回りくどいのは仕様です。


「おや、イギリスさんではないですか」

コンビニで各種料金を払い込み、最近は販売時期の早まった中華まんに心惹かれてついつい食べ歩きしてしまった帰り道。包み紙をくしゃりと丸めて前方を見たところ、玄関先でなにやらぶつぶつ呟いているイギリスが目に入った。

「に、ににににほん!偶然だな!」
「えー、と。私の家の前なんですけど」

とりあえず基本の挨拶を試みたものの、妙にどもっている上に無理のある挨拶が返ってくる。咄嗟に反応に困って濁したような口調になってしまったが、軽く上回る返事が相手の口から発せられて目を瞬く事になった。

「お、お前に会いたかったんじゃないわけでもないんだからなっ!」

それツンデレ通り越して言語崩壊してますからイギリスさん。高速で頭の中をツッコミがよぎったが、言ったところで多分通じないし通じても微妙な気分になるだろうからなんとか耐えた。
今日は帰りに古本屋に寄ったりしなくて本当に良かった。そうしたら多分数時間は帰ってこなかったに違いないから、イギリスがどうなっていたか分からない。
表情には一切出さず自分の行動にグッジョブと呼びかけた日本は未だあわあわしている相手にふんわり微笑みかけた。

「お会いできて嬉しいです、イギリスさん」

良かったら上がっていって下さい、と続けた言葉への返事はしばらくなかった。

「あー、なんだ、突然押しかけるのも悪いから土産だ」

イギリスが硬直から解けてから少し後、ようやく客間へと落ち着いた。差し出される紙袋を受け取って、未だ微妙に目を逸らす様子に日本がこっそり苦笑を零す。
なんというかここまであからさまに示されると好意と分かるが反応に困る。先程のフリーズだって、仕方ないから近づいて手を振ったら、ぎゃあ!と叫ばれ、どこまでお約束なのかと感心してしまった。友好を結んでからこれだけの時間が経ったのに照れ続けるのもある意味凄い。

「わざわざすみません、いつも気を使って頂いて…」
「ち、近くまで寄ったからついでに来たんだ。偶然、いい茶葉も手に入ってな…」

重ねられる言い訳は往生際が悪いというレベルではなかったが、もはやお決まりの挨拶となったそれをいちいち指摘するほど底意地も悪くない。
了承を得てから中身を確認すれば、洒落た紅茶の缶がきちんと並んでいた。いささか重量があると思えばそれもそのはず、目視した限り二段積みで八つは入っているのではないだろうか。

「この前飲んだやつ、気に入ってただろ」
「え、いいんですか?こんなに…」
「持ってきたんだから受け取れよ」

確かにこの前の紅茶はとても美味しかった、なんてったって英国王室御用達。少し前にオタクの一部で話題にもなったベノアティーだ。自国では限られた場所でしか買うことのできない高級品を、本場から!
一度受け取ってしまった手前、まさかお断りする訳にもいかず、かといってさらりと受け取ることもできずにおろおろ戸惑ってしまう日本を見かね、イギリスがぼそぼそと付け加えてくる。

「……お前のくれた、あの、八つ橋ってやつうまかったから、礼だ」

そんな京都駅で簡単に買えるお菓子で、とすんでまで言いかけて日本は言葉を飲み込んだ。
これはイギリスの好意なのだ、遠慮を当然とする自分へ渡すために理由をこじつけてでも告げてくれる相手に対してなんと失礼なことをしようとしていたのだろう。そもそも価格が嬉しかったわけではない。その心が、嬉しかったのだから。

「はい、ありがとうございます」
紙袋を軽く抱き締めてはにかむように笑えば、イギリスの表情もやっと和らいだ。。

イギリスが訪れたのが夕方近くだった為、話し込んでいたらすっかり夜になってしまった。国務の合間に立ち寄ったのは本当だったようで、明日の飛行機なら泊まっては如何かと問う日本にまとめる書類があるからと断りを入れて玄関に向かう。何のお構いもできませんで、常套文句だが本心であった。この不器用で心優しい相手に自分は何を返せただろうか。
玄関での別れ際、夜空に浮かぶ月を見上げて自然と口から零れ出た、言葉。

「今夜は月が綺麗ですね」
「ああ、風流、だったか。日本のところで見ると月もまた違って見えるな」

会話に自国の文化を思い出したように交えてくれるのがくすぐったく、口元が綻んだ。

「また、いつでもいらしてくださいね」



それから数週間、過密スケジュールからやっと開放されたイギリスはあの日から妙にひっかかるものを覚えて頭を捻っていた。
日本とは会議でもなければ会うこともなく、この前の短期滞在は久しぶりの機会だった。遠くとも時差があっても友人関係が続いている事実がとても嬉しくてついつい日本には見栄を張ってしまう癖がある。そんな自分を付き合いの爛れた隣国は笑いを堪えて突付いてくるけれども、知った事ではない。日本が自分との関係を大切にしてくれてるのは自惚れじゃないと確信しているからだ。
ぼんやりと思い返す、月夜。
月、月、と無意識に呟いて、イギリスはとある記憶を掘り起こした。いつだったか、まだまだ英語に慣れない日本と話した際のなんでもない会話の切れ端。

「我が国では言霊、といって言葉そのものに大変重きをおいております。ひとつに対していくつもの表現を用いるのはその時々で伝えたいものが違うからではないかと」
「装飾をつけるだけじゃなくて、単語そのものが変わったりするよな。日本語は難しい」

日本がとつとつと語りだした自国の精神を真摯に聞き入り頷いてみせると、彼は嬉しそうに声を弾ませた。

「恐れ入ります。ですからイギリスさんの言葉を翻訳させて頂く時は人によってだいぶ変わってくるんですよ」

そう言って翻訳の妙を次々と教えてくれる相手は楽しげで、飽きもせず聞き手に回っていた覚えがある。たとえば、そう口にした日本のせりふを思い出してイギリスの思考は停止した。

「貴方と見る月は綺麗ですね、なんて気持ちの込め方もできるんです」

いやいやいやまてまてまて、あくまでそれは一例であってこの前の言葉に関連付けるのは非常におかしい。だがしかし、そうであってほしい、と思う気持ちがどこかにあった。だからこそひっかかるようなもやもやが消えず記憶を掘り起こす事になったのではないか。
つまり、自分は日本を好いていたのだ。


無意識と言うのはげに恐ろしいものである。今まで友情だと思ってあれやこれやしていた事が、よくよく考えてみればアプローチにしか思えない行動だったのだから。当たり前に花束を持って訪問していた自分を殴り飛ばしたい気分になってイギリスは机に突っ伏した。フランスにも笑われる訳だ。会議の休憩時間中、じゃれ合う元三国同盟をちらりと見やり、密かに息をつく。こういう時、自分が特別ではないと再認識する。イタリアやドイツは勿論の事、あらゆる国で日本は大人気だ。本人の物腰の良さも相まって、彼の周りには誰かしらが集まってくるのだ。

「なんだい、辛気臭いな!イギリス」

一番放っておいて欲しいと思うと必ず絡んでくるのが目の前にいる国の特技である。自由の国だ、お前は紛れもなく事由の国だと胸中で嫌味を呟いた。
「こらこら、話しかけているのに無視は失礼なんだぞ!」
「お前にだけは礼儀を語られたくないな…」

げんなりして呟き返すとアメリカは豪快に笑い声を上げ、いきなり核心を突いてきた。

「日本が構ってくれないから拗ねてるんだろう?」
「なっ…!」

何故、と言葉にはならなかった。その通り、ここ数回ほど、日本への誘いをことごとく断られているのである。申し訳ないと眉を下げる相手に、忙しいなら仕方ない、無理はするなよと紳士的に振舞ってきたが、連続するとさすがに落ち込む。
だがしかし、どうしてそれをアメリカが知っているのか。

「ヒーローに分からないことなんてないのさ!と言いたいところだけど、君の敗因が敗因がだから心優しい俺は教えてあげないこともないんだぞ!」

あからさまに動揺するイギリスを愉快そうに眺め、自由の国は更に言葉を続ける。

「今の時期は仕方ないよ、イベントだからね!」

何が楽しいのか星を飛ばす勢いでアメリカの放った一言に、それまで談笑していた日本が高速で振り返った。
信じられないものを見たと言わんばかりの凄まじい形相だ。

「ア、アメリカさん。何の話をしてらっしゃるので……」
「日本が忙しい理由を説明しているのさ」
「なになにー、お兄さんも混ぜて混ぜてー」

やんわりと話を遮る前に台詞を断ち切られ、更にフランスまでもが乱入する。後生ですから!と視線を送った日本に笑って頷いたフランスは別方向に空気を呼んだ。つまり読んでいない。

「ああ、日本はマイナーまでカバーするプロだな、さすがのお兄さんも尊敬しちゃう」
「あ、あああああ…」
「正直、未だに話が読めないんだが…」

もはやまともに喋れない渦中の相手が心配なものの、思わず挙手をしたイギリスに、なんでもないと日本が言い切るより早く、どこまでもフリーダムな国が止めを刺した。

「つまり、日本はオタクだから原稿の締め切りに追われてるんだ」

あっさり言ってのけられた真実にイギリスが驚く暇もなく、日本の絶叫が会議室に響き渡った。



今度こそ南セントレアになってやる!そう叫んでプチ鎖国という名の連絡手段全シャットアウトに走って数日が経った。
実際、締め切りに追い込まれているのもあったのでいい口実だと開き直れるくらいには日本は図太かった。世界会議の場で晒し者にされるとは思っても見なかったが、もともとオタクなのは周知だったおかげで諸国の反応はたいした事はなかった。そもそも深く知らない人はオタクレベルの凄まじさなど分かりはしないのだから。
だが、だがそれでもイギリスには猫を被っていたかった。わびさびに純粋に興味を持ち、もう自分は見ることもできなくなった妖怪のたぐいとも会話してみせる初めての友人は心の聖域、不可侵領域だった。

「だから必死に隠していたのに…お二人とも私に恨みでもあるんですか」

次の冬を楽しみにしてください、と一括送信でメールを送ったのを最後に携帯の電源は切ってある。家の電話線さえ抜く徹底ぶりであるからして、邪魔するものは何もない。とにかく原稿に意識を集中する事だけを考えて日本はすべてを頭の隅に追いやった。


追い込み万歳、特急料金万歳。なんとかかんとか入稿を終え、風呂に入ってから泥のように眠りについた。呼び鈴の音がおぼろげに頭に響いてゆっくりと目を開ける。
時計を見ると午後三時。意識が落ちる前に見たのが朝七時だったから八時間眠った事になる。十分だが徹夜明けの睡眠だから頭がうまく回らない、とにかく玄関に向かわなければとのろのろ身支度を整えた。
この時、適当でいいと思わなくて本当に良かった。玄関の引き戸を開けて出迎えた相手を見て日本は心底そう思った。

「い、いきなりすまない…連絡が取れないから直接来るしかなくてな」
「す、すみません、お手数おかけしまして…!」

プチ鎖国の弊害がここに。しかしイギリスの場合はアポイントメント無しも珍しい事ではないからどっちにしてもあまり変わらなかった気はする。
まともに話すのがあの羞恥プレイ以来なのはさすがに辛い。どう話を切り出したものかと悩むうち、同じく戸惑っていた相手が意を決したように口を開いた。

「お前に、つ、月が綺麗だなって言いに…!」

月?思わず空を見上げかけ、ここは室内だと脳内でツッコミを入れる。寝起きの頭はかくものろまな働きだ。

「いまは昼ですよ」

思い切り疑問符を浮かべてきた日本に噛みつくみたいにイギリスがよく分からない言い訳らしきものを叫ぶ。

「知ってる!時差の計算を忘れてたんだ文句あるか!」
「いえ、そんなものはありませんが……」

のんびり答えかけて、そこでようやく気付く。相手の顔が赤いのはいつもの照れからくるものではなくて、ある感情からくるものだということを。
言いに来た、と彼は言った。何を?月が綺麗だと。
思い返す別れ際の一言、離れがたく感じてぽろりと口にしたあの言葉は、実に正しく伝わってしまったらしい。
脳内のピースが一気に繋がり、頬に熱が集まった。
この方は、いま、自分に何を言ったのだろう。

「あ、あれはその、本当に月が綺麗だと思って言っただけで…」
「わっわかってるに決まってるだろっ!そっから意識したんだほっとけ!」

お互いに真っ赤に染まった顔を向かい合わせ、あわあわとすること数秒。ようやくまともに頭の働いてきた日本が、観念したように呟いた。

「嘘です。ちょっとだけ混ぜました、意識しました」

それを伝える為に来た相手にしらばっくれても意味がない。本当に自然と零れ落ちてしまった気持ちだった。そうだな、と笑うイギリスに安心して、なんのことはない日常の思い出にしたはずなのに、こんな、いま突きつけなくたっていいはずだ。

「まさか気付くなんて思わないじゃないですか!回りくどいのは国民性です!」
「いや気付かせろよ!どんだけ性質の悪い自己完結だ!」

思っても見なかった展開に日本の羞恥は限界値を振り切っていて、完全にやけくそに近い開き直りで喧嘩を売った。鋭いツッコミが切り返されるも素直に応じることができない。だってまさかそんな、ぐるぐると頭の中を回るのは、現実を受け止めきれない臆病な自分の否定ばかり。

「自信がないのもデフォルトなんです!」
「嘘つけ!ばか!」

力強い腕が自分を閉じ込める。抱き締められているのだと気付いたのは相手の心音が至極近くに聞こえたからだ。早鐘のようなその音は、先の言葉も想いも嘘ではないと如実に物語っている。胸が苦しくなった。

「私に転ぶ必要がどこにあるんですか馬鹿なのはイギリスさんじゃないんですか」

可愛げのない物言いだ、自分にそんなもの最初から存在などしてはいないがとにかくそんな台詞しか出てこないのだ。それでも思う、こんな極東のちっぽけな島国に貴方が心を傾けるはずはないと。まるで初めて友好を頭に思い浮かべた時のように夢物語だと思ってしまう。なのにきっちりと抱き締めて離さない相手はどもりもせずに、しっかりはっきり逆に攻めるように言い募ってくる。

「卑下するのがお前の普通だか知らないがとりあえず今はそんなもの捨てろ。俺はお前が好きだ」
「っ……!わ、わざわざ表現を変えて言いに来ておいてハッキリ言わないでください…!」

これではまるで拷問ではないか、甘やかな拷問だ。

「うるさい、ばか。そしたら流すと悟ったからちゃんと言ってんだろーが、聞け。好きだ」
「聞こえてます繰り返さなくていいですっ…」
「嫌みたいに言うな。好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好き――――」
「ああああああもう勘弁してくださっ……!」

とうとう耐えられなくなって、突き飛ばして距離をとろうとしたら、腕を掴まれてぐい、と引き寄せられる。そして唇に触れた、熱。目を見開いて硬直したのち、ふらりとたたらを踏んで、そのままずるずると靴箱に凭れ掛かった。 離してもらえなかった腕が少し痛い。

「伝わったか?」
「…………十分に」

覗きこむイギリスの顔は真剣だった。目を逸らして答えるくらいでは当然許してもらえず、更に追い討ちがかかる。

「で、お前の返答は?」
「死んでもいいです」
「そりゃ情熱な告白だな、だが洒落た和訳の講義を受けたいわけじゃない」 

へぇ、と低い笑いを含んで声を上げる相手は本当に日本文化を好んでくださっているようだ。往生際の悪さにまでネタを仕込んだ己もアレだが通じたならもういいじゃないか。

「ちゃんと現代訳の方向性で聞きたいんだ、俺は」

ダン、と壁に手をついたイギリスの低音が耳に響く。 

「先ほどのが通じたのならいいではないですか」
「よくねぇよ!お前はなんでそういうことに頭が回るんだ本当に」

思ったことをそのまま口にしてみても正論で更に怒られた。ちょっと変わった訳し方をきちんと覚えている貴方も何なのかと少し言ってやりたい。ある作家は月が綺麗、これまたある作家は死んでもいい、バリエーションに富む表現に敬礼。
何よりもそれがきっちり伝わるだなんてたちの悪い。

「ついていけないんですよこの急展開に!何処の恋愛シミュレーションですかイギリスさんは思い切りが良すぎます!」
「物語ってのはハッピーエンドならそれでいいんだよ大人しく俺の傍で笑ってろ!」

八つ当たりでしかない最後の抵抗はまさかの攻撃に軽やかに打ち砕かれた。

「な、んですかそれ。イギリスさん、強引です」
「ああそうさ。俺はけっこう自分勝手で我侭なんだ、覚えとけ」

思わずぽかんと口を開け、ようやっと搾り出した感想も、自信満々な相手には通用しないようだ。にやにやと笑っているのに厭らしさを感じさせない格好良さがなんだか憎たらしい。

「……善処します」

悔し紛れに答えたのは言い慣れた台詞だけれども、受け取り方は相手に任せることにする。納得がいかないようなイギリスに少しだけしてやったりな気分になってくすりと笑いが零れた。まったく、何をやっているのだか。いい年をして自分も随分と子供じみている。

「そろそろ移動しませんか。ちゃんと部屋でお話しましょう?」

あまりのどたばたにすっかり忘れかけていたが、ここは玄関。開けっ放しで問答をしなかっただけマシと言えばマシだけれども落ち着くとやはり恥ずかしさが残る。
立ち上がろうとしたらイギリスが手を差し出してくれたので甘えさせて頂いた。するとそのまま手の甲へ、恭しく口付ける。
それはまるで誓いのごとく。

「大切に、するから」

まっすぐな瞳が心を射抜いて、縫い止める。
この人はやっぱり紳士だと思った。


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