ゲームセットを高らかに 軽口を叩いて許されたのはいつからだっただろう。 人を寄せ付けなく見えたその先輩は案外社交性があり――あるからこそ取捨選択してるのかもしれないが――生意気と言われがちな倉間をあっさりと傍に置いた。 部活の合間、ロッカールーム、帰り道、関わる時間でのやり取りが日常となり、最低限の礼儀はありこそすれ随分と友好的な交友関係に思える。 「南沢さん(知ってたけど)ほんと残念ですよね」 「元々失礼なのに更に何か挟まってるのを感じる」 僅か空けた間に込めた気持ちを正しく汲み取って抗議する相手の視線。 鼻で笑うと全然怒っていない「こら」の声と共にデコピンが飛んだ。 「ま、長所と短所があってこそ人間ですし」 「何で上から目線なんだお前」 雑談交じりのじゃれあいはとことん平和で、分かれ道まで笑いが絶えない。 いつかの放課後、そんなに遠くもない記憶の一部。 当たり前がなくなることを考えもしなかった、時間。 停滞が打ち破られたのは学年が上がってすぐのこと。 よせばいいのにフィフスセクターへ反旗を翻した新入生はキャプテンや監督も巻き込んで風を起こした。 もちろん、部内は簡単に染まるはずがなく、倉間も南沢と今までの方法を選ぶ。 しかし一度動き出した歯車は止まらず、ついに監督は解任。新たに派遣された円堂は革命の旗を振った。 暗躍するシード、追い詰められる雷門の雰囲気。苦言を呈し、それでも静観していた南沢は背中を向ける。 去っていく背中の10番が、とてつもなく遠く思えた。 革命に参加する気など最初は欠片もなく、サッカー部を明け渡す気もなかった。 空中分解手前のメンバーがひとつになったのあの時、倉間を動かしたのはチームの誇り、雷門としてのプライドだけ。 帝国戦が終わり、彼の出来なかった必殺技を完成させた後輩は名実共にエースとなった。 まとまっていく安心感と、じわじわと滲むやりきれない悔しさのような不満のような何か。 自分のユニフォームの裾を掴んだ。 昼休み、どうも人と話す気になれず早々に昼食を済ませて席を立つ。 あてもなく校内をさまよい歩き、目的もなく図書室へ足を踏み入れた。 小難しそうな本ばかり並ぶ人気のない棚、ぼーっと背表紙を眺めやり、踵を返したところで目を見開く。 「倉間」 相手の驚いたような声に固まる。 部活を辞めた南沢とは随分話していない。あんな去り方をした相手にどう声を掛けろというのか。だが視線を逸らすのも負ける気がしてそのまま睨んだ。途端、ふっ、と笑う顔。 「相変わらず可愛くないな」 「は?」 言葉が全く理解できず反射で問う。 ゆっくり踏み出す彼が手を伸ばし、 「そこがかわいい」 くしゃり、と優しい仕草で頭を撫でた。一瞬で息が止まり、思考も停止。 手はすぐに離れ、笑顔をおさめたのち何事もなかったように棚の本を物色する。 動けない倉間を今度は見ずに、淀みない速度で歩いていく。 南沢と雷門で話したのはそれが最後になった。 転校の話を聞いて納得する。ああ、あれは別れの挨拶だったのだと。 本当に分かりづらい。 「めんどくせえ人」 呟いて、所有者のいないロッカーを殴る。 鈍い音が、響いた。 *** 再会は突然やってくる。心構えもなしに向かい合った憧れの先輩は知らないユニフォームの10番を背負っていた。 何も言わずにだとかふざけんなだとか思うことはたくさんたくさんあったけれど、試合の中で全てが弾ける。 ――アンタめちゃくちゃサッカー好きじゃねえか!! かつての仲間を敵にして、自分を押さえつけた側に与して、そこまで守りたかったものは彼自身のサッカーだ。 南沢へ応えて奮起する月山国光。がむしゃらにぶつかり合う本気の戦い。 そう、ずっとずっと、こんなサッカーがしたかった。できるなら、同じチームで。 結果は雷門の勝利で幕を閉じ、称える拍手に包まれ彼らは去っていく。 色合いの違う背番号が胸にちくりと刺さる。 もう、自分たちのエースではないのだ。 試合は満足したものの、なんとなく後ろ髪を引かれつつスタジアムを後にする。 バスの待つ駐車場へ向かう途中、横合いから突如掴まれる肩。 「!?」 驚くうちに視界が回り、対面したのはどこか不機嫌な南沢。 木陰の辺りまで腕を引かれ、そこでようやく口を開いた。 「久しぶりなのに何かないのか」 「アンタが言うか」 敬語もへったくれもない即答のツッコミ。 自覚はあったらしい相手は呻く手前の音を漏らし、掴んでいた腕を放す。 やや迷う素振りのあと、頼りなさの滲む声がぽつり。 「勢いでいかないと、のがすと思って」 少し逸らす視線にイラついた。 「なにを」 「お前」 言うと同時、睨む倉間を見据えてきた瞳は必死さが浮かび、 「寂しかったよ、おれは」 ひどく自分勝手な感想を叩き付けた。 頭が真っ白になり、罵倒が出てこない。 メンバーの呼び声が遠くに聞こえる。少し前を歩いていた浜野と速水がきっと探しているのだろう。 時間切れを察知した南沢がそっと距離を取った。 「あ、」 思わず声が零れると、いつもの表情で薄く笑う。 「まだこっちにいる」 試合も見たいしな、だとか呟く彼は思い出した様子で付け加える。 「アドレス変わってないから」 *** 自分から連絡するのも癪なので放置してやろうかと思ったが、相手はなかなかに図太かった。 『電話できるか?』 試合の数日後、久しぶりに来たメールはまさに直球。 窺いもなくかけてくれば倉間だって無駄な葛藤をせずにすむのにそういう律儀さが恨めしい。 たっぷり10分は悩んでOKの返事を出すとほぼタイムラグなしにコールが鳴る。 「…………はい」 「おい、出といて間を取るのやめろ。焦るから」 諸々の気持ちを込めて舌打ちしたら、思いのほかよく届いたらしく相手が一瞬無言になる。 「わかった、とりあえず用件を言う。顔見て話したいから、時間をくれ」 「はい?」 「俺の家、いるから。次の日曜日、昼過ぎ集合」 集合も何も二人だろ、と突っ込む前に通話が切れる。 なるほど、電波では殴りようがないから直接いこうと本気で思った。 決戦の休日。内容はともかく友達でなく先輩の家というのは若干緊張する。 親御さんへの挨拶をシミュレーションしつつインターホンを押したら本人だったのでやはり舌打ちした。 どうやら両親とも留守だそうで、それはよかった心置きなく殴れますね、と言いかけて留める。 案内された部屋でお茶まで出され、机をはさんで向かい合う。 どうするんだこのあと的気分になってきた頃、ちらり視界をよぎるユニフォーム。 それはつい最近彼が身にまとっていた現在のもので、自然と目線が険しくなった。 倉間の変化に気付いたか、南沢が口元を笑みに。 「そんなに俺が気になる?」 「っ、」 奥歯を噛んだ。ぎりぎりと食い縛り、指を滑らせたフローリングに爪を立てる。 「かーわいい、お前」 あの日と重なって、右手を勢いよく振った。 握るグラスの中身がぶちまけられ、麦茶をまともに浴びる南沢。 ぽかんとした顔は一秒にも満たない。肩まで濡らし、髪から水滴を落としながら、彼はくつくつと笑う。 「殴るかと思ったのに」 「ふざけんな!!」 机を両手で叩く。 そうだと思った、そんな気がした。 この男は、自分へ機会を与えたのだ。 「好き勝手やって、自分だけすっきりして!そうやってアンタは満足なんだろ!だけど俺はっ、」 過去にされた、通過点にされた、培った時間も信頼も憧れも、全部が全部。 「俺は積み上げてきたものとか全部無駄だったみたいに思えて……っ」 戦力になるべきFW、2TOPの誇り、心に刻んだ大事な軌跡はあっさり塗り替えられたのかと。 「悪かった、悪かったよ」 痛ましげな相手の声。滲んだ視界で泣いているのだと気付く。 自覚してしまえばただ、あふれる涙が止まらない。 少し焦ったような南沢が机にぶつかりながら近寄って腕を伸ばす。 「辞めたことは後悔してない、選んだのは俺だから。でもひとつだけ、これだけはお前に」 抱き寄せる力、伝わる体温。まだ濡れている相手の髪が冷たいのに、ひどく熱いのは鼓動のせい。 「置いていって、ごめん」 耳元で囁かれた言葉に、今度こそ声を上げて泣いた。 *** 「まだいるってこういう…」 「そういうこと」 革命選抜という名のドリームチームで再び現れた先輩は得意げで、なんだか蹴りたくなった。 ありがたい後押しで雷門は活気付き、新たな決意で前へと進む。 革命の風は奇跡を呼び、自由なサッカーが解き放たれる。 ホーリーロードが終わって役者は解散、各地に戻っていくのは南沢も同じ。 最後になる合同練習の目前、また連れ込まれた彼の部屋にて。 「春には帰ってくるから機嫌直せよ」 こともなげに告げてくる内容は青天の霹靂。 「お前、この時期に決めてないとかあり得ないだろ」 「じゃなくて、帰ってくるのにわざわざ転校したんですか」 引退後は受験一色うんぬんの世知辛い話は問題じゃない、そういう世間一般の当たり前はどうでもいい。 三年生の残り僅かなサッカーを後悔しないためだけに、彼は反発を選んだのだ。 「ばかですか」 真顔で呟く。 もしかしたらそのまま向こうにいるつもりが和解によって進路変更、なんてこともあるかもしれないが、倉間の言動に微笑むだけなあたり末恐ろしい。 「お前の進路がどうなるにせよ、会いたかったら会えるぞ。嬉しい?」 「うっぜ」 それはそれは楽しそうな笑顔なのが、とてつもなく腹立たしい。 感情のまま引くが早いか、南沢が床を這ってにじり寄る。 「俺は嬉しい」 咄嗟に押しのけようとした手首を取られ、細まる瞳がうっとりと。 「減らず口はふさぐに限る」 近づくものを予感して目を閉じた。 |