リベンジというほどでもない。


三月になろうが寒い日はとことん寒かった。
コートの有無を毎朝考えるのも面倒で、天気予報の予想気温を真面目に見るようになっている。
マフラーで耐えられるレベルであることに感謝しつつ、倉間は家路を急ぐ。
そんな義務もないのだが、いつぞやの二の舞は避けたい。
思い返す、今回の発端。

日曜の夜のこと、かかってきた電話に脈絡はなかった。
時計が十時を示す頃、ようやく切り出してきたのは分かりきっていた話で。

「こっちのが一日早いから」
「そうみたいですね、っつーか三回くらい聞きました」
「じゃあ気持ちを汲めよ」

遠まわしな催促に呆れた答え、結果は拗ねた開き直りときた。
その子供っぽさを何故ここで発揮するのか。
色々言いたいことはあれど、嫌なわけでもないので一度通話口を指で押さえてから息を吸い直す。

「卒業おめでとうございます」

噛み締めるような間のあと、ひどく柔らかい音が耳に届く。

「ん、ありがとう」

どんな顔をしているかまで瞬時に浮かんでしまって、心の底から舌打ちした。

受かったから戻る、とあっさりすぎる説明で済ませた先輩との約束は今日。
正しくは、指定で時間を空けさせられた。
何の構えもなく自宅前で待機されるのと勝手な都合で呼び出されるのはどちらかマシなのか判断に困る。
わかっているぶん、やはり軍配が上がるのは今かもしれない。
決めてしまえば行動の早い相手は本当の本当に卒業に合わせて引っ越してきた。
その原動力を突き詰める先が何かは考えないことにしている。考えたら負けだと思っている。
思考へ沈むうち、辿り着いた見知った家。呼び鈴を鳴らして待つ間もほとんどなく、上機嫌な南沢が迎えてくれた。 部屋に通され、飲み物を取りに行くのを立ったまま見送る。手持ち無沙汰感で一杯になる少し前、トレイを持った相手が戻った。
瞬きのち、口元が笑う。

「何で立ってんだ」
「いや、なんか……」

手にあるものを机に置いて自分へ近付く。なんとなう目を逸らしてしまう。

「緊張?」
「してませんけど」
「ふ、」
「卒業生は休みでも、こっちは授業まだあるんですよ」

また笑う気配にイラッとする。思わず早口で睨んだところ、相手がぽつり。

「ホワイトデー」
「は?」
「ちゃんと返したか?」
「そりゃまあ、貰ったからには」

手渡しは顔見知り、机のひとつにはカードがついていたので差出人はすぐ分かる。 何故か別クラスからだった後者はきっと友人の協力があったのだろう。女子のネットワークは広い。 というか、カードを添えるくらいなら直接渡せばいいんじゃないかと思った本音はさすがに抑えた。
イベント特有のふわふわした雰囲気は卒業式後の閑散とした校舎を幾らか別物に感じさせる。 あいにく、自分はその中で義理を果たしただけに過ぎないのだが。
ぼんやり思い返す思考から毒気は抜けている。刺々しさが消えた倉間へ南沢がもう一言。

「俺には?」

シンキングタイムはおよそ一秒。

「貰ってないしあげてもないですけど」

冷たさも温かさも遠慮もない素のツッコミが口をついて出た。

「常に欲しい」

聞こえた台詞は単体では意味不明だが、二月の記憶と照らし合わせれば通じてくる。
まったくこの男は。溜め息の選択肢を何とか押し留め、自分を見つめる瞳をちらり。
想定もしてないだろう発言は別に狙いもしてないけれど、この際いいかと自己完結。
一歩、距離を詰めた。

「おかえりなさい」

ほんのちょっと見上げて言ったそれはしかし、相手の表情を完璧に止めた。
こちらが驚く前に引き寄せる力、抱き込まれた胸の中。
強いが苦しくない程度の束縛は、顔を窺う余裕さえあった。
隠す気があるのかないのか、肩口へ埋められた感触へ手を伸ばせば覗く赤色。
悔しげに視線を伏せた南沢は、それでもきちんと返事をくれた。

「ただいま」


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