灯台下暗し


「やめようかなって、思って」

考えに考えに考え抜いた長文の言い訳というか理由というかそういうものは、 実際話す段になると意味を成さないもんだったりして。 しどろもどろ何とか喋り終えた最後の締めはどうにも情けない感じになった。
思って、てなんだ。言葉が終わってない、更に続くみたいだ。
最早いっぱいいっぱいの俺が完全に視線を落としかけた時、それまで黙って聞いていた南沢さんがやっと喋る。

「ふーん」

字面に起こすと間抜けだろうと思うくらい、物凄くどうでもよさそうな音だった。
僅かに目線を戻してみれば、すました顔に何の変化もなく、本当にただ聞いただけといった態度。
あ、こんなもんなのか。そんな風にするっと入る。
ショックだとか悔しいとか――切り出した側が受け取る感情じゃないかもしれないが――そういうものは一切なく、
ただ純然な事実として自分の中で納得した。

俺は割と、自惚れていたんだ。

次の日、放課後になってもスッキリするようなしないような気持ちを抱えていたので、練習の前に現実逃避で過去を振り返ってみる。 つってもそんなに前の話じゃない。あれは確か、じゃれ合いの延長みたいなもんだった。
最初は取っ付きにくい偉そうな先輩だと思ってた南沢さんは、案外打ち解けてみればノリのいい人で、 気の置けない仲になるのにそんなに時間はかからなかった。
その時も、最後まで居座ったロッカールームでだらだらとだべっていた気がする。


ベンチに座って一息、後ろ手をついて反ろうとして、背中がぶつかった。
背もたれのないタイプが並べてあれば起こらなくもない、とはいえ自分たちしかいないのに
そうなるってことは明らかに故意だ。何がしたいのか聞こうとしたら、ぐぐぐ、と体重がかかる。

「おもいおもい重い重い」

前のめりになるくらい凭れかかられて微妙に苦しい、そして痛い。
段々しんどくなる声にウケたような笑いが落ちる。本当に何したいんだこの人。
体重をかけるのはやめたものの、凭れるのはやめてくれなかったんで、諦めてその体制のまま会話する。

「アンタ、あんま他で迷惑かけないでくださいよ?」
「保護者か」
「だーから、後輩弄りも大概にしろっつってんです」
「お前にしかしない」
「イジメかよ」

ふと、背中の重みが消える。肩越しに振り向こうとして横から覗き込む顔とかち合った。近い。
ベンチに片膝を乗り上げた南沢さんは顎を肩へ乗せて囁きかける。

「違うだろ倉間」
「何が」
「よそで甘えんな、だろ?」

反射的に裏手が出た。

「いてっ」

べち。想像以上に間の抜けた音が鳴って相手の頬へ手の甲が当たる。
斜めに入ったのできっと思ったより痛い。患部を押さえながら被害者が睨む。

「おま、けっこうモロ入ったぞ」
「ですよね」

悪びれなく答えると、わざとらしく落胆した表情を作る。

「こんなに面白……可愛がってんのに」
「あからさますぎて突っ込む気も起きねー」

芝居がかった口調は逆撫でする方向にいったらしいが、そろそろ相槌を打つのも疲れてきた。
会話を投げ始めた俺に気分を損ねるどころか笑みを浮かべた先輩は、満足そうに言う。

「お前のその生意気なとこが好きだ」
「俺もそのイラッとするとこ嫌いじゃないですよ」

口の端を上げて返してやったら、今度こそ肩を掴んで引き寄せられた。

「じゃあ付き合うか」
「頭大丈夫ですか」

脈絡は、なかった。


始まりが平坦なら終わりも起伏がないもんか、そんな風に考える。
起伏の全くない別れ話は通学路の分かれ道で自然収束した。
じゃ、と片手を上げるのに軽く頭を下げて、お互いに背を向け歩き出して、終了。
何の後腐れもなかった、綺麗な引きだった。
そう思いつつ、やはりどんな顔をして会ったもんかと逡巡した結果がこれだ。

「おい、ボサッとすんなよ」

いつもの練習、いつものメニュー。こなしていくのは当然だ、ペアを組むのも異論はない。
あまりに自然すぎてキョドるくらいには南沢さんが変わらなかった。
でもその方がいい、いいに決まってる。
サッカーは勿論続けていきたいし、一緒に駆けるのもどうせならこの人が良かった。
じゃあ何でと聞かれたら答えに困る部分もあるにはあるが、何も支障がないなら十分だ。
十分な、はず、だ。

しかし、だがしかし、あまりに何も変わらないのは意味がないんじゃないか。っていうか意味ねえ、マジで。
相変わらず一緒にも帰るし、いや先輩後輩で帰るのはいいけど、なんだ、なんか、おかしい。
頭をぽんと叩くのはセーフ、肩もセーフ、肩を組むのは?ハイタッチは?スキンシップの度合いを確かめる。
抱き寄せるのは、抱き締めるのは、当たり前のように指が顎にかかるのは、レッドカード。

「あの、改めて言うのもすげー気まずいんですけど俺ら、別れましたよね?」

人気のないサッカー棟、部室で腕を引かれ視線を絡め、気がついたら唇が触れていた。
ゆっくり離れる間も見つめたまま、やけに遅く感じるそれを振り切って、混乱する頭で言葉を並べる。

「いつ」
「いや、いつって…」

前と同じ無表情で言い放たれたのは簡素な二文字。 疑問系じゃなく、詰問に近かった。
話が通じてなかったのか?いやでも結構ちゃんと言ったはずなんだけど。
困って言い淀む俺を一瞥し、更に抑揚のない音で台詞が続く。

「俺、同意したっけ」

はい?と口にしかけて思わず固まる。
目が、笑っていない。さっきから南沢さんの目に感情が、見えない。

「お前の言い分は聞いた。それだけ」

抱き締める片腕はそのままに、顎を持つ指が頬を撫でて掌が包むように触れてくる。
引っかかっていた記憶の隅から引っ張り出す。そう、あの話をしたときも、こんな顔をしていたかもしれない。

「聞いたけど頷いてないし返事もしてない。よって成立するわけがない」
「滅茶苦茶ですよ」
「俺ルール?上等」

口元を歪め、ハッと笑う。ようやく感情の灯った瞳はぎらついていて、炎のよう。
覗き込まなきゃ分からない程の深くで、静かに静かに燃えていた。

「お前にそんな選択肢やらねーよ」

肩に滑り降りた手が、指が強く訴える。掴まれる強さに感じるものと、僅かに滲んだ相手の怯え。
ようやく理解する、納得する。俺が自惚れてるとか、適度な距離だとか、ジレンマだとかそんなもん最初からどうでもよかったんだ。
南沢さんの中では1か0どころかそもそもIFもORもない。
この人は、なんて、なんて、なんて、

「……めんどくせぇ」

心の底から吐いた溜息は、すぐさましっかりと飲み込まれた。
なにに、なんて説明する気も起こらねえ。


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