お隣はいくら? 「倉間ー!」 「おー、いま行く」 汗を流して着替えも終えて、さて帰るかと言ったところで友人の声がかかる。 自分より早かった二人へ向けて視線を向けると予想外の台詞が返った。 「おさき!」 「お疲れ様です!」 「え、ちょ」 片手を上げる浜野、頭を下げる速水。呼び止めるより前に二人は駆け出し、あっという間に扉の外に消えた。 置いて、いかれたらしい。何故。 すぐに聞こえる違う声。 「帰るか」 ぽかんと見送るしかなかった倉間の隣にいつの間にか立ち、南沢がおもむろに言う。 状況についていきかねる。 とにかく帰ることに変わりはないので仕方ないから一緒に帰路へつく。 会話の切り出しに若干迷った矢先、鞄の紐を直しながら口火が切られた。 「買ったから」 「へ」 「300円」 「何を」 「お前を」 角を曲がる、景色が少し変わった。 陰のある道へ足を踏み入れて思考が繋がる。 「はあ?!ていうかやっす!」 「見合ってたらいいわけ」 歩く横顔に変化はない。というか、なさすぎて逆に不信感がつのる。 思わず覗くような形で相手を見た。 「いや全体的に意味がわかんねっすよ…なんで俺のこと買うんですか」 「そりゃあ、欲しいから」 「はあ」 やはり自分を見ない。 言い切られても納得できず、答えの意味も図りきれない。 いつからこの先輩は電波になったんだろうと素で考え、ふとあることに思い至る。 「って、待てよ。南沢さん300円どこに払ったんすか」 「浜野」 「はあああああああああああああああ!?なんで!」 「や、速水でもいいけど近かったから」 「そうじゃねーし!なんでそこ!」 さらり流れ出た名前は先程走り去っていった友人たち。その理由はこれか、まさに元凶か。いや、根源はどう考えても目の前の男に変わりはない。そもそもなんで自分は小銭で引き渡されているのか。そして取引を持ちかける先、なのか。 ようやく目線を寄越してきた南沢は口を開けず、たっぷり数秒見つめてから、ぽつりと。 「俺が見る限りで、近い」 「ああ、そう…」 少しだけ、ほんの少しだけ低い声。いつもと変わらないように聞こえて違って届くその音に、なんともいえない気分になる。脱力した。そんなことで、と言いたい気持ちと、そんなだから、と伝えたい感情。どちらも正しく読み取ったのか、帰り道で初めて表情へ変化が見えた。話す内に元に戻った適度な距離感、さりげなく詰められる。こちらへ顔を寄せるように覗き込む、先程と逆だ。 「で、俺の?」 口元が僅かに笑う、目も笑っている。 思わず憮然とする。 「もう少しマシな何かないんですか」 「ん、じゃあ好き」 「じゃあつけんな」 あっさり下された結論に噛み付いた。顔を逸らす。なんだか腹が立つ。この流れというのは、釈然としないものがある。肩に手をやり鞄の紐を掴む。少しだけ、唇を噛み締めた。道が日向に出る、肌を焼く日差しは容赦がない。思案するような間を置いて、南沢が更に問う。 「じゃあ、をつけなかったらお前も言う?」 「ばっ……かじゃねぇの」 つい顔を戻して見てしまう。視線がぶつかる、言葉の勢いが落ちた。 「ふーん?」 首をこちらに傾げたまま、笑う相手。何もかも腹立たしい。 沈黙は短いようで長く、促されているのが痛いほど分かる。 ぎり、と奥歯を噛んでぼそぼそ口にした。 「……です、けど」 「けどつけんなよ」 笑う声。強く睨み返す。 意趣返しに堪え切れず、いっそガンつけながらぶちまけた。 「好きだよ!うぜえな!」 「好きだよ。可愛いな」 「っ…!」 満足げな笑顔、即座に与えられたもの。 息を飲む。ぱくぱく口を動かすが、それ以上言葉が出ない。 ちゅ、と頬に唇が当たった。 「これでちゃんと、俺の」 囁く声音に体温が、上がる。 「つまらないものですが」 次の日、部活前に声をかけてきた浜野は開口一番お決まりの台詞を吐いた。 差し出されたプラスチックの容器、平身低頭とまではいかないものの恭しく頭を下げて差し出された、それ。 ゴーグルと接触をニアミスしかけているのをツッコミたいけれどやめておく。 「お前さー……もういいけど」 溜息をついて受け取った。何がきっかけかどうしてこうなかった、今更言っても始まらない。 クソ熱い帰り道の拷問はともかくとして、怒るのも馬鹿馬鹿しかった。 ひんやりとした蓋を開ける。中を見れば、原型の残っているようでそうでない氷菓子の何か。 手に持ったそれを勢いで投げつける。 「溶けてんじゃねーか!」 「夏だからね!」 蓋は見事、クリーンヒットした。 本当に、割に合わない。 |