自爆コマンド 3


軽く一ヶ月が経過した。慣れたのか諦めたのか、海馬はあまりぐちぐちと零さなくなってきた。態度が緩和されてしまうと思い出すのが端々の行動及び言動に付随する何がしか。
ふとした会話の途切れた空白、埋める仕草まで浮かんでくるとさすがに微妙だ。本人なのだから、気を許した時に見せるものだとかそういうものが同じであればある程、余計なことを口走りそうで怖かった。
違う、それはただの言い訳に過ぎない。
最初は意地だった。始まりはお前だと突きつけてやりたい気持ちがあったのも否定はしない。だけど気付いた、気付いてしまった。相手の変化に喜ぶ自分を、些細なことで嬉しくなる、そんなどこにでもあるドラマみたいな展開をまさか自分が体験するとは!

惚れ直した、だなんて思いたくはなかった。本気で。
 
「趣味が悪すぎる……」

片手で顔を覆い、うなだれた。
もはや何度呟いただろう、自分自身にまで疲れていたら精神がもたない気がする。海馬に関わる限り、精神の疲弊からは逃れられないのはよくわかった。
すっかりと以前の如く入り浸っている海馬邸、座り心地の良いソファがあるこの部屋は自分専用の応接室である。
特に示し合わせたわけでもない時、モクバと約束した時、決まってこの部屋を使っていた。個人のプライベートスペースにそうそう入れないと言った城之内にここを示したのは他でもない海馬で、記憶が抜けた後もモクバが毎回指定した。思い出すのを期待してないとは言わないが、それよりもこの部屋が落ち着くという、ただそれだけの理由で使い続けた。
 ノブのまわる音、ドアが開くのに合わせて城之内は顔を上げる。

「貴様も暇人だな」

呆れた声色に笑いが浮かぶ。

「お前にそんなこと言われたの初めてだよ」

訝しげな海馬に、ますます笑いが止まらなかった。

更に数日、間を空けて顔を合わせた海馬はなんだか様子が違って見えた。機嫌が悪いように思えたので、出直そうかと踵を返すと呼び止められる。なんと珍しい。
この一ヶ月ちょいでさっさと帰れ的なことばかり言われ慣れた身としては目をぱちくりするくらいは驚いた。

言葉少なに会話を交わし、違和感に疑問を覚えた頃、おもむろに海馬が視線を向けた。

「記憶が戻るまで通うつもりか」
「え」

理解するのに数秒かかった。
冷たい目だった。底に怒りを湛えた、絶対零度の瞳がある。

「戻らなくてもどうということもあるまい」

 切り捨てる言葉。

「実際に不便もない」

海馬はもう城之内を見ていなかった。顔はこちらを向いていたけれど、睨み据えるのは何か、別の――…

「悪し様に言うのが日課であれば好きにしろ」
「お前、さっきから何言って――」
「どうも貴様はお人よしがすぎるからな、大方くだらん情で付き合っていたのだろう。解放してやる」

頭の中で、ひどい破砕音がした。力任せに掴みかかり、反撃の暇も与えず一発入れる。手加減なしのこぶしは鳩尾に深く入り、小さな呻きが海馬の口から漏れる。更に腕を振り上げ、殴ろうとして顔を見てしまった。苦しくなる呼吸、思いつく限りの罵倒をぶつけてやりたいのに、全然言葉が出てこない。 

「言っていいことと悪いことが、あんだろ!」

見開いたその目を潰してやりたい。情けなくてやりきれなくて、自分が消えてしまいたい。

「このタコ!お前本当にいっぺん……っもういい」

言い捨てて廊下へ走り出た。足元がぐらつくのは怒りのせいだと、己に言い聞かせて必死に進む。やがて階段に差し掛かり、手摺に手をかけたところでモクバの声がかかる。
 
「城之内、さっきすごい音――…ってなんて顔してんだ!」

思わず駆け寄るモクバを首を振って拒絶した。

「悪ぃ。今日は帰るから、頼む」

返事にならない様子にモクバも引きはしなかった。腕を掴もうとする手を振り払いかけて、城之内は息を飲む。

バランスを崩したモクバが足を踏み外し、宙に浮いた。城之内は腕を伸ばしてしっかりとモクバを抱え込む。感じる浮遊感は長かったのか短かったのか――衝撃を受ける前に城之内の意識は途切れた。

微かに泣き声が聞こえる。しゃくり上げるような声は徐々に納まり、宥める声と気配がそれを包んだ。少しずつ感覚が鋭敏になり、閉じるドアの音を認識すると同時、瞼を開けた。白い天井、白い壁、周りの設備を見るにここは病院だろう。まだぼんやりとした頭で、ゆっくりと現状を確認する。
 首を巡らせてみると、こちらを見る男と目が合った。

「お前誰?」

問えば強張るその表情。凍りついた相手は動かない。

「とか言ってみたらオレも相当ひどいよな」

にっと口角を上げてしてやったり。もちろん、モクバがいたらやらなかったが、こいつだけなのが悪い、これくらいしたくなる気分にさせるのが一番悪い。
 表情を失くした海馬はゆらり、近づくとベッドの脇に立ち、勢いよく手摺りに頭をぶつけた。

「うおおおおおおおい!何してんだ!医者、ちょっと医者!」
「黙れ凡骨」

慌てて跳ね起きた 城之内の手首を掴み、ぐいと引き寄せた海馬の目は真剣で、揺ぎ無い。少し、身構えた。

「思い出せば貴様はオレのものになるのか」

手首にかかる力は強まって少し痛い、だがそれよりも心を動かしてやまない馬鹿な台詞がおかしかった。

「やっぱお前、海馬だわ」
 
くしゃっと笑う城之内は、耐え切れず顔を抑え、爆笑した。

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