ほらほら零してはいけないよ


おもむろに伸ばされた指が髪を救い、自然な仕草で口付ける。密着していないが遠くもない、そんな距離で座る相手はやけに上機嫌で。

「よく飽きませんね」
「何に」

思わず口から零せば視線がぴったり合わさって柔らかい音が飛ぶ。あまりに緩んだその様子を見てどう返してやればいいのか。

「言う気も失せる」

呆れと脱力はちょうど半々、加えてそんな自惚れた台詞など言ったところで喜ばせるだけだから却下。染み付いた防衛本能のすげない返答はしかし、斜め上で解釈された。

「ああ、恥ずかしいか」
「アンタの頭がな」

気付いた、みたいなリアクションがひどく鬱陶しい。切り込む返しもどこ吹く風、ようやく髪から指を離したと思えば今度は梳くように撫で始める。続いて落ちた、少しの感慨。

「お前も流すの上手くなったから」
「は?」

反射で一文字、困りもせず静かに笑い、彼は言う。

「ちょっと意識するだけでガチガチなのも可愛いけど、」

覗き込む顔が近くなる、ただただ優しい、微笑み。

「弾かれ続けるとキツいし、それで楽なら別にいい」

遅れて届いた理解は一瞬で思考を掻き乱す。動揺と噛み付きでしか表せなかった頃、それでも倉間を一度も責めなかった相手。傷付いた表情をひた隠し、そして怯えを混ぜて、確かめるよう触れてきた。瞳へ浮かぶ憂いや渇き。知ったからには戻れない。慣れてしまった掌の感触、穏やかなその手つきだけは跳ねつけたことがなかった。

「ちゃんと受け取ってるもんな」

あまいあまい確認の声は、蕩けた笑顔と共に視覚も聴覚も浸食する。

「な?」

重ねた音は既に責め苦。
動けない倉間へ愉しさの乗った響き。

「ふふ、今の流れじゃ振り払えないか」
「このっ」

カッとなった途端、手首が取られる。

「からかってねえよ」

振り上げるより早く捕まった手の甲へ、柔らかな体温。愛しげに当ててきた唇は少しだけ吸い付き、言葉を紡ぐ為にそっと離れる。細まる瞳が逃げようとする視線を捕まえた。

「可愛がりたいだけ」

全身へ広がる甘い痺れ。取られた手指は絡められて、優しく拘束のていをとる。

「今日は受け止めといて」
「明日は弾かれてもいいみたいですね」

やっとのことで吐き出した反抗も、この状態では意味を成さず。表情を変えるどころか一層増した柔らかさが息の根を止めにきた。

「そういうお前を受け止めてるから」

完全に動けなくなって数秒、空いたほうの腕を動かしてゆっくり頬へ触れる相手。
満足を含んだ、囁き。

「ん、好きだよ」
「何も言ってねーし!!」

あらん限りの力で叫ぶ。身体へ込められないぶん、発言にてギリギリの主張。
そんなものは焼け石に水、承知の上でそれでも必死。撫でる掌の動きが止まる。

「倉間、いまお前どんな顔してると思う」

熱を帯びた声と、瞳へ宿る光の意味。震え上がる感覚を知っている。
耐えられなくて目を瞑った。もう抗える要素はない。
瞼と口元に入る力を見た彼が、どんな声を出すかなんて分かりきって。

「ああ、かわいい」

艶めいた睦言に、観念して唇を差し出す。


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