墜落


一言、相手が「嫌だ」と口にすればちゃんと手を離してやるのに。だが絶対にそれはないだろうことこそ、自分が一番よく分かっていた。 そういう風にロマーノを育てたのは己であり、無意識か意識的か分からない頃から少しずつ少しずつなくてはならないものだと刷り込んでいったのだから。
素晴らしきかな、長年の成果。愛する可愛い可愛い幼子は決めれば美女も軽く落とせる伊達男になりながらも自分を探して求めて、 確認すると心から安堵するのだ。

「スペインがいい」

寝台の上で何度も確認を繰り返す、酷く滑稽な習慣だった。焦らして焦らして我慢の聞かない声音で呼ばれる名前はたまらないものが あり、涙を湛えた瞳を覗き込んで何を望むのか問いかける。その度にきちんと答えを返すロマーノが愛しくてならない。シーツに縫い止めて声が枯れるまで貪った。

夜が明けて日が差し込むと浅ましいなんてものじゃない独占欲と支配欲に眩暈がする。啼かされ泥のように眠り込む相手に贖罪の如く 優しく触れたところで払拭されるものなどありはしないのに。
だから目覚めはいつだって別々に、愛しい子が起きる時間には平素の自分で当たり前の笑顔で笑いかけたい。そうやって何もかもを 誤魔化して日々を過ごしていく。

ふと、手首を掴まれる感触。幾度かあった寝惚けた手癖だろうと油断したのが間違いだった。 振り返るそこにはしっかりと目を開けたロマーノの瞳。 背筋が強張った。顔を合わせてはいけない時間帯なのだ、不可侵であるべきひと時であった。取り繕おうと無理やり笑顔を浮かべる前に愛しいその子は口を開く。

「お前、いつ観念すんの?」

がらがらと音を立てて世界が崩れていくのを感じた。
まっすぐにこちらを見つめ、すらりと述べられた言葉は紛れもない本質を突く、何か。 何かだなんて逃げる時点で勝負は決まっていたのかもしれない。 瞬きも忘れ呼吸すらできない程に衝撃を受けていた自分はロマーノが身を起こして近寄ったことさえ気付かなかった。

「なあ、スペイン」

ぺたり、頬に触れてくる掌に我に返る。透きとおるような美しい瞳は何の感情も読ませてはくれず、否、読むことを頭が拒んでいるのだろう。
ああ、駄目だ、駄目だ、この先を聞いてはならないのだと警鐘が頭の中で鳴り響く。

「俺がお前を選んだ事を認めろよ」

脳内の騒音を遮って切り込んできた言葉は根底から揺さぶりをかける。

「お前が嫌だって言っても離さないからな」

見詰め合ったまま交わす口付けは大量の痺れを自分にもたらし、耳に届く鳥の鳴き声がこれは現実なのだと追い討ちをかける。 そっと押し倒してくる相手の腰に手を回すと愉しげな笑いが漏れ聞こえた。キスは深く、唾液が顎を伝い落ちる。 糸を引いた唇でロマーノがまた笑った、ひどく艶やかに。

「嬉しいよな?スペイン」

熱に浮かされたように、頷いていた。


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