一興とする価値


「そういえば今年、祭行ってないな」

壁に掛かったカレンダー、夏休みの残り少なさを否応なく示してくれるそれを眺めながら南沢が唐突に呟いた。

「俺は行きましたよ」
「いつもの二人か」
「いつもの二人です」
「浴衣着た?」
「一応」
「俺も見たいなー」

自称心優しい先輩の監修で予定より早く仕上がりそうな宿題から目を離さず事実だけ、淡々と続いた会話の流れから思わぬ切り込みに繋がった。
問いかけではなく独り言なのをわかっていて反応したのが間違いだったと後悔がよぎる。

「見たい」

気の抜けた伸ばす語尾はフェイクだったと言わんばかりにハッキリとした声。流すつもりで殊更手元へ集中したのがお気に召さなかったようだ。面倒くささを隠しもせずに溜息、次いで視線をちらりと向ける。

「祭、二回も行くとかどんだけ浮かれてんすか」
「浮かれたらいいだろ、俺と一緒なんだから」

呆れた。臆面もなく言い放つ相手にはネタだとか照れだとかそういうものは一切見受けられない。心の底から本気で思っているわけだ。

「……自信持ちすぎていっそ羨ましいです」

もはや嫌みにさえならない感想を進呈してシャープペンシルを投げる。 すると朗らかに笑いながら頭を撫でてくる。楽しそうで何よりだ。



数日後、タイミングの良い祭が存在してしまったが為に、ほぼ強制イベントで倉間は浴衣を着た。
待ち合わせ場所、早めに着いたにも関わらず相手の方が早い。遅れていないのに少し焦るのは上下関係の刷り込みだろうか。声の届く距離まで行くと、偶然向こうの視線が自分を捉える。

「待ちました?」
「いや、たいして」

軽く会釈しつつ問うと気にした風もなく迎えられた。答えながら視線は頭から足下へとゆっくり注がれて、再び顔へ戻ると満足げに笑みが浮かぶ。

「ん、かわいーかわいー」

撫でる手つきは至極優しい、まるで愛玩動物だ。

「いつもと扱いの差が見受けられませんね?」
「なんで?すげー嬉しい」
「あっそ」

申告通り上機嫌な南沢の声は柔らかい。自分の着ている浅黄を目の端で確認し、むずがゆい気分になる。頭から離れた体温がごく自然に手を取った。

「はぐれるから、ちゃんと手繋げよ」

釈然としない表情で握り返す。しかしそれは確かに正解で、屋台のある通りに出てしまえば連れと密着していない方が馬鹿をみると納得する。実際、浜野と速水で来たときも肩やら手首やらはぐれないように掴んでいたのだから。 混雑における余計な感情は早々に消え、一つ二つと出店をのぞき込んだ。フランクフルトを選んだ南沢がかじりながらしみじみとひとりごちる。

「昨今、コンビニでも食えんのに何で屋台のは食いたくなるんだろうな」
「かき氷とかどう考えても割高ですよね」
「倉間ー、クレープはレモン味空けてからにしろよ」

雰囲気に釣られて買う代名詞を口に運びつつ、目を留めるとダメ出しを食らう。そんな浮かれた子供じゃあるまいに。

「一気に買いませんけど!アンタ保護者ですか」
「うん、そう」

突っ込みに即答のいい笑顔。
合流してからここまで、本当の本当に機嫌が良すぎる。
というか馬鹿にされている気分にもなってきた。この男はなんなのか。

「不満?」
「別に……」

自分のあからさまな態度で聞いてくるのも嫌がらせに思える。氷のシロップ漬けと化してきたものを傾けて飲み込む。甘ったるい味が喉を通り、眉を寄せた。

「倉間、かわいい」

突如、落ちてきた囁きに目を見開く。
空になった発泡スチロールの器を歪ませ、唇を噛んだ。

「…アンタ、やっぱ変わった」

ゴミを捨てるため人の波から外れて進む。簡易のビニール袋に投げ入れるとぴったり着いてきた南沢が手を伸ばしてくる。思わず身構えた矢先、むに、と頬がつままれた。

「向こう行ったからとか考えただろ」

表情が消えていた、息を飲む。途端に固まって動けなくなった自分を静かに見つめ、指を離してふっと笑う。

「お前と居られるからだよ」

言うと同時、穏やかな顔が打ち上がる夜空の花で照らされた。

「あ、花火」

一度だけ振り返った相手は隣に並び直し、目を細めて顔を寄せる。

「両思い、だろ?」

ぱくぱく口を動かすしかない倉間にいたずらっぽく視線を飛ばし、ほら、花火、だなんて促した。見ている、確かに見ているけれどそれどころじゃない。 小規模ながら見事なものだった打ち上げも終わり、屋台の喧噪が再び大きくなっていく。祭を堪能した南沢はうんうんと頷き、思い出したように声をかけてくる。

「クレープ買う?」

しつこいと言いたい。

「アンタさあ、そんな一人いっつもすました顔して…」
「んー、」

文句は間延びした音に遮られ、ゴミ袋のさらに向こう、暗いからよく見えなかったが境内に向かう道へと手を引かれた。少し入っただけで雰囲気がまるで違う。二人きりになった現状に居たたまれなく、手を振り払った、つもりが引き寄せられる。 音もなく触れる柔らかい体温、初めてでもないそれが何だか分からないはずもない。一気に顔に熱が集まった。

「俺、今日めちゃくちゃ楽しいの、なんでかわかる?」
「さ、さっき、聞いた」
「そ、わかってんだよ、お前」

覗く瞳は、まっすぐに捕らえて離さない。上擦る声でなんとか返せば、よくできましたの態度で表情が和らぐ。

「ただ、ちょーっと素直じゃないだけで」
「言い方に悪意を感じる…」
「あと俺は浴衣の感想も聞いてないな?」

再度の不満を押し退けて向こうの要望が被せられた。
上品な藍色の生地はしつらえたように似合っている。

「欲しいんですか」
「そりゃあ折角着たし、お前に見せるためだろ」
「っ、だから、その、そういう…っ、」

半目で問うたのに涼しい顔でまたもさらりと。 一旦落ち着いたはずの頬の熱がぶり返して手の甲で顔半分を隠す。
じ、と見てくる相手に引く様子はまったくない。 何度か口元をぐりぐり押さえ、根負けして最低限の吐き出しで誤魔化す。

「南沢さんなら何でも似合いますよ」
「ふっ。どーも」

堪えきれず吹き出したのち、くしゃりと乗せられる掌。
せがむ割にそれでいいのかと自分で言っておいて解せない。

「クレープ買います」
「おっと、」

言い切って隣へ移動、瞬く相手に視線を合わせる。

「他にも、買い込んで、」

払いのける形になった手を伸ばして掴み、自分から、繋いだ。

「そんで、ゆっくり食べたいです。浴衣で」

最後の言葉が、ぽかんとした顔を鬱陶しいものに変える。
甘く、ねだるような音が囁く。

「独り占め?」
「俺のためなんでしょ」

答えを受け、いっそ艶さえ乗せて微笑む表情。
繋いだ指へ愛しげに唇が寄った。

「そうだよ、お前のため」


戻る