弊害 「暑い」 「夏だからな」 思わず呟いた愚痴に飛んできた言葉はぴしゃりと冷たい。 炎天下のバイト帰り、脱水症状一歩手前だった城之内はたまたま車で通りがかったモクバに保護された。 スポーツドリンクを与えられ、あっという間に海馬邸の一室に運び込まれること数分前。 いきなりクーラーで冷やすのも身体によくないため、汗がひくまで大人しくしているところである。 だるさは大分マシになったものの、動く気にもなれず、室内はぬるい。 色んな気持ちをない混ぜて口にした途端、現れたのが海馬では気分も滅入る。 思いっきり顔を顰めてみせると、相手の眉間に皺が刻まれる。 「いい態度だな貴様」 「オレ今お前の相手したくねぇ。めんどい」 消耗してんだよ。城之内は顔を背け、ごろりと転がって目を閉じた。 挨拶代わりの口喧嘩をする気力も今日はない。 だからといって相手が退いてくれるかどうかは話が別だが。 「ふん、だらしのない。体力ぐらいしか誇れるものもなかろう」 「お前マジ炎天下で過ごしてみろ!庶民舐めんな!」 案の定、鼻で笑い飛ばしてきた海馬につい噛み付いてしまい、上げた声の分、ぐたりと突っ伏す羽目になった。 海馬とて夏のイベントだったりであちこち引っ張り出されたり、逆にクーラーの効きすぎた場所での仕事も多いだろうとは 想像つくが、倒れ伏してる人間に対して嘲笑を浴びせるこの性格は腹が立つ。 「喚いて更に消耗したいのか?疲弊しているならそれらしくしたらどうだ」 懲りずに素敵な態度で言葉を重ねてくる海馬は足音を立てて距離を詰める。 見下ろす威圧感は半端なものではなく、城之内は嫌な予感がした。 「…さわんな」 つ、と伸びてきた手を視線と言葉で跳ねつけて城之内が目を細める。 「いちいち許可がいるのか」 直前で止められた指は触れてくることはなかったが、空気ごとなぞるように頬をすぎ、ソファの背を掴む。 乗り出すように近づいた顔はいつもの無表情で、目だけがギラギラと光っていた。 「疲れてんだよ」 「答えになっていない」 居た堪れなくて視線を逸らすが、突き刺さってくる相手のそれは痛いくらいに強い。 「お前とのやり取りするほど元気ねーの。弄って遊びたいなら他当たれ」 言い捨ててぱたんとうつ伏せた直後、海馬はシャットアウトの姿勢を取った城之内の腕を掴み取り、 無理矢理引き上げ背もたれへと押し付けた。 「他、とは?」 落ちるのは短い詰問の言葉。 ねめつける視線は氷の如く貫いて、何か踏んでしまったことを城之内に気付かせる。 「貴様は何か勘違いしてはいないか。このオレがくだらぬ揶揄の応酬のために時間を割いていると? 貴様が無駄に反発ばかりするからそうなる、気力がない今こそはぐらかさずに答えてもらおうか」 いつもの応酬の延長ならいっそ怒らせて放置してしまえば済むと思った。 だが今日の自分のコンディションによる判断力の低下を甘く見ていたようだ、 むしろそれを見逃さず思い切り突いてきた海馬はやはり勝負師なのだろう。 「これだから頭のいい奴は嫌なんだよ…」 城之内は疲れた声で呻いた。 また鼻で笑った海馬が覗き込んで低く囁く。 「大人しくオレのものになればいい」 うそつけ。反射的に口が動いた。 「そんなオレなんていらないくせによく言うぜ」 ハッ、と馬鹿にしたように吐き出す城之内。ざまみろと言わんばかりに笑ってくるそんな相手をしばし見やり、 海馬は殊更見下した様子で嘲笑った。 「オレに縋ったりするような殊勝な性質か?オレに従順な貴様など怖気が走るわ。手の内に落ちてから好きなだけ喚けと言っている」 毒気の抜けた顔でぽかんとするしかない、さすがの城之内もこんなことを自慢げに宣言されるとは夢にも思わなかったのだ。 「お前さ、そういうの支離滅裂って言うんじゃね?」 「で?答えはどうした」 話を全く聞いていない。質問に質問で返してきた地球外生命体をうろんげに見つめていると、 イラついたように溜息をつく。城之内のこめかみが多少引きつった。 「貴様に触れるのにいちいち許可がいるのか」 「そこに戻んのかよ!?」 大真面目に繰り返した台詞が台詞だったので、城之内は力の限りツッコんだ。 そうしたところで聞くような相手であればこんな事態にも陥っていない、ぎゃーぎゃー騒ぐ二人は いつものテンションに戻っていた。 「嫌なら暴力に訴えたらどうだ?得意だろう」 「テメさっきと言ってること逆だぞ。オレマジで動くのもだるいんだけど」 ぐぐぐ、と鍔迫り合いよろしく抵抗する城之内は必死、なけなしの体力をフル活用で挑む。 対する海馬も退くつもりは皆無であり、楽しげな表情で追い詰めにかかった。 「ではそれを言い訳に身を任せるか?言葉遊びで有耶無耶にされるほど甘くはないぞ」 「誰がっ…!」 かかる吐息に身を竦め、反発の声を絞り出す。ここで流されるわけにはいかない。 そんな城之内を逃すまいと喉で笑って海馬は耳元に口を寄せた。 「オレは貴様を欲している」 城之内の限界は振り切った。 海馬邸自慢のパティシエによる冷たいデザートをふんだんに用意し現れたモクバは、扉を開けて心から思った。 運ぶと言って聞かない使用人を押し留め、自分が台車を押してきて本当に良かった、と。 モクバにしてみれば自分が運んでみたかったのに加え、久しぶりにできた3人の時間をできるだけ中断しないようにという配慮だったが、 2人にしてしまえば化学反応のように何がしか爆発が起こってしまう流れを無意識に危惧していたのかもしれない。 頭を抱えたい気持ちで立ち尽くすモクバの前では、すこぶる大人げのない取っ組み合いが展開されていた。 「テレビとか一発叩けばなおるって相場が決まってんだよ」 「精密機器は衝撃を与えるべきものではない上、オレはそもそも人間だろうが!」 「いいから殴らせろお前なら3日で再生とかできるって信じてるぜ」 「意味不明な思い込みは信頼とは言わん!」 これがよくある、クッションを投げつける程度の可愛いじゃれ合いなら笑ってもいられたが、 残念ながら両者とも可愛げとは無縁の行動理念の持ち主であった。 モノを投げればそれは鈍器、掴みかかれば生傷の可能性、お互いに高いポテンシャルを誇っているがゆえに 格闘ゲームさながらのアクションシーンとなる始末。 錯乱した城之内が本気でパンチを繰り出して、寸でのところで防ぎ切る海馬。コミュニケーションにしてはキツすぎる。 見なかったことにしたい気持ちを何とか抑え、モクバは2人を叱りつけた。 我に返ったのかあっさりと収束した戦いの被害は大したことはなく、少々散らかった程度。 ばつの悪そうな当事者を座らせて、遅めのティータイムが始まったのがついさっき。 なんだかんだ喜んでデザートを食べる城之内はいいとして、無言のまま不機嫌オーラを振りまく海馬は離れたソファでふんぞり返っている。 この分では和解するのにまたひと悶着あるのが予想され、胸中で溜息をつく。 「…何があったの?」 「こう一発入れたらなおるかな、と」 その一言で、モクバは状況を理解した。 感情と行動が直結している城之内のこと、自分のキャパシティを超えた感情もしくは兄の言動についつい手が出てしまった――― そんなところだろう。 モクバにできるのは、現実的なツッコミしかなかった。 「兄サマは人間なんだぜ、城之内…」 「俺はそれが一番信じたくないけどな」 「城之内が暑さで参ってるのはよくわかった」 暑さのせいにしたのはせめてもの心遣いである。 無論、兄への。 キムラさんへお礼を込めて。 |