防波堤の不要を伝え 都合が悪いとテンパりだす。テンパればテンパるほど暴言は重なる。普段のあしらうような返しはもはや手馴れた躾のようだが、あいにくそれでめげるような性格でもなくだからこそ倉間も安心して言葉を吐き、自分は笑って日常が構成されるんだろう。知っている、少しの間で不安げに揺れるその瞳を。知っている、今日も大丈夫だったとでも言いたげなその表情を。わかりやすい、正直腹が立つほどにこの後輩の態度は分かりやすかった。それならば何故、どうして、そこまで頑なに。喉の奥から込み上げる渇望をその場の反応で何度も凌いだ。これだからやめられない、と。まるで中毒のような、感情。 「や、近いんで、ほんと近いんで」 「いつも近いだろ」 「いつもとかじゃないんでマジで」 俺が寄っていくだけ後ろに下がろうとするが、立ってるんでもなく座って後ろ手をついてしまった体勢じゃ無理がある。 「なんでお前いつもいきなり照れんの?」 「近いっつってんだろ!」 覆い被さるよう覗き込んだ途端、繰り出される利き手。けして遅くもない勢いのそれを掴んで止める。いつもは受けてやってる――とまではいかない部分も結構あるにせよ、それで気が済むなら、とも思う。リアルに食らってる率の方が高いのは自分が甘いとかそれだけじゃないはずだ。こいつ瞬発力あるしな。しかし今日は駄目だ、逃げ場はやらない。止められたことでびくついた表情に満足して更に顔を近づける。 「近いの、嫌なんだ?」 へぇ、と落ちた呟きは我ながらわざとらしい。瞬間鋭くなった目つきに蹴りの気配を感じ、キスの手前まで唇を寄せた。目を見開いて固まったのを確かめ、表情を緩ませて笑いかける。殊更ゆっくり頬へ触れ、指でくすぐり、ぴくん、と震えるのを観察した。硬直から動揺に移行したのを表情が分かりやすく伝え、逃げるように視線が泳ぐ。触れそうで触れない距離で振り払いもせずに黙るだけ。首を竦めて視線を伏せると蚊の鳴くような声で言った。 「す、するなら、しろよ……」 背筋へ走る愉悦めいた何か。普段ならこれで勘弁してやるところだが、それで終わると安心してる部分がこいつにはある。可愛い可愛いひねくれ具合は確かに許容しているものの、別の部分を望むのは我侭じゃないはずだ。 「俺のこと好き?」 「はあ?!」 追い討ちをかけるように問いかければ、すっとんきょうな叫び声。まだまだ元気だな。 「すき?」 「し、知ってんだろ!」 「そうだな。で、好き?」 「〜〜〜〜〜〜〜っ!」 畳み掛けると勢いが殺がれ、ついには黙り込む。いや、声にならずに睨み上げるが正解か。染まった顔は赤く、瞳は僅か滲んでいて、泣きそうだなと頭の隅で思う。何に追い詰められてるんだお前は。むしろ崖の端にいつもいる気分は俺の方だ。 「言えない?言わない?まあどっちでも俺には大差ないけど、言葉として出ない限り」 触れていた指を浮かして離す。口元の笑みが自然と消える。 「お前、俺に言った?わかりやすく」 たったひとこと、されどひとこと、欲しがるのは至極簡単な肯定だけ。 「言った?」 告げたと同時、倉間が身を引いた。手首を掴んでいるから限界があるのに無理矢理距離を取る。俯くだけの空間を作り、唇を噛んだ。 「倉間?」 思わず呼びかけると震える声がぽつり。 「い、やだ」 「ん?」 「いったらとまんなく、な、…っ」 声が途切れて涙が落ちた。下を向いたせいで顔は見えない。 「ちょ、おま」 慌てて顔を上げさせる。いやいやいやいや、泣くところじゃないだろ、それはおかしいだろ。溜まった涙が目の端から零れ落ちて、マジ泣きというよりは堪え泣きだ。とにかく手首を離して袖で拭ってやる。ぐずついてる程度だから、まだ話は通じるかもしれない。触れた途端、ぼろぼろ溢れてくる雫に溜息をつきたい気持ちになりつつ、それをしたら悪化しそうで何とか抑える。その代わりに言葉で示した。 「お前さー、泣くほど好きならその二文字を言えよ。俺、何回言ってんださっきから」 後半はもはやぼやきに近い。掌で頭を軽く撫でると、少し鼻をすする。しばらくぐすぐすとなる倉間に手近にあったティッシュを箱ごと渡してやり、落ち着くのを待った。そうしたら今度は我に返ったおかげで居た堪れなくなったのか、ちらっとこっちを見ては視線を外し、うう、と零す。唸りたいのはむしろこっちだからな、どう考えても割に合わない、俺が。もう宥めるしかない現状に諦めモード、結局許してしまう自分の甘さに一番呆れつつ頭をぽんぽんとしてやった。視線はやっぱり明後日のまま、倉間が太腿あたりのズボンを握って口を開く。 「…き、」 「ん?」 聞き取りきれない音を拾おうと覗き込む。布へ皺を作って顔を上げたと思えば、未だ濡れた瞳でまっすぐ見つめる。 「すき、すげぇ好き、全部好き、アンタしかいらない、めちゃくちゃすき」 ぽつぽつぼそぼそ零れ落ちる、それは攻撃だった。身動きも取れなくなってしまった俺を置いて繰り返される、感情の嵐。すき、すき、すき、と小さく呟きながらまた俯いていく、声が心なしか怯えている。はた、と気付く。これはまた泣く。 「ストップストップストップ、わかった、ありがとう、わかった」 落ち着けの意を込めて口を動かす、手も前に出す。びくん、と揺れて停止した倉間はかたく唇を結んでいる。またなにを勘違いしたんだお前は、いいから落ち着け。 「おまえ、ちょっとこっち見てみろ」 肩へ触れる、逡巡するように動かない。 「いや俺も正直抵抗あるけど、思い込むくらいならいいから」 自分から見てくるのをやりきれない気分で待つ。言い方に疑問を持ったのかそろりと視線を上げた倉間は再度目を瞠った。泣いたせいで赤かった部分以外も一気に染まる。 「あ、あの、」 「おまえが恥ずかしいなら俺だって恥ずかしい」 もはや開き直る。熱くなった顔がどんな状態かなんて鏡を見るまでもない。狼狽した倉間がゆるくかぶりを振る。 「だって俺、マジでうぜえ…」 「なんで。かわいい」 「な、」 「可愛い」 見られてしまったのなら抑えることもなかった。絶句するのも可笑しく思えて、目を合わせたまま囁きかける。 「溜め込むとこおかしいだろお前。それこそ見せろ、全部見せろ」 余すことなく、この手のうちに。 「お前にいらないもんなんてあるかよ」 言い切って一秒、倉間が後ろによろめいた。腕を伸ばして抱きとめる。 「おっと」 「…………しぬ」 顔を埋める形となって、聞こえてきたのはくぐもった音。 「じゃあ俺のために生きてもらわないとな」 髪に唇を寄せて言葉を落とす。擦り寄る感触、背中へ腕が回された。 ぎゅうう、としがみついたのち、おそるおそる顔を上げる。 「俺にも、ぜんぶください」 ねだりながらも、しっかりとした視線。 ふっと微笑み、額を当てた。 「当然」 |