悪気とは無縁 それは何の気なしに放たれた台詞だった。 少なくとも、聞こえとしては。 南沢さんというのはどうもすかした先輩で、若干ナルシストも入ってんじゃないかとネタにされるくらいにはそういう人だった。 つまり、自己中心。そんなの自分が言えるもんでもなかったが。 よく鼻で笑うし、口の端上げる笑みとか嫌な奴のテンプレだし、でもノリは悪くない。 三年生は仲が良かった、見る限りは。軽口を叩き合いながらフィールドへ向かい、ホイッスルが鳴れば表情が切り替わる。 好きだった。そんな、雷門サッカー部が。 「お前泣かねえの?」 耳を疑う。脱ぎかけたユニフォームを二の腕に引っ掛けて、声のしたほうを振り返った。 どうやら空耳ではなかったらしい。一足速く制服へと着替え終えた南沢さんが答えを待つようにこっちを見ている。 シャツに腕を通しながら視線をそらした。 「随分堂々としたイジメっすね」 「は、」 馬鹿にするような笑いとともにロッカーが閉じられる音。何がしたいんだこの人。 別に嫌われては、ないはずだ。FWとして並び立ってそう短くもない。 軽いお喋りだって寄り道だって、皆で二年生を交えてたまには二人で、仲良くやってきたように思う。 ただ南沢さんは掴みどころがない。何を考えているのか分からないことが多い。 よくわからない気まずさのままボタンを留め終わり、自分の鞄を取り出すと突然肩を掴まれた。 疑問が浮かぶ前に背中に衝撃、反転した体がロッカーに押し付けられたのだと知る。少し痛い。 文句を言うつもりで口を開けかけ、見下ろす視線に竦みあがった。 感情の読めない、ただ物凄く強い、瞳。思わずごくりと唾を無意識に飲んだ。 こっちの反応に幾らか満足したのか肩を掴む手を離してロッカーを軽く叩き、さらりととんでもないことを口にする。 「俺のことで泣けばいいのに」 なんとも傲慢だとその時は思った。 結局、意味不明だったのは一度きりで次の日にはまったくいつもの南沢さんで、問い詰める気にもならなかった。 遠まわしに嫌いだと言われたのか、それ以前に発言がある意味直球すぎて本気で理解に苦しむ。 そんなこんなで過ごしていく日々は変わらないんだと、当たり前のように、当たり前と、思わないはずがない。 新しい一年に新しい監督、フィフスセクターへの反旗を翻した革命を、南沢さんは受け入れず辞めた。サッカー部を去った。 放課後、ユニフォームと制服ですれ違った時も一瞥をくれただけで興味もなさそうに歩いていく。 あの人にとってサッカーはなんだったんだろう、フィールドを駆けた高揚は嘘だったのか、ぐるぐる思い悩んでも現状が変わるわけもなく、 自分の憧れた10番は他の奴が引き継いでそしてそれを受け入れる自分も確かに存在して、あっという間にトーナメントは進む。 今の雷門ももちろん好きだ、ここまでやってきたのは全員の力だ。チームを誇りに思う気持ちは本物だ。 転校の話を聞いたあの時、想像していなかった訳じゃない。 違うユニフォームで向かい合う日が来ることを。 月山国光は強いチームだった。 管理サッカーを抜きにしても、メンバーの絆を感じられたし、そこにいる南沢さんは紛れもなく一員で。 ああ、この人は居場所を見つけたのか。それが認めたくない事実のひとつ。 あの人の熱いプレイを見れたのは嬉しい、力を出し合えたのは嬉しい。嬉しい、嬉しい、嬉しい。悔しい。 試合が終わった後のすっきりとした顔は、見たことのない表情。 神童や天馬が言葉を交わすのを確かめて、足早にフィールドを後にした。 一番最初に入ったくせに、もたもたしてたら自分が最後の一人になった。 まあ着替えもせずに椅子に座ってぼーっとしてれば当たり前かもしれない。 浜野や速水が何か言いたそうにしてたけど無視した。誰もいなくなってからようやく着替え始める。 シャツを着てズボンを履いたあたりでいきなり扉の開く音。デジャヴ。 「……お前遅いんだけど」 見慣れた学ラン姿の南沢さんがそこにいた。 「何で、制服」 「あと一年もないのに勿体無いとの思し召しだ。子供に発言権はなくてな」 短い問いに親切な答え。 肩を竦めて室内に歩を進める相手は変わらない。むかつくほどに、変わらない。 睨みつける視線を面白そうに受け止めると、嫌味な仕草で髪を掻き上げた。 「で?折角お前を待ってた先輩に対して言うことは?」 「勝手に待たれても知りませんよ」 「かわいくないなー、あんなに懐いてたのに」 すげなく返そうが意にも介さずにやにやと笑みを浮かべてくる。 黒い感情が渦巻いていくのを感じた。自分でも驚くくらい低い声が出た。 「うぜぇ」 吐き捨てるような声はロッカールームに静かに落ちた。 驚いた顔、見開く瞳はきょとんと、間の抜けた様子。 「っははははは!」 突如響いた笑い声にびくっとする。 目に見えて反応した自分に更にウケた南沢さんがくつくつと喉を鳴らす。 「お前、お前やっぱ面白いわ」 口元を押さえて笑い続ける相手が本当に分からない。 怒りむかつき諸々より疑問のが大きすぎて固まるしかなかった。 なんとか笑いをおさめて向き直った元凶は何をかっこつけたいのかまた髪を軽くいじる。 「さすがにあそこまですれば泣くと思ったけど」 その一言で合点がいった。 こいつは、この男は、俺が泣くところを見に来たんだ。 本気のサッカーをした後で!あんなに爽やかにメンバーと挨拶をしておいて! なんて傲慢さだろう、なんて奴だろう。 あんな日常のひとコマとしか思ってなかった発言をここまで引きずるとか気持ちが悪い。 意味が分からない、分かりたくない、この男を理解は出来ない。 「目的おかしくないすか」 「もちろんそれをメインにする訳ないだろ、棚からぼた餅風に期待したんだよ」 「十分最低じゃねーか」 ようやく振り絞った一言も、悪びれなく退けられる。 別にそこまで自惚れちゃいない、つかそんなもの主目的にされてもそれこそ天馬的に言うならサッカーが泣くってやつだ。 けど、だけどんなもん楽しみにされて遊ばれてここまで振り回されてる俺ってなんなんだ。 「わかった。いまわかった」 「何が」 「俺、アンタにからかわれる材料でしかないってことだろ」 「ちが、」 「違わねーよ!」 ロッカーを殴りつける、鈍い音。 憧れて憧れて憧れて、追いかけた背はあっさりいなくなって引き止めようもなくて諦めるしかなくて、次に現れたと思ったら敵側で! そういうドラマティックはいらねぇんだよ、嬉しくねーよこれっぽっちも! 遅れて滲んでくる痛み、手の感触についてくるように涙が零れた。次々に零れて視界が歪む。 もう南沢さんの顔は見えない。 「ストップ」 もう出て行け、そう叫ぼうと口を開き腕を振り上げたところで遮られた。 いつの間に近づいたのか、ロッカーに叩きつけるつもりだった腕がそっと押さえられる。 「手ぇ痛めるだろ、つか備品だし会場の」 歯切れの悪い様子で諭す南沢さんの態度が何かおかしい。 自由な片手で鼻を押さえてすすり、まだまだ涙の溢れるままギッと睨む。 困ったように頭を掻いた相手が実に気まずげに口を開いた。 「あー…その、なんだ。泣くな」 「はあ!?」 どの口が言うのか、どの口が! 音にするよりも早く表情で伝わったのか、落ち着けというジェスチャーをこっちに向けてくる。 神妙に、後悔するみたいな色を込めて南沢さんは言った。 「実際に見たら、想像以上に傷ついた。俺が」 「アンタかよ!!」 殴りたい。これは殴りたい。とりあえず全てをかなぐり捨てて殴りたいが利き手が捕まってるのでままならない。 いっそ蹴るかと頭の中で算段を取ったあたりでゲス野郎が溜め息をつく。つきたいのはこっちだ。 「生意気に俺の周りちょろちょろしてたほうが気分いい」 ちょろちょろは余計だっつの。もう突っ込むのも疲れてきて睨み続けているとふいに掴んだ腕が放された。 そのまま伸びた手は頬に当たり、緩やかに撫でる感触に瞬いているうちに耳元の髪を掻き上げられる。 近づいてくる顔。…顔? ちゅ。乾いた軽い音を立てて唇が触れた。無論目は開けたまま。 「!?」 「ん?もう一回?今度は目ぇ閉じろよ」 混乱して身じろぎすれば聞いたことない優しい声で囁いてきた。 思わず背筋が震える。 「ちげぇ!」 力一杯手のひらで押しのけると不服そうに眉をしかめる。不快なのはこっちだ馬鹿野郎。 やれやれとでも言いたげな表情で頭をわしゃわしゃと撫でてくるのを、何がしたいんだよ、な気持ちを込めて舌打ちするとまたむかつく顔で笑う。 「お前、俺のこと好きだろ」 再び頬に触れる、手のひら。 「はああああ?!」 「大丈夫、可愛がってやるから。倉間」 大丈夫でもなんでもない。精一杯、心外の意を叫んだのにどこ吹く風で顎に指をかける自己中男。 息がかかる、近い。今更だけど近い、睫長いなー南沢さんとか逃避してる場合でもねえ。 一度目を瞑って顔を寄せたあと、思い出したように目を開けて付け加える。 「俺は好きだけど」 けどってなんだ、そう突っ込めたのは塞がれた唇が開放されてからの話。 |