼びつける、声。逡巡するのは僅かな間で、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
大人しくぺたんと座り込み、それでも顔を覆う手をはがして口元に持っていく。

「起きんの待ってた。俺も寝てたけど」

皮膚を吸うよう口付ける。手の甲が震えるのに表情が緩む。

「今日は家から出さない」

指先を舐めて見据えると直に伝わるその動揺。
赤く染まった顔に満足して、粟立つ肌へ手を滑らせた。
一日は、思ったより長いということを思い知らせてもいいだろう。


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