「血迷った責任は本人が取るべきだろ」 必死の形相で首を左右に振り続ける男が心底憎らしい。 脅したくもなる心情を、理解したって罰は当たらない。 天秤を傾けた先 思い返せば最初のスルーが完璧すぎた。 こっちが勇気を振り絞って伝えた想いをそれはもうにこやかに打ち返してくれた。 ――めっちゃ嬉しいわぁ、俺もやで。 なんてキャッチアンドリリース、放流されたほうはたまったもんじゃない。 いつか見てろと悔しさを噛み締めて、無視できない状況にもっていこうと誓ったのだ。 「あかんあかんあかんあかんて」 今まさに、現実を認めず否定するスペインは逃げに逃げて壁際まで後退している。 おかしくないか、この状況はさすがにおかしくないのか。 輪をかけて苛立つロマーノのこめかみはひくついたが、やはりスペインは同じ言葉を繰り返す。 「それは違う、ロマーノ、それは違うで」 壁に後ろ手をつき、身体を支えながら訴える表情は真剣そのもの。 どうにか思いとどまらせよう、正気に戻そう、己に言い聞かせつつ向かってくる様を滑稽と言わずしてなんだろうか。 「ロマは俺と居すぎたんや、ずっと一緒だからそない思ってしまったんよ」 本日拝聴するのは何度目であろう発言に、ロマーノの限界値は振り切った。 「ふざっけんなよ、バカスペイン」 鈍い音がして拳が壁に打ち付けられる。神経を伝わって届く痛みよりも、胸に渦巻く怒りと遣る瀬無さの方がよっぽど苦しくて泣きたかった。 「ロマーノ、手…」 「うっせぇさわんな!」 伸ばされようとしたものを声と視線で一蹴し、激しく睨みつけた。 上げかけたスペインの手が止まり、ゆっくりと握る形になる。 傷ついた、とでも言うつもりか?自分の鈍感も知らずに見上げた根性だ。 往生際悪く逃げ続ける馬鹿に突きつけるのなら今しかない。 「確かにお前といた時間は長かったけどな、それだけで男に二度もこんなこと言うわけねーだろ!」 壁を殴っていない手をついて、スペインを壁際に縫いとめる。 「観念しろよ!俺はお前が好きなんだよ!」 見開く相手の瞳、吐き出す自分の息。沈黙が空間を満たした。 やがてずるずると壁にそって崩れ落ち、スペインは座り込んでしまった。 うつむいたせいで顔は見えない。お互いの呼吸だけが聞こえる中、微かに呟く声がロマーノの耳を掠める。 何を、と問いかける前に呟きの音量は上がり、はっきりと聞こえる大きさでスペインはひとりごちた。 「ないわ、これはないわー…あかんやろ」 嘆くような物言いはまるで否定のようで、頭に血が上るのを感じた。 「今度はなんだチクショウが!」 とことん受け入れやしないのか、失望と悔しさで声を荒げる。 「俺いつからロマーノ好きやってん…おかしいって」 「は?」 あまりに唐突で理解の追いつかない発言に間抜けな声が口をついて出た。 だがスペインはそんなのお構いなく大仰な身振り手振りで騒ぎ立てる。 「こんなんロマどん引きやん!俺ありえんわ!ほんまありえへん!自分にびっくりするっちゅーねん!」 繰り返し繰り返し喚いているのはなんだろうか。 すっかり自分の世界に入り込んだ空気読めないどころじゃない殿堂入り馬鹿は頭のネジを全て締めなおせばいい。 沸点通り越して体中を駆け巡った怒りは、ロマーノの声も態度も絶対零度まで冷やしてくれた。 「おい……そこの現状把握能力欠如野郎」 ごく低い声にスペインがようやくロマーノを見た。そして硬直。 完全に目の据わった瞳は突き刺す凶器のごとく、ひたすらに鋭い。そして怖い。 「今まで何の話してたか言ってみろよ」 「……すんません」 びびりながら答えたスペインのひと言で、ロマーノの涙腺が崩壊した。 ぶわっと溢れ出した涙は留まる所を知らず次から次へと頬をつたる。 「えええええええ?!なんで?!なんでロマーノ泣くん!」 飛び上がらんばかりに狼狽したスペインが座ったまま、おろおろと手を彷徨わせる。 「お前はそうやって……っ結局いつも空気なんか読めないで…俺が、どんなにっ…くそっ!」 滲む視界の中でやはり困った顔の相手を見て、ますます涙が止まらず腕を瞼へ強く当てた。 袖に染みてくる水分も、拭いきれず首まで落ちる涙も何もかもが気持ち悪い。 もう、ごめんだ。 「お前なんかもう知る――…っ」 言い切る前に温かいものが身体を包んだ。 「泣かんとって!ロマ泣かんとって!俺お前に泣かれたらどうしたらいいかわからへん」 抱きしめられたのだと気づいたのは、慌てて宥めすかす相手の声を聞いたからに他ならない。 瞬間、腕の中でロマーノは暴れた。癇癪を起こした子供のように。 「知るか、ばか!知らねぇ、お前なんかもう知るもんか」 「ごめん、ほんまごめん、ごめんな、ロマーノ。ちゃうねん、聞いてや。 俺も混乱しとってん、何せ気付いたのさっきや、本気でついさっきや。 俺の中でロマーノ大事すぎて明確な答えを出そうともせんかった。出す気もなかった」 もはや小さい子供ではないロマーノが暴れれば、体格の差はあれども簡単に押さえ込むことはできなかった。 殴ってでも引っ掻いてでも抜け出ようとするのに対し、スペインは暴力を振るう気はないのだから尚更に。 それでも離すものかと抱きしめながら、必死に言葉を紡ぎ相手に届けようと語りかける。 「でもな、ロマーノがおらんのは本当に寂しかったんよ。独立するっていうのは本当に俺の手を離れてまうんやって実感した。 そしたら凄く嫌なものが沸いてきてん、俺はずっとそれを感傷やと思って忘れることにしとった。 俺はロマーノの親分やからな、お前に胸張れる奴でいたい」 気持ちに連動して早口になるそれは途切れることなくロマーノの意識へ流れ込み、混乱を更に深めた。 感情と理性の狭間で首を振るのをスペインは苦しげに見つめ、ぽつりと零す。 「やのに、さっき一瞬でよぎったわ。お前を独り占めしたい、て」 けして大きくもない、むしろ小さく零された本音がロマーノの動きを止める。 「いつからか、もう全然わからん。考えたらそんな気持ちぎょうさんあったかもしらん。あほやな、自分のことやのに」 おそるおそる見上げた表情は自嘲に歪んで、あんなに強かった腕の力が緩くなっていることに気付く。 視線を受けたスペインが、弱々しい笑顔を向けてくる。 「そういうの、ロマーノにしてみたら気持ち悪いやろ」 「この状況で言うことがそれか」 考えるより先に口が動いた。 「お前は本当にバカだ。限りなく最強にバカだこのお気楽ボケ」 「えろうすんません…」 涙で顔はぐちゃぐちゃだし声も満足に出せない状態で淡々と罵りを続行。 いよいよ本気でうなだれたスペインを見てまたふつふつこみあがってくる何かが身体を満たす。 この一連の流れでどうして!その結論に到達するのか! 拘束の意味を成さない腕を振りほどき、両手で相手の胸倉を思い切り掴んで引き寄せた。 「何度言わせる気だ!好きっつってんだから受け入れろ、受け止めろ、俺を見ろ!」 至近距離で瞳を合わせて最終通告。 ぜえはあ、息を切らして睨みつけて数秒、無言で固まってしまったスペインは瞬きすらしない。 止まったはずの涙がまた視界をぼやけさせる。 「好きなんだよ……コノヤロー…」 両手に力を入れたまま俯く寸前、頬に触れる手のひらが体温を伝え、顔を上げさせた。 ふわりと笑う、優しいその顔。 「俺も好きや」 ずっと昔から、何度も向けられた自分の為だけの、笑顔。 「遅い」 抗議の声は喉にひっかかって掠れた。止まらない嗚咽を必死に殺し、確かめるように手首を掴む。 「悪かった。そやから……」 苦笑の後にもたらされたそれに、呼吸と一緒に嗚咽も止まった。 視界を染めた緑色、感じる温度が何かだなんて反芻する必要があるだろうか。 これ以上ないくらいの間近で瞳の色を確認すると同時、体温を分かち合って奪われた。 もっかい。吐息だけで囁かれた要求は答えを聞くつもりはないらしく、再び重ねた唇がじわじわとロマーノを侵食する。 力が抜けて緩く開いた口へ待ちかねたように舌が入り込み深く絡めて征服していく。 今度は自分が動けなくなったロマーノに、慈愛に加えた様々な感情を込めてスペインがひと言。 「これから今までの分取り返すくらい、愛してるって言うたるわ」 その自信に満ちた様子が激しくむかついたので頬を思いっきり引っ張ってやり、文句を言おうとする相手の口を自ら塞いでロマーノは思考を放棄した。 あとはこいつが考えればいい。 |