それを言い訳とするならば、 「おいスペイン、飯食いに来てやったぞこのやろー」 不遜な態度を取って勝手に上がりこむ、それはお互いにとって当たり前のことで、この日もロマーノは数ヶ月ぶりに訪れたとは思えないくらい普通に足を踏み入れた。 おかしい。いつもなら何故気付いたというレベルで駆け寄ってくるはずのスペインが来ない。さすがに来る事は伝えてあるので外出はないだろう。まあたまに内職で動けなかったり疲れ果てて寝てたりすることもあったが、EUに加盟してからのスペインは割と元気なのだ。 単に畑でも見に行ってるのだろうと居間の扉を開けてみれば人影が見えた。 「んだよ、いるんじゃねーか。おいスペイ…」 呼びかけの声が止まった。扉の音に気付いて振り返った相手の様子に違和感を覚えたからである。 確かにこれはスペインだ、スペインだけどもあきらかに纏う雰囲気が違う。何より格好が、着ている衣服が戦場へ向かうそれだった、昔の。 「お前、誰や」 凍るような視線を飛ばしてくる男の声は低く、振り返りざまに束ねた髪が揺れた。 「ちゅーかそもそも、ここ何処やねん」 固まってしまったロマーノを一瞥するとスペインは特に害もないと判断したのかひとりごちる。ひとしきり辺りを検分したのち、つかつかと歩み寄りねめつけてきた。 「で、お前、誰なん?」 「ロ、ロマー…」 「は?聞こえへん」 「ロマーノだ悪いかちくしょう!」 問いかける声はひたすら冷たく、喉の奥が震えて声が出ない。苛立つように促す口調にびくりと肩を跳ねさせて泣きそうになりながら必死に叫んだ。 耳にした名前に一瞬目を丸くして停止した相手は一拍の間の後、それは不機嫌な表情でもって応えてくれる。 「……はあ?」 聞き捨てならない、むしろ不快だというように眉を顰めたスペインがじろじろと無遠慮な眼差しでロマーノを眺め回す。 向けられたことのない敵意に全身が竦み、目尻にじわりと涙が溜まっていった。 ふいに伸びた手が胸倉を掴み上げる。 「舐めとんかこのアホ、ロマーノ騙るなんてええ度胸やなあ?」 絞まる首に思わず咳き込む、無理やり合わせられた相手の瞳は鋭利な刃物のよう。 ロマーノの涙腺と怯えは限界に達した。 「うわああああああああっ」 「ぅおっ?!」 ふてぶてしい表情が歪み、一気に泣き喚くのを見てスペインが驚いて首を掴む力が緩まる。 息がしやすくなったぶん、更に泣き声は加速した。 「スペイン助けろこのやろおおおお!」 もはや刷り込みなのかなんなのか、こんな時でさえ最初に口をついて出る名前は目の前の男なのだから情けなかった。泣き声に嗚咽が混じり、今度は鼻水で息が出来なくなった頃、ぽかんと見つめていた相手がぷっと吹き出した。 「ふは、泣き顔一緒やん」 けらけらと心底おかしそうに笑う顔はよく見知ったもので、尚更泣けてきて涙が止まらない。破顔しながらも離しはしなかった手を頬へと滑らせて、優しく撫でさする。 よしよし悪かった、ええ子ええ子。そんなまるで幼子をあやすような言葉でもってもう片方の手で涙を拭いながら笑いかける。今度は安心してぼろぼろと泣くロマーノをついには胸に収めて抱き締めた。 「ほんまにロマーノなんやなあ」 「だからそういってるだろ畜生が」 ようやっと落ち着いてしばらく。すんすんと鼻をすすりながら離れようとしないロマーノの背を撫でながら、スペインがしみじみと口にする。恥ずかしさと怒りと居たたまれなさで顔を合わせたくないから腕の中にいるというのも馬鹿馬鹿しい話だが、そもそも離すつもりもなさそうだ。 考えてみれば訪れてから立ちっ放しな訳で、正直座りたくなってきた。一度解放して貰おうと相手の服で涙を拭ってから顔を上げたところ、とんでもない言葉が耳に届く。 「俺にもう食われとるん?」 どかん。そんな音がしそうな勢いでロマーノの頬が染まる。 こいつは、なにを、いってるんだ? 「あ、そうなんや。なあ、いつ、いつ?」 「な、ななななな」 わかりやすい態度のおかげで悟ったスペインは邪気のない笑顔を振りまいて質問を続ける。どもってしまい悪態さえ出てこない口元を撫でて顎を掴み、くいっと引き寄せ低く囁く。 「いつになったらお前に手ぇ出してええの?」 見つめてくる瞳の色は本気だった。 笑って誤魔化すにはギリギリラインのようでいて、拒否することは許さないような。 こくりと息を飲んで視線を伏せがちに口を開いた。 「俺が、でかくなってきたら…」 「きたら?」 「おまえが手ぇ出してきたんだろうがカッツォ!」 「あだっ!」 悔し紛れと上回る羞恥でもって頭突きを繰り出したところ見事に命中。ロマーノと認めて気を抜いたのか避ける素振りすら見せなかったことに若干驚きつつ、睨みつける。自分も少し痛い。赤くなった己の額を軽くさすったのち、視線を巡らせてぽつりと漏らす。 「…ほな、もう少しか」 「何計算した!?いま何計算したんだてめぇええええ!」 自分の外見年齢と脳内の年齢を比較したスペインに気付いて掴みかかるも、あっさりと手首を捕まえられる。 にっこり笑いかける若き頃の支配者はおもむろに顔を寄せてきた。 「せっかくやし、味見」 「へ」 「ええやん、俺やねんし、悪ないで」 「ちょ、ま、スペ…」 目を細めて見つめてくる相手に抵抗が出来ない、そう、スペインに抗うことなど、ロマーノには昔からできなかった。 「ええ子やね…」 大人しくなった様子に甘く零すと吐息がかかり、思わずぎゅっと目を閉じ―― 「はいそこまでー」 「うがっ」 軽い制止の声と鈍い音、そして間抜けな呻き声。きょとりと瞼を開けた先に見えたのは倒れ付すスペインと、それを見下ろして溜息をつく見慣れたスペインだった。 「調子乗んなや」 けっ、と吐き捨てる表情に既視感を覚えながらおそるおそる呼びかける。 「スペイン…?」 声が届くとぱっと表情を変え、身体を引き寄せ顔を覗き込まれた。 「ロマーノ大丈夫やった?!ごめんなーごめんなー、怖かったやろ」 「いや、つか、これほっといていいのかよ」 「ええやろ、俺このあと戻った記憶あるし」 感動の再会もどきもそこそこに、倒れ付す昔のスペインを視線で示すと興味なさげに素っ気無く返される。 「記憶って…あ、消えた!」 「ほらな、目ぇ覚めたらちゃんとうちや、大丈夫」 今までそこに居たのが夢かのようにあっさり掻き消えた存在に面食らい、瞬きするロマーノをよそにスペインは軽く答えてみせた。 「…て、ちょっと待て」 「んー?」 あーよかったよかった、なんて抱き締めて頬ずりしてくる体温を感じながら、おぼろげだった記憶を引っ張り出す。そう、あれは随分長い遠征からスペインが帰ってきた頃の話だ。腰に回った手の甲を摘み上げ、ぎろりと睨む目線を相手に飛ばす。 「なんかおまえが帰ってきて早々押し倒された記憶が俺にはあるんだが」 「……未遂やったやん」 泳ぐ視線が何よりの証拠。 「ふっざけんなテメ!怖かったんだからな!あれ本気で怖かったんだからな!」 「やって今のロマほんま可愛いかってんもん、えろかってんもん我慢でけへんかってもん!」 「死ね!」 もう一度繰り出した本気の頭突きは寸分違わず顎にヒットした。 「いやぁー。えっちしようや、ろまー、ろまーのー」 顎を赤くしながらも懲りない男は振り解いて帰ろうとするロマーノの腰に縋り付いてきた。 「はな、離せっ!甘えた口調で言えばいいと思ってんじゃねーぞ離せハゲ!」 「嫌や」 繰り返した声は拗ねたように聞こえ、見下ろした先で眉尻を下げて懇願の態度となったスペインがいる。 「いつでも会えるんとちゃうんやから、いま、抱きたい」 こいつにプライドってものはないんだろうか。 様々な罵倒が頭の中を飛び交うだけでなく幾つか口からも零れたものの、腕を振り払うには至らなかった。 「お前…ずりぃんだよ」 |