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割と鈍めの音がした。勢い余って振り払うにしては、いや勢い余ったからこそのヒットでガチで殴ったんじゃないにせよ、かなり痛い部類だったんじゃないかと思う。手応えがそう言っている。避けりゃいいのに避ければいいのに何故かこんな時だけ見事に食らってくれたりする南沢さんは不機嫌さを滲ませもしないで――逆に怖い、この人は表情のない時が実は一番怖い――視線を向けてきた。一気に慌てふためいて、大丈夫ですかと言いかけて自分で言うかと口を噤む。伸ばしかけた手を取られ思わずびくつく。

「すい、ませ、」
「じゃあ面貸せ」

反射的に目を瞑った。やっぱそれか目には目を、みたいなあれか。瞬間、顔中に入った力が抜ける。当たったのは手じゃなく場所も頬じゃなかった。柔らかさと感触で何かを把握した途端、押さえられたのは左肩。唇を合わせたまま息を飲む。音が伝わったのか笑う気配と抉じ開ける舌。抵抗なんて出来るはずもなく入り込む体温、そして粘膜の擦れ合う感覚。ざらついた面がしつこいくらいに撫でて、漏らす息さえ飲むように絡みつく。鼻から抜ける甘い音が逃げたい気持ちを呼び起こし、後ろへ引きかけて頭を押さえられる。

「っん、ぅ」

深く合わせられた唇、舐め回される口内が熱い。他に縋るものもなくて指を伸ばして相手の服を掴んだ。くち、と中だけで響く水音。背筋をぞくぞくと震えが駆け抜けた。息も絶え絶えに離された安堵で大きく息を吸う、伝う糸が落ちるのを見て舌先は口の端を舐めてくる。

「まだ、」

開いたまま塞がれて、先程より強く舌をこすられた。頭を掴む指が髪を掻き回し、それすらも感じる震えに変わって自分からほんの少しだけ吸い付く。応じるように動いた舌が何度も何度も優しく擦り、流れる唾液を飲み込む喉が鳴る。

「ぅ、ん、ん、」

両腕を首へ絡めてたことに気付いたのは、口外で舌先を離してからだった。

「…ふ、」

くたりと凭れ込み、荒く息をつく。頭がぼんやりする。乱した髪を整えるみたいに優しく撫でる手のひら。つられて呟く。

「てか、俺がよかったら意味ないんじゃ…」
「いいんだ」
「え」

ふうん、と値踏みするような笑みが浮かぶ。濡れた唇でやめてほしい。

「舌とか気持ち悪いって言ってたのに」

しまった、完全に油断した。
確かに言った、しかしそれは初回の話であってむしろ驚きの方が勝ったから思わず出たあれで、 それも分かってるくせにわざわざ掘り起こしてくる根性の方が殴りたい。 だが殴った、今日は既にやらかしている。 いまさっきすぎて勢いにも乗れない、的確な罵倒も浮かばないまさに打つ手なし。 形式的には謝罪からこうなったから何もできず睨みつけるのが関の山でガンを飛ばすも、 分かりきったように笑って肩をするりと撫でた。

「今日大人しくしてたら許してもいいけど」

囁く音程は、低い。肩が跳ねた。すっかり忘れかけていたがここはベッド、南沢さんのベッドだ。座ってじゃれ合って向こうのいきすぎたからかいを弾き飛ばしたが故の展開は最終的に同じオチに向かっている。奥歯を噛み締める、そっと押す力に抗えない。背中へシーツが当たり、指で布を引っかくように握った。覆い被さる体温に心臓が止まりそうだ。息のかかる距離で自分を覗く南沢さんが見てられなくてかたく目を閉じる。

「や、冗談だっつの」

軽い声に一瞬固まる、開けろと促される視界でおそるおそる確認すると僅か眉を下げて笑う顔。

「そんな怯えんなよ」

ぽんぽん。宥める手つきはとことん穏やか。そのまま起き上がろうとする腕を無意識に引き止めていた。驚く瞳。俺だって驚いた、ここであっさり退けるこの人に驚いた。押しが強いくせに拒否に弱い、わかってるふりしてわかってない、自己満足自己完結はお互い様だとそろそろ理解してもいい頃だ。

「やな、わけじゃ…っ」
「ふ、しってる」

掠れた言い分に柔らかい返事と額へのキスが落ちる。

――ああ、そうやってまたアンタは満足して、その反応で十分だと思い込んで。

まだ離れようとする身体を押さえつけるべく両手で肩を掴む。え、って顔してんじゃねえ。

「か、完全に抵抗つか、なんか言わない保証はできねぇけど、」

舌が上手く回らない、どもる声が微妙に上擦る。だけどまっすぐ見つめて言い切った。

「俺もしたい、です」
「……すなお」

止まった表情から柔らかく綻んで、嬉しそうにただ一言。慈しむよう指が伸びて、耳をくすぐったのち顔中に口付けが落とされた。


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