おあとがよろしいようで


「おい、青春野郎」
「それ、いま何より心に突き刺さるからほんと勘弁して」

部屋で蹲り頭を抱える俺にドアから声を掛けた岩ちゃんの罵倒は容赦なかった。
逃げてからどのくらい経ったのか時計も見てないから謎だけど、呼びに来たってことは夕食とかそういうことなんだろう。
全力で拒否したい、行きたくない。

「見世物になるならお前だろっつってんだクソ川」

追い討ちに喉の奥から唸り声が漏れて、俺はますます縮こまる。
何故、初日でやらかした。むしろ初日だからこそやらかしたのか。
交流のある大学同士の合同合宿、慣れた場所ともいえる体育館の一角で人生最大の過ちを犯した。

結果、盛大に祝われて部屋へ逃亡したのである。

おかしい、どう考えてもおかしい。
ノリのいいメンバーが集まってたとかそういう問題じゃない絶対に。
心優しすぎる世界に恨みを募らせながら、事の始まりを思い返した。

***

二つ下の後輩はそれはもう天才でムカついて迫ってくることに恐怖して俺の精神はもう無茶苦茶だった。
岩ちゃんのおかげで吹っ切れて前を向いたにせよ、それですとんと全てを払拭できるなら感情なんてものは存在しない。
俺は飛雄をからかって遊んで、それでもまとわりつくのを鼻で笑った。
ぐしゃぐしゃと頭を掻き回しても大して跡のつかない髪が憎い。
中学最後の試合も終わり、改めて引継ぎを済ませた部活はやっぱりどこかセンチメンタルで片付けの手もずるずると遅かった。
ネットを抱えて倉庫へ向かうと、ちょうどボールを運び終えた飛雄がそこに。
話すつもりなんかさらさらなくて、すぐに片付けて踵を返そうとしたら呼びかけられた。
その割に何を言っていいのかわからないとばかりに口を噤むから適当なことを言った。

「なあに、寂しいの」
「及川さんのバレー、見れなくなります」

それかよ。まったくこのガキはまっすぐな目をしてこれだ。

「お前、もう少し他に言い方ないの」

溜息と共に吐き出すと思ったより強い調子で返された。

「だってバレーじゃないと及川さんと会ってません」

そうだね、その通りだ。お前の言うことは正しい。
正しすぎて反吐が出るし、そんな迷いの欠片もない瞳で見つめられるこっちの身にもなって欲しい。
これが運命だっていうなら呪いたい、俺だけを目標と定めて負うこの視線こそ、失いたくないだなんて。
気付きたくはなかった。
衝動に任せて距離を詰め、顎を引き寄せて唇が合わさる。きらめく瞳がぱちりと大きく見開いたのに満足する。

「……帰るよ」

ロッカールームまで促して、それまで。
飛雄は何も聞かなかったし、俺も何も言わなかった。

部活がなきゃ接点のないアイツにほとんど会うこともなく卒業式を迎え、高校生になる。
その後の北川第一がどうなったか、なぞるのも馬鹿馬鹿しい。
孤立した王様に掛けるべき言葉なんて持ち合わせてなかったし、俺たちはそんな優しい関係性でもなかった。
だからすごく、驚いたんだ。烏野できちんと居場所を見つけていることに。
まあ全力で潰しにいったよね、絶好の機会じゃん。
同じチームでなけりゃ正々堂々ぶつかれる、飛雄だってそれがしたかったんだ。
なのにあのクソガキ、懲りもせず俺に助言を求めた。
インハイで負けた事実をバネに更に高く飛ぼうと、いや、チビちゃんを飛ばせようと不器用に足掻く。
正直笑ったし、幾らかスッとした。俺に出会ったのは偶然でも、俺だからこそ教えを請うた。
及川さんなら答えをくれる、そう思ったんだよね飛雄は。ほんと笑っちゃう。
連絡網でしか使ったことのない飛雄のアドレスからお礼のメールが届いた時は、声に出して呟いた。

「馬鹿じゃないの」

知ってたけど。アイツがポンコツでどうしようもない大馬鹿だなんて、今更の話だ。

クソガキ共にしてやられ、準決勝敗退。客席でどっちも負けろと毒づいた決勝戦。
あれよあれよと日付は過ぎて、進路も定まった。
推薦を貰った大学は岩ちゃんも一緒で、また腐れ縁かよ、と溜息をつきつつ笑ってくれた。
卒業式も終わって上京まであと数日、しばらく見られなくなる地元を惜しむようロードワークのコースを変える。
それがいけなかった。まさかのまさか、いやそりゃ中学が一緒だったくらいだしかち合うこともありえないことじゃないけど
嫌すぎるタイミングで飛雄に遭遇してしまう。

「及川さん」

びっくりした顔があの日の、まだ幼いアイツと重なって胸がじくじくする。
挨拶だけで通り過ぎようとした俺を呼び止める形で声が張られた。

「東京、行くって」

聞きました、そう語尾だけ弱くなったのに舌打ちしかける。

「誰に聞いたの」
「岩泉さん、とか」

とかってなんだよ、複数形かよ。そういえば春高の後、岩ちゃんは飛雄に声かけてたみたいだし?
そこから縁が出来ても不思議じゃないよね、中学のことで気にしてたとこも多分ありそう。
高校デビューしちゃったコイツは先輩にも可愛がられて友達も出来て、順風満帆な人生を送ってる。
めでたしめでたしじゃん、よかったね。それで俺に何の用なの。

「見送りでもしてくれる?」
「行きません」
「は、即答」

歪めた笑みと対する真顔。零した息は嘲笑に近い。
飛雄はいつもの仏頂面を更に顰め、ぐっと唇を引き結んでから小さく零した。

「嫌われてるの、知ってるんで」
「きらいだよ」

反射的に答えた俺の言葉で目が見開かれる。
なんで泣きそうな顔してんだよ、泣きたいのはこっちだよ。
触れただけのお粗末なファーストキスを引きずって彼女なんて出来なかったし?
可愛いなって思う子がいても見上げてくる飛雄がちらついて結局終了。
何が悪かったんだよって愚痴ってる時にたまたま遭遇とか神様は俺へ試練を課しすぎ。
バレーに生きるならそれでいいでしょ、何で吹っ切れさせてもくれないの。

「おまえなんかだいきらい」

ぶつけた言葉は掠れてしまって、自分がどんな顔をしてるかも分からない。

「それでも、俺は」

俯きかけて、飛雄の声に引き戻される。

「アンタを追いかけます」

射抜く瞳はきらめいて、ああ、その光が好きだと思った。

「なにそれ、すごい嫌がらせ」

くしゃりと表情を崩して、笑う。

***

以上が甘酸っぱいなんてもんじゃない過去の一ページで言うなれば黒歴史とかいうあれで。
岩ちゃんのぶつけてくれた青い春なんて微笑ましいものは存在しません。しないんだよ。
それでまあ、東京の大学では全国経験者との出会いもあったりして、大学合同の合宿だって珍しくない。
よく練習試合する学校の黒尾くんは烏野メンツと繋がってて、同じく関東に進学した爽やかくんともパイプが出来た。
一年過ぎて二年が過ぎて三年目、もはや慣れたもんだった合宿の流れで俺は目を疑った。
面白い後輩が入ってきて、そうニヤつく黒尾くんの話をへーそうなんだ、と聞き流したことを深く後悔する。
顔合わせも兼ねた一日目という名ばかりの休息日。メニューの決まってない自由時間を体育館で過ごすイコール自主練だ。
いつものメンバーに挨拶しつつ、うちの後輩も紹介してやらなきゃ。そう考えて足を踏み入れたところで固まった。
赤葦くん、爽やかくん、黒尾くん、他にもよく会うメンツに囲まれ、可愛がられているその姿。

「な、んで」
「おー、来てる来てる。アイツまた背ぇ伸びてねーか」
「岩ちゃん?!」

勢いよく幼馴染を振り返れば、特に驚いた様子もなく、そういえば岩ちゃんとは連絡取ってるんだってこと忘れてたクソ。
いや待っておかしいよね、なんで俺に一言もないの、普通そこは何かあって然るべきじゃん。

「聞かれなきゃ答える義理はねえな」

文句を紡ぐ前にさらりと返され、ぐっと詰まる。そりゃ俺は二年間何もしてませんけど!!つーかする訳ないし、あの流れで!
拗ねてもう一度向けた視線の先。飛雄は相変わらず愛想のない顔で、それでも熱心に受け答えをする。
なんだよ追い掛けるってほんとに来たとか、それでやっぱり別の大学とか分かりやすいなお前は!
俺はさあ、もういいと思ったの、そういうつもりだったの。だって飛雄と楽しい先輩後輩なんて出来っこない。
どろどろに染み付いたものは洗い流せず、だからってぶつけても何の意味もないんだ。
それなのに飛雄は、及川さんすごいです、の態度だけでここまで来ちゃう。二年音沙汰なくても全然平気。
ムカつくムカつくほんとムカつくありえない。追っかけてきたなら一番に来いよ、こっちに来いよ。
睨みつける視線にくるりと向いた頭。ぱち、と瞬いた飛雄が俺を見るなり駆け出した。

「及川さん!」

さほどない距離をすぐに詰め、ほんどない身長差でまっすぐ見つめる。

「来ました」

なんで心なしかドヤ顔なの、有言実行とでも言いたいの。
そんなに嬉しそうに寄ってくるなら、めげないならそもそも最初から。

「お前は俺だけ見てればいいんだよ!」

感情のままに叩き付けた言葉に飛雄が目を見開くデジャヴ。
でも今度は、瞳に光を湛えたままでしっかりと応えた。

「はい」

瞬間、体育館は喝采に沸いた。


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