迷走エスケープ 程よくだるい、そんな言葉が似合う目覚めであった。つまりは軽い二日酔い。 昨日は久々に元子分であり可愛すぎて目に入れても痛くないロマーノが酒を土産に訪れて、珍しく腕を振るってくれた料理に舌鼓を打ち他愛のない話で盛り上がった。 緩やかな幸せを噛み締めてもう一眠り……そう寝返りを打ちかけてスペインは違和感に気付く。 腕に当たるのは、体温。自分のものでは勿論ない。では誰なのか。おそるおそる首を向け、視線を巡らせて完璧に凍りついた。 なんとも無防備な顔で寝こけるロマーノは当然のように全裸、それはいい、正直よくないがそれは常として処理したい。 問題は鎖骨の見える位置に紅く咲いた印。 まごうことなき、キスマークだった。 「うえええええええええええええええええ!?」 思わず跳ね起きて自分の身体を確認する。下着は穿いている、だがしかしそれが何の証明になろうか。 暑さのせいだけではない汗が背中を伝う。これは、まさか、いやそんな…… 「うっせーな、朝っぱらから。いつもは寝坊するくせに」 混乱の極地に達しているところにかかった声にびくりと振り返る。寝ぼけ眼で上半身を起こしたロマーノが不機嫌そうに睨みつけていた。くぁ、とあくびをして布団に潜り込もうとするのを大慌てで止め、状況の説明を求めることに。しどろもどろに言葉を紡ぐスペインを眠りを邪魔された面倒くささか半目で見つめるロマーノは、いかにもどうでもよさげにとんでもない事を口走った。 「お前が圧し掛かってきたんだよ」 「え」 思考が止まる。 「証拠はこれ。他に質問は?」 自ら紅い跡を指差して真顔で言ってのける目の前の相手にスペインは絶句しかできなかった。 なんてことをなんてことをなんてことをなんてことを! 完全に沸騰した頭でフル回転した思考などろくなものではない、なんてその場で気付けは苦労などしない。 口をついてでた言葉はあんまりにもあんまりだった。 「責任はとるから!」 *** 「で、付き合うことになったと」 「せや」 机に突っ伏して動かないままのスペインに投げた言葉は二文字で返された。 いきなり押しかけて泣きついたかと思えば訳の分からない、というか分かりたくない顛末を聞かされてフランスは深々と溜息をつく。 「いいじゃない、勢いでも嘘でも本当にしちゃえば。つーか普通に付き合えよお前ら」 後半はもはや呆れたツッコミでしかなかったが、沈みに沈みまくった腐れ縁は机に両手を叩きつけて叫んできた。 「せやかてあいつほんま女の子大好きやねんもん!」 まあ別にいいけど。 そんな軽すぎる同意を頂戴してしばらく。別に何をするでもなく普通に過ごしていた矢先、昼食を共にした店で外を眺めていたロマーノが美脚の女性を見つけたが為に何故かフェチ談義になった。仮にも恋人が、だ。 ―あの足のラインがたまらねーんだよ。足の付け根から太もものあの三角の空間だ、あの隙間に手を差し込むのがなんともいえねぇ。 手をわきわきさせながら真剣に力説する贔屓目を抜いても美青年な相手の残念さに自分を差し置いてスペインは生温く頷くしかできなかった。 「とかいうのを恋人に聞かされる俺ってなんなんやろか…」 「とかいうのを聞かされなきゃいけない俺が一番可哀想だよ」 うんざりした様子のフランスを前にスペインはいよいよ立ち上がって泣く一歩手前な形相で声を張り上げる。 「あいつの興奮する対象は俺やないもん!知っとる!知っとるけど触りたいとか思って叶ったんが泥酔な上覚えてないとかどんなオチやねん!」 そのままぱたりともう一度机に突っ伏して、ぐだぐだと落ち込み始めた。ここが外でなくて本当に良かったとフランスは遠い目をして思った。そういや日本では、のの字を書く、なんて比喩があった気がするなと完全に他人事の気持ちで見遣る。 「さわりたい、さわりたい。ロマに触りたい…」 「触れば?」 いろんな意味で匙を投げた身も蓋もないツッコミによってその日の相談は終了した。 *** めんどくさいから当たって砕けて来い!そうやって追い出されたまま、とぼとぼと家路についてみれば勝手知ったる我が家状態のロマーノがソファで物凄く寛いでいた。 ごくり、唾を飲む。このままは駄目だ、はっきりさせなくてはならない。 ただの冗談だと取られたのなら諦めなければ。 「な、なあロマ」 「んー?」 「ぎゅってしてええ?」 僅かな間。ひやりとしたものを感じるスペインをよそに、ロマーノは怪訝な表情で視線を向ける。 「…んだよ改まって。気持ち悪ぃな」 妙に改まった様子で聞いてくるのを訝って持っていた雑誌は閉じぬものの話題を投げずに口を開いた。 「好き勝手べたべたくっついてんじゃねーか。いつも」 「……嫌ちゃう?」 「嫌だったら許してねえだろ、どんだけお前と一緒にいると思ってんだ」 それこそ何百年も、言い切る前に腕を伸ばして抱きしめた。 スペイン?と問いかける相手の顔が見れずに、きつくきつく掻き抱く。 さすがにおかしさを感じつつも自分の言葉を待ってくれるロマーノに胸が一杯になり、腕を離すと肩を掴み、瞳を合わせる。 「あんな、ロマ、ロマーノ。俺ほんまに悔しい」 「なにが」 投げやりではなく、きちんと問い返す台詞は短い。それは先を促す意。 「ロマを抱くんやったらちゃんと抱きたかった。酔って無理やりで記憶もないなんて最低や。大事やったんに、せやから我慢しとったのに」 急く気持ちを出来る限り抑えて、伝わるように紡いでいく。 「お前は俺のことそういう風に思ってへんかもしれんけど、俺はお前を愛しとる。目一杯優しくして気持ちよくして抱きたかった」 言い切ると優しく抱き締めて、耳元で自国の愛の言葉を囁いた。 静かな時間が過ぎること、しばし。そろり、顔を覗き込もうと身体を離したスペインは目を見開いた。 ロマーノはそれはもうトマトもびっくりの真っ赤な顔で硬直しており、まばたきすらしていない。 「ロマ?」 「うわあああああああ!」 呼びかけると大声と共に頭突きを食らい、その反動のまま距離を取ったロマーノがぜーはーと荒い息を繰り返した。 我に返ったスペインは表情を曇らせ、ぐ、と手を握り締める。 「ごめん。気持ち悪いやんな…」 「ちげぇよ馬鹿!」 謝罪を紡ぎ終わる前に否定がぴしゃりと遮った。 聞き返す間もあればこそ、癇癪を起こした子供のようにロマーノは喚く。 「やってねーよ!お前がじゃれて跡残したくらいでそのまま寝やがったからむかついて言ってやったんだばーかばーかばーか!それなのに本気で青ざめて責任とるとか言い出しやがって、責任なんかで言われても嬉しくもなんともねーんだふざけんな!」 一息に叩きつけた終わり際、ぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。 「嬉し、かったのに…」 ――ロマ、ロマ、大好き。 途端、脳裏に蘇るあの日の記憶。 抱き締めて鎖骨に口付けて、目を合わせて微笑んだその時、ロマーノも笑ったのだ、嬉しそうに。 ぼろぼろと泣きじゃくる相手へ腕を伸ばし、そっと抱き締める。焦りでも後悔でも懺悔でもない、愛しさをこめた抱擁を。 「良かった…」 安堵の声が掠れて響き、腕の中のロマーノが擦り寄った。 「じゃあ俺、ロマのことちゃんと自分のものにしてええんやな」 「え」 聞こえてきた内容に耳を疑い見上げれば、頬へ触れる手が優しく撫でて、慈しむ笑顔でスペインは言った。 「大好き、ロマ」 そうやって近づいてくる顔から逃げることもできず、ロマーノはゆっくりと瞳を閉じる。 涙は止まったものの、このままで終わる気配が全くしない。 まあいいか、と今度こそ投げやりな気分でとりあえずはキスを味わうことにした。 嫌なら、こうはなっていないのだから。 2010.8.22 インテ無料配布 |