No Surrender


誰かにとっての暗黙の了解とは自分と同義であるとは限らない。そんなことくらい分かっているつもりだった。
一般常識にさえ細かな価値観の差異が存在するのだから、信条や生き様へ視点を切り替えてしまえばそれこそ歩み寄りの大切さを思い知る。妥協ではいけない、諦めること、引くことは自分を否定することになりかねないのだ。
揺ぎ無い自我こそ己であり相手であり、その上での関係性を尊いものだと。

「だからてめーとは合わねぇんだよ!」

口をついて出た台詞は概ねいつもと変わらなかった。少なくとも城之内の中では。すぐさま罵倒が飛びさえすればこんな訳の分からない不安などに陥りはしなかっただろう。だがしかし、被せるような怒号ではなく静かに響いたその声が冷水を浴びせかけた。

「そうか」

沈黙の後、ぽつりと零した言葉は肯定なのか否定なのか。確かめる術はなく、海馬は急に飛び込んできた仕事の予定に向かうべく何事もなかったかのように背を向ける。
声が出なかった、身体も動かなかった。その時になって、自分は海馬にきちんと認識されていたんだと理解した。
扉の閉まる音を聞いた後、きつく拳を握り締めた。


***


あれから海馬邸には訪れていない。むしろどの面下げて、という表現が正しい。自分に非があるのなら意地を張ったにせよ謝るくらいの気概は持ち合わせているが――むしろ相手があの海馬である時点で自分が謝る以外の道は見えない――他愛ない言い争いの延長であったこと、そして最後の海馬の態度に怯えてしまったことが城之内の行動を鈍らせている。これがもし遊戯や本田ならば即日解決してしまうような出来事だと、思いたかった。
あのセキュリティ厳重な屋敷に顔パスで通れるような位置に立ってしまってどのくらいだろうか。当たり前に立ち寄りかけた足で踵を返しバイトへ向かう、そんなことを何日も繰り返している。
本日もそうやって曲がりかけたいつもの道で立ち止まり、小さく自嘲の笑みを零す。

「だっせ…」

情けない、習慣づいた体に呆れながら足を踏み出した。
その時である。
耳障りなブレーキ音と共に一台の車が滑り込むように停止した。見覚えのある高級車、外からは中が覗けない窓は防弾ガラスだとモクバに聞いた覚えがある。

「乗れ」

開いたドアの向こうにラスボス発見。称えるオーラは無駄にどす黒く、これが怒ってなかったら世の中悪魔ばっかりだ、なんて冗談を言える雰囲気でもない。
とりあえず拒否権が無いのはよく分かった。


***
 

気まずい。物凄く気まずい。
有無を言わさず海馬邸に連れ去られて半刻が過ぎようとしている。城之内にはその何倍もの時間に思えた。いかな図太い城之内といえ、無言で三十分経過する試練に耐えるのは至難の業であった。
なんだかよく分からないが怒っている海馬というのは珍しくもないが、前回の流れでこの沈黙は拷問以外の何でもない。第一、自分で拉致しておいて一言も発そうとせず睨みつけるばかりなのは勘弁してほしい。目は口ほどにものを言う、なんて実際に示されたところで機嫌が悪いくらいしか読み取れないのだから。
いい加減痺れを切らしたか、舌打ちをした海馬が低い声で告げた。

「何故謝りに来ない」

直球過ぎる。正直は美徳とかそういう問題じゃない、この男は何故こうも己に非が無いとばかりにこんな台詞を口にできるんだ的な考えを城之内は即座に捨てた。海馬だから、その一言に全てが集約されてしまうのを実を持って知っていたからだ。

「や、だって、気まずいだろ…」
「謝罪に来なければ延々とそうなるのではないか?」

何とか返事を紡いでみせた城之内に海馬は尚も畳み掛ける。正論だ、紛れも無く正論だがこいつにだけは言われたくねぇ、ツッコミ精神が恐れを上回った。

「んな簡単に動けたら葛藤ってもんはねぇんだよ!」

勢いで叫んだのちハッとするも、目の前の海馬は自らの顎に手を当て、一言。

「葛藤という単語を知っていたか」
「てめ、二重に喧嘩したいなら買うぜ…?」

本気で感心したとしか思えない口ぶりに半目で睨んでみせると、愉快げに相手の口角が上がる。

「やっといつもの貴様らしくなったな」
「は?」

急に機嫌よくなった海馬にぽかんとしてしまった城之内に阿呆面はいらんと投げつけて、いつもの調子で言い募る。

「言っておくが、あの程度で遠慮して距離を取る貴様のほうが俺には理解不能だ」

返す言葉も無い。しかし、それで済まないから今なのだ。

「いつもだったら言い返すとか、あんだろ!だから…」

だから足が竦んでしまったんだと、日常になった口論が煩わしいのであれば、寄ると触るとを体現する自分たちの関係性すら危ぶまれる。そう、思った。
だがそんなマイナス思考は続く発言で台無しであった。

「頭に血が上っている貴様に何を言ったところで無駄だろう」

至極当然のような口ぶりで遮ってきた相手の言い分に思わず絶句した。つい口にしなかっただけ、城之内も学習していたのかもしれない。

――お前にだけは言われたくねぇよ…

デュエルの、特に遊戯に関する事となれば目の色を変えて一語一句全てに噛み付いてかかり色んな意味で弾けていた、否、現在進行形で弾けている男に言われるのは心外にも程がある。

「っだよ、マジ損した。俺の心労を返せ」
「勝手に沈んだ馬鹿など知らん」

大げさに肩を落としてみせれば、即座に鼻を鳴らすこのやり取り。知らず城之内に笑みが浮かび、すっきりした表情で大きく伸びをした。力を抜いてソファに凭れかかると相手を見やり朗らかに零す。

「でも、ま、安心した。視界にも入れたくないとかだったらさすがに覚悟したからな」
「何の覚悟だ」

大団円めでたしめでたしで済ませてくれないのが、海馬瀬人という男の気性だ。安心して緩み切った城之内の発言の裏を正確に読み取った様子でひたすら不機嫌に眉を寄せる。

「俺が?貴様を手放す、だと」

立ち上がり距離を積めてくる海馬の怒りはさっきより酷い。いや、拗ねていると言った方が正しいと城之内は思う。だらけた体勢を崩そうともせずに迫る眼光を受け止める。

「貴様は俺のものだろう」

ソファの背を掴み凄む態度だけ見れば脅しとも取れる言葉だが、含まれた意味を取り違えるほど薄情じゃなかった。

「ものとか、そういうのはやめようぜ」

な?と子供に言い聞かせるみたいに呼びかけ、手のひらで緩やかに頬を撫でる。眉を跳ね上げる海馬の反応が面白かった。

「別に何かで括らなくても、俺はお前と居てやるって」

上から目線には上から目線を。そんなことを思ったわけではないが、口をついて出たそれは考えてみればとてもふてぶてしい。ますます眉間に皺が寄っていくのをけらけら笑い飛ばし、顎に手をかけて一気に引き寄せた。

「好きなんだからよ」

告げると同時に口付けた海馬の表情が非常に満足のいくものだったので、乱暴に描き抱いてくる腕を自由にさせてやることにした。

実に、平和だ。





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