真綿でくるむ


いつだってスペインはロマーノの暴言を軽く受け止めて諭し、叱ったとしても大抵は笑顔か困った顔だった。
小さい時に幾度も本気で怒られたけれど、それだって自分の事を思っての真剣なものばかりで理不尽さなどない。
だから、甘えている自覚はある。スペインは自分が何言っても何をしても、笑って許してくれると思い込んでいた。
ずっとずっと、無条件で与えられる愛情にもたれかかってきたのだ。

最初、何が悪かったのかロマーノにはまったく分からなかった。
本人にしてみればいつもの軽口の延長で、だけどそれでも噛み合わない何かが増幅していたのも感じていた。
齟齬は新たな歪みを生んで積み重なって暴言は膨れ上がり、気がつけば口から飛び出したひとつの言葉。

「お前なんかいらねーよ!」

その瞬間、机の上から弾き飛ばされた花瓶が大きな音を立てて砕けた。
破砕音に身を竦め、何事かと我に返った時、見たこともない冷たい表情でスペインがロマーノを見つめていた。
感情の見えない瞳に震えが走り、ロマーノはその場から後ずさる。

「なんで?なんでそんなこと言うん」

静かな部屋によく通る声は僅かに低く、詰問の形に近い。
怯えて逃げようとするロマーノとの距離を大股で詰めて、痛いくらいの力で腕を掴み引き寄せる。
声も出ず、ひゅっと喉を鳴らして身体を固くするロマーノを見て、スペインの瞳の光が強くなった。
顎に手をかけ、目線を無理矢理合わせて覗き込む。小刻みに震える様子にも構わず、怒りを込めて言葉を紡ぐ。

「ロマーノが俺から離れるなんて許さへんよ」

早口で言い放たれたのは拒否を認めない絶対的な宣言。
苛烈に睨みつけるスペインへと何も返すことができず、ロマーノの目元に涙が滲む。
やがて零れ、幾筋も伝う涙は頬を濡らし、顎を支えるスペインの手首へも流れていく。

「お前だけは絶対どこへもやらん……!」

続ける言葉は苦しげに歪み、かと思うとスペインの瞳からも大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。 触れている手は微かに震え、ロマーノの腕を掴む力は変わらず強いのに今にも崩れ落ちそうなほど傷ついて見える。

「ス――」

スペイン、と呼びかける声は急に両肩を掴まれて音になりきらなかった。

「俺はお前を征服しとっただけなん?全部俺の独りよがりか?ロマーノは今でも俺のことが怖いん?」

泣きながら訴える言葉のひとつひとつが胸に突き刺さる、怯えているのはスペインだった。
強く掴まれたのは必死に吐き出してきた数秒で、手はずるずると滑り落ち、スペインは力なくその場に膝をつく。
力なく項垂れるその様子に、考えるより先にロマーノは動いた。 飛びつくように抱きついて、腕の中に相手の頭を抱え込む。ただただ強く抱き締めて、上手く回らない口で呼びかける。

「お前の何処が怖いんだよ。ボロボロ泣きやがって」

未だ止まらない涙が溢れて涙声、それでも虚勢を張って言い募る。
腕を緩め、懸命に覗き込むロマーノの顔を見て、スペインが泣きながら笑った。

「ロマのほうが泣き虫やんか」
「うるせーな」

やっと安心したロマーノの涙腺はなかなか止まらず、どっちが慰めているのかわからないような状態でしばらく抱き合っていた。
お互いの胸元を濡らすだけ濡らし、ようやく落ち着いた頃、ロマーノがそっとスペインの頬に手を伸ばす。

「お前が俺にだけ甘かったのも知ってる。全部知ってる。子供じゃないんだ、スペイン」

静かに落とされる声にスペインは目を瞠った。 庇護をする相手だと、己が守らなければと囲って囲って育ててきたはずの子供は、自分の闇などとうに知っていたとでも言いたげな表情をしている。

「俺はそんなお前が好きなんだよ」

その深すぎる言葉と想いを受け止めきれず、ゆっくりと唇を重ねて封じた。
絡めとられてしまったのは、どちらなのだろうか。


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