ビターマイルド 1


「やべぇ、マジ寝てた」

校舎裏の程よい木陰。入学早々ホームルームと眠気を天秤にかけて後者を選んだロマーノは、日の傾き具合で時間を察して飛び起きた。春といえど夕方が近づくとまだ冷える、自分にかけていた上着を羽織りなおして立ち上がった。

ふと鼻腔をくすぐる何か。甘い、匂いがする。
空腹も手伝ってふらふらと匂いの元へ足が動いた。
近くの校舎、そう長くもない廊下の突き当たり、プレートには調理室Bの文字。こんな端っこにそんなものがあったのかと首を傾げながら、少し空いた引き戸から中の様子を覗き見る。

「はい、出来上がりー」
「なんかアットホームな気分になんなこれ」
「クッキーは基本やねんから馬鹿にしたあかんてー」

そう広くもない部屋の中、机に備え付けのオーブンからプレートを取り出して覗き込む三名の生徒。顔立ちと雰囲気からして確実に最上級生だろうとか男三人が放課後の調理室で何してんだよとか数々の疑問及びツッコミが頭を駆け巡るより何より、ただ一人の姿にロマーノは目を見開いた。

「ス、ペイン…!?」

思わず上げた声が大した距離もない相手に届かないはずはなく、プレートを持ったまま振り返った相手は驚きで目を丸くしたのち、満面の笑顔を向けてきた。

「ロマーノやん!ひっさしぶりやんなあ」
「ちょ、お前それ持ったまま動くな!危ねぇ!」

スペインが振り返ったせいで危うく高温のプレートに直に触りかけた短髪の男を見向きもせずに、調理台にそれを置く。両手がミトンのまま駆け寄って、勢いよく扉を開いてロマーノを抱き締めた。

「大きくなったなぁー!元気にしとるー?」
「う……」
「う?」
「うるせー!うぜぇ!」

嬉しそうに語りかける相手に対する許容量が限界に達し、思わずかました頭突きがスペインの顎に見事にヒットした。



「いやー、ほんま驚いたわー。ロマこの学校にしたんやー」

もろに食らいながらも昏倒までいかなかったスペインは赤くなった顎をハンカチで冷やしつつ、にこにこと笑いかける。ちなみにそのハンカチはロマーノのものである。勢いとはいえさすがに罪悪感もあったので水で濡らして差し出したら再び煩く騒ぎ出したから、殴らないでいるのにかなりロマーノは頑張った。

「つか、お前何やってんだよ」

さっきの騒ぎのごたごたで残りの二人の名前も聞いた。とりあえず落ち着こうと座ってしばらく、最初に感じた疑問を口にしてみる。

「えーなにが?」
「なんで菓子作ったりしてんだっつってんだ」
「あぁー」

間延びした声で答えてくるのに若干イライラしながも繰り返す。ようやく質問の合点がいったらしいスペインが納得したような声を上げ、次いでさらりと言った。

「俺ら、料理部やねん」
「は?」

料理、部?
ロマーノの頭の中で言葉が踊る。
配られた部活紹介の紙にそんなものはあっただろうか、あったとしても流し見た時点で記憶など薄いのだが新入生歓迎会とやらでどこも募集スピーチくらいはしていた気がする。だが今日聞いたばかりのそれで、そんな部活はあっただろうか。
疑問符を浮かべて悩みだしたロマーノを見かねたのか、先程の短髪もといプロイセンと名乗った男が声をかけてくる。

「あー、俺らモグリだから。表向きは部員募集してねーしな」

モグリの部活ってなんだよ……。
あからさまな不信感を表情に出したところ、違う方向から訂正が入る。

「ちゃんと説明しなさいよお前ら……。あのね、ちゃんと生徒会の承認は降りてるよ。部活としては認められてる。だけど募集はしない。そゆこと」

呆れた声で呟いたのち、流暢に説明してくれた相手はフランスという名前らしい。だがその内容は的確に要点を掴んでいるものの納得するには至らなかった。

「説明になってねーぞ」
「要するに、食べたい時に好きなもん作ってる趣味の部活って感じやな」

身も蓋もないスペインの説明が実は一番分かりやすかったという事実。
無駄なやり取りをしてしまった疲れに息を吐きつつ、ロマーノは思った。
それは同好会というんじゃないのかと。

「顧問もおるしー、ちゃんとした部活やでー。掛け持ち含めて5人やな。たまに飛び入りで作りにくるやつもおんねん」

ロマーノの胡乱な表情を見て、聞いてもいないのに更なる概要を述べてくれる。いやもう、ほんとどうでもよくなってきた、そう口を開こうとした矢先、スペインの言葉が続く。

「ロマはもう部活決めた?」

説明の続きは疑問への答えではなくこの流れへの布石だったのか。そういえばこっちの顔色を読むなんて芸当をこいつがした試しなんてほぼないに等しかったと微妙な思い出がよぎり、視線を一瞬逸らす。

「……帰宅部」
「そやったら入りーや。楽しーでー」

低く呟いたのを聞くが早いか当たり前のように誘ってくる。変わらない、スペインは本当に変わらなかった。

「ロマ、作るのとか嫌?」

無言でいるのを覗き込んでくる瞳は優しくて、色々なものがこみ上げた。いつも強要などせず、答えを待ってくれる。

「…………別に」

やっと口にしたのは肯定とも否定とも取れないのに、スペインは頭をくしゃりと撫でて、微笑んだ。

「折角やからクッキー食べていき?そんで一緒に帰ろうや」

自分をどこまでも甘やかす声、手のひらの温かさが、胸を締め付ける。
これを望んでいたくせに、自分はなんて馬鹿なのだろう。


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