注いだ分の見返り


「――おい、スペイン!おい!」

ぼんやりとする意識の外で聞きなれた声が呼んでいる。
薄く開いて姿を捉えた瞬間にぱちりとスペインは目を見開いた。
ロマーノが自分を覗き込むようにして名前を呼んでいたからだ。

「うぉっ!いきなり目ぇ開けるな!」

いきなり近距離でかち合った視線に驚いて相手がその場から飛び退るのに思わず困り笑い。

「呼んどいてそれはないでー」
「るせー。お前が起きないからだ、ちくしょうが」

ぶつぶつ零すロマーノの顔は赤い。照れ隠しだと分かればこれほど可愛いものもなかった。
ほんわりした気分になったところ、後頭部の痛みに疑問が浮かぶ。
さて、何がどうしてこうなったのだろうか。
数分前の状況を思い返そうと首をひねり―――頭をよぎった場面に驚き、高速でロマーノを向き直る。
びくっと肩を振るわせたロマーノは、あちらこちらへ視線を迷わせ、やがて小さく呟いた。

「あのまま倒れたりするから悪いんだろ……バカ」

何の衝撃でこんなことになったかを改めてスペインは理解した。

「悪いどころか最高潮や!か、かわっ、かわ、くぁあああぇええええなああああもおおおおお!!」

部屋どころか家中に響くんじゃないかというくらいの愛情表現は言語の体を成していない。
ついさっき対応できなかった分も込めてあらん限りの力で滾った抱擁を、ロマーノは横に転がることで避けた。 身体が反応し切れないヘタレっぷりながらの本気逃げだった。
べちゃり、床にへばりつく結果になったスペインが腕立て伏せの要領で顔を上げて不満げに騒ぐ。

「ちょ、なんでよけんの!そこは受け止めるところやろ!」
「若干ひいた」

けしてスマートではない逃げ方をしたロマーノは床に手をついて起き上がりながらずるずる距離を取ろうとする。 その分、床を這って近づいて、スペインはなおも追い縋る。

「なんでなんでなんでー!もっと喜びに浸らせてんか!噛み締めたいわ!」
「奇声を発しながら抱きしめられるのはちょっとな…」
「じゃあ普通にぎゅってする!するからおいでロマ」

かなり引き気味の相手もなんのその、極めて自己中心的な主張を繰り返して擦り寄る。
冷静に拒否部分を説明されたおかげで、そうじゃなければいいという素晴らしい脳内摩り替えも行われたようだ。 何がじゃあなのか、どの繋がりでそうなるのか、一切の指摘をガン無視する爽やかな笑顔でスペインは両手を広げてみせる。

飛び込めと、言いたいのか。

「いやお前何歳だよ……」

むしろ俺が何歳だよ。そんな気持ちも多分にこめて、呆れるを通り越した声になる。
ロマーノがローであればあるほどハイになるのか、笑顔の絶えないスペインがいっそ誇らしげに言った。

「やってこんなにロマーノが素直なん滅多にないもん!堪能せな後悔する!」
「う、うるせー!」

べしっと広げた腕を弾くように叩くが、上機嫌のこの男に何を言ってもやっても無駄なのはロマーノも分かりすぎていた、嫌なくらいに。

「俺うるさいもーん、そんでロマーノごっつ好きやもーん」

いよいよ了解も得ずに勢いよく抱きついてきたスペインは、その勢いに反してとても優しく、慈しむようにロマーノを抱きしめた。 感触を確かめるように、存在を確かめるように徐々に強くなっていく腕の力が、体だけでなく心まで逃げられなくしてしまう。

「このばか……」

自分が腕を回すのはさすがに癪で、代わりに頭をことりと押し付ける。
ゆっくりと頭に添えられた手が嬉しいだなんて、口が裂けても彼には言えなかった。

「あー。ほんとにロマーノやー、補給しとかなー俺枯れてまうわー」
「どんだけ貧弱だお前は」

まるで呼吸するみたいにロマーノロマーノと重ねられる名前に 羞恥心とくすぐったさと馬鹿だこいつという気持ちが混ざり合って本人はまともな思考ができない。
不機嫌を装って呟いた言葉もお構いなく、スペインが甘ったるい声でロマーノに囁きかける。

「な、ロマーノは?ロマーノは俺のこと好きー?」

こいつマジで最低だ。腕の中で硬直し、ロマーノは思いっきりパニックになった。

「き、嫌いだったらまず来てねーだろ」
「ちゃんと言うてー」

変化球は認めませーん、なんてふざけた物言いでにこにことねだる相手をロマーノは正直殴りたい。
テンションが振りきりすぎて手に負えない、スペインはこうなるとなかなか戻らないのだ。
頭から湯気を出しそうなほどショートしているロマーノを微笑ましげに見遣り、ゆるやかにゆるやかに髪を梳きながら、 耳に注ぎ込むようにスペインがもう一度言う。

「なあ言うて、ロマ」

ちゃんと声に出して。掠める吐息が耳朶をくすぐる。

「ロマーノ」
「な、流されるかチクショー!!」

臨界点に達したロマーノが渾身の力でスペインをばりっと引き剥がした。
耳まで真っ赤に染め上げてぜぇぜぇと息をつくのをぱちぱち瞬きして見つめ、スペインは両手をそうっと伸ばす。 ロマーノの片手を大事に包み、恭しく持ち上げて、つられて顔を上げてくれたのに優しく笑いかけた。

「ロマーノ」

目を閉じて、手の甲に軽くキスを落とす。ロマーノが息を呑むのが分かった。
唇を離すのとほぼ同時に瞼を開き、泣きそうな顔になっているのを見て、たまらなく溢れてくる、感情。

「愛してるで」

そうやって細められた瞳と微笑に、抗うことなんてロマーノにできはしない。

「好きに決まってんだろ……ちくしょう」

悔しげに吐き捨てて、やっと自ら胸に倒れこんだ。

「あかん、幸せすぎて死にそう」

しまりのない顔でデレデレと抱きしめてくるスペインは、感無量と言わんばかり。
今度は腕を回して抱きついたロマーノがぼそり言う。

「勝手に死んだら地獄まで追いかけて殴ってやる」
「あはは、地獄決定かいなー。手厳しー」

ま、しゃーないけど。そうやってからから笑うのを遮って睨みを利かせる。

「そんで天国まで引きずってやるから安心しろ」

ぱちくり。本日何度目かになる瞬きののち、堪えきれずスペインは笑う。

「そりゃええわ。男前やねロマーノ」
「元からだこのやろー」

耳に額に頬に鼻に、数えられないくらいのキスを贈って、強く強く抱きしめる。

「うん、どやってこれ以上惚れようかな」


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