二律背反


「お手」
「は?」

話の流れでもなんでもなく唐突だった。
ふいに差し出された手のひらに言われるまま自分の手を乗せる。
体温だ。それ以外の感想はない。お互いに数秒の沈黙。

「…するとは思わなかった」
「うっせえ!なんか反射的に出しちまったんだよ!」

弾くように腕を振り、叫びながら睨みつける。

「悪い悪い」

ちっとも謝罪の感じられない口調で笑う南沢に舌打ちをしてそっぽを向く。

「でもお前は犬ってより猫だよな」

気分を害した風もなく勝手なことを言い始める先輩は、今日に限らず自分勝手だった。
部活もそう、転校もそう、とにかく己の道を突っ走った挙句に爽やかな登場をされても鬱陶しい。
要は拗ねているわけだが、そんなものを主張しても失笑を買うだけだ。そういう相手だ。諦めの方が大きい。

「爪とか立てそう」

懲りずに続く話題にイライラしながら早口で零した。

「南沢さんのがよっぽど猫っすよ」

気まぐれに立ち寄り、また気まぐれに去っていく。
自分の弱みを見せようとしないし、気に入らないものには容赦がない。

「どこいくか、わかんね」

思わず出てしまった小さい本音に唇を噛む。
失言だ。そんな弱気を見せたところで百害あって一利なし、むしろ害しか思いつかない。
意地悪く歪めた表情を予想してちらりと見やるものの、返ってきたのは淡白な答えだった。

「ふうん」

目を瞬く。被害妄想?考えすぎ?それ以前に興味がない、自分でとことんまで思考を落ち込ませでもしないと続く反応が怖すぎる。
南沢は考えるような素振りを見せ、一度視線が宙を泳いだかと思えば至極自然に手のひらを向けてきた。

「さっきの今でやると思ってんのか」

素で喧嘩売ってんなら買うぞとばかり、低く呟く。
しかし相手はそんなことはお構いなく普通に口を開いた。

「や、そのまま反射的に俺のものになればと」
「はあ!?」

すっとんきょうな声を上げて相手を凝視した、が。

「…は?え?……え?」

さらにそれを見つめ返す形で視線を寄越された。
目線は外さない、外してくれない。無言のまま見られ続けるのはハッキリ言って拷問に近い。

――なんでそんなすました表情で眼力強ぇんだよ…!

うっすら汗を掻いてきた気がする。気まずい、物凄く、気まずい。
完全に怯えた様子の自分に鼻で笑う音。やっぱり遊ばれているんだと奥歯をぎりりと噛み締めた。
軽く口角を上げた南沢は差し出した手の指を誘うように動かす。
思わず一歩後ずさる。

「ほら、手を取れよ倉間」

びくん、肩が震えてもう一歩下がろうとする。
違う、これは脅迫だ。何気ない仕草に被せて、よくわからない挿げ替えをされている。
言ってることはめちゃくちゃ極まりなく、馬鹿らしいと一蹴すれば済む話なのに、それなのにどうしようもなく追い詰められてしまった。
結果には原因が付随する。だからといってすぐに認めるほど素直な性分じゃなかった。
踏ん張る足がとてつもなく重い。
南沢はその場から動きもせず、ただ手を向けるだけ。
実際、下がった分だけ少し間が出来たというのに面白げに笑う口元はさっきより…――

「はやく」

思考が言葉に遮られる。背筋を寒気のようなものが駆け上がった。

――だめだだめだこれはだめだ思うつぼだ負けるだけだ。

「倉間」

必死に抗おうと頭を振るも、追い討ちのごとく呼ばれた声に足元のバランスを完全に崩す。
もつれて転びかける寸前、腕を引かれて前のめりになる。
頬に軽い感触、当たったのは服の生地だと気づくのに数秒かかった。

「なんだお前、」

笑う声色がいつものようで、つい安心して顔を上げた。

「立ってられないほど俺に夢中?」

凄まじく後悔したのは言うまでもない。


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