食わず嫌い解消


これ以上近い距離もないだろうというところで相手の非難の声が飛んだ。

「ちょ、おまえ、目ぇ閉じろよ」
「え、これどのタイミングで閉じるもんなんすか」
「俺が知るか」
「開けてんのも気まずいけど閉じんのも間が微妙で」

素で返すと、聞いておきながら切り捨て御免。
更に今の心境を語ってみたところ、完全に焦れた様子で早口の命令。

「もう大人しく瞑ってろ、口は入れて欲しかったら開けてろ」

答えを待たず触れようとする唇に慌てて閉じる。 柔らかい。感想としては他に表しようがなかった。
すぐ離れたと思ったそれは、もう一度ゆっくりと重ねられた。

一回やれば二回も三回も、同じと思うには倉間は精神レベルが足りない。
そういう雰囲気になると無意識に身も竦むし落ち着かないし、とにかく恥ずかしいのだ。
未だ、どのあたりで目を閉じるかも掴みきれておらず、とりあえず目を瞑ったら、

「おねだり?」

だの言われて蹴りを放ったのも致し方ないことだと思う。
そんなこんなで流されて数週間、もはや自然に触れてくる手の動きに慣れてしまった現実を 生温く受け止めながら瞼を閉じ、触れたところである言葉が浮かび上がる。

――入れて欲しかったら開けてろ。

唐突に意味を理解した。触れる唇の隙間の奥、口内へ侵入する可能性を。
思わずきゅっと引き結び、身体を硬くする。
離れていく相手の顔は何か言いたげだったが、その時はそれで終わった。

しかし、一度でもよぎってしまうと拭えないのが思い込みというやつである。
キスの雰囲気になるたび動揺し、逃げ腰になることが多くなった。
最初は流していた相手も繰り返せば気になるどころか機嫌を損ねてしまったようで、 とうとうある日、直球が飛んでくる。 いつものように引き寄せられて顔が近づき、唇に力が入った、その時。

「…なんかお前最近引きつってねえ?」
「や、その」
「………嫌ならしないけど」
「ちが!」

仰る通りの態度に言い訳はしづらく口ごもる。 それを違う意味で受け取って、思ってもないくせにそれはもう不機嫌に相手が言う。 つい反射的に声を上げて、ぱっと口元を押さえた。
見据える視線が強くなる。なんだよ早くしろよいいから言えよ、拗ねの視線だった。

「いや、だから」

顔を斜めに背けると顎が掴まれたので勢いで撥ね退けた。 しまった。思うのと相手の顔が歪んだのが同じだった。
これはやばい、非常にまずい。確実に傷つけた気がする。
触れていた手が離れていくのを感じて慌てて口を動かす。

「し、舌、入れられるかと」
「は、」
「思っ、て……ちげーよ待ちじゃねーよ肩掴むなバカ!!」

勇気を振り絞って言ったカミングアウトは相手の一瞬の硬直を生み出したかと思うと、 やり場のない恥をどうするか迷う自分へまっすぐ顔を寄せてきた。 再度掴まれた肩はしっかりと固定され避けられない逃げられない。
真顔で近づいてくる南沢の唇が薄く開く。跳ね上がる鼓動。

「無言はやめろやめてください、ちょ、洒落にならなっ!、ん」

開いたまま塞がれた唇はお約束というべきか。
吐息を感じるより早く舌が伸びてきた。 口内を軽くなぞった温かいそれは萎縮しかけた自分の舌を宥めるように絡め取る。 びくつく肩を手のひらが撫でて、擦れる粘膜が小さく音を立てた。 鼻から息が漏れ、絡む舌は軽く吸い上げる。助けを求めるみたいに相手の衣服を、掴む。 それが合図になった。利き手が後頭部へ回り、ぐっと押さえ込む。 深く合わさった唇に息を詰めると舌の腹を強く擦りつけられ、ざらついた面から水音が鳴る。 くちゅくちゅ聞こえるその響きが耳からも責めてくるようで背筋に震えが走った。 逃げそうになる舌を開放してくれるわけもなく、更に絡ませて強く吸われる。

「っ…ん」

甘い音が鼻から抜けた。自分が零したと思えないその甘ったるい何かに混乱する。
それを聞いた瞬間、頭を押さえる手の力が増した。
窺うような動きは既になく、舐め回し蹂躙する舌に抵抗などできもしない。 一度だけ離した合間の息は荒く、薄く滲んだ視界で強い瞳がぎらついていた。 あ、と思っても声にはならずまた塞がれて、今度は相手の口内へ引き込まれる。 舌がどこへ当たっても自分じゃない温度の粘膜。南沢の舌であちこち押し付けられて、唾液と共に喉が鳴る。

「ん、ん、」

縋る指が皺を作る、握り込んでも助けるどころか懲りずにまた舌を絡めてきた。 十分に水分を含んだそれは先程より耳に辛い音を響かせ、じゅる、と吸い上げたのちにようやく、 名残惜しげに離れていく。

「は、…は、ぁ」

息も絶え絶えに呼吸を繰り返し、凭れかかる。 唇をちろちろ舌先で舐める相手が息で笑った。
涙も拭えず睨みつけると、濡れた口元で弧を描く。 細まった瞳は悦に入って色が濃い。睨めば睨むほどその色は深まる。 指で目尻を労わるように撫で、至近距離で囁いてきた。

「ごちそうさま」

手を掴んで噛み付いた自分はけして悪くない。


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