批判


「よう、海馬」

扉の開く音と共に現れたのは社員でも秘書でもなくこの場にいる訳がない人物であった。
ノックもせずに、という嗜めはこの相手には無駄であると決め付けて視線を向けたまま口を開く。

「何だ貴様」

短く呼びかけた声を無視して、城之内は後ろ手に扉を閉めた。
そして、「さあ、なんだと思う?」だの呟いて、それはそれはいい笑顔で近づいてくる。

「気色の悪い。浮かれたいのなら他を当たれ」
「あー、やっぱ分かる?そーなんだよオレもーすっげー機嫌いいんだよどのくらいかってーと」

軽く手を振りぱたぱたと、おちゃらけた様子で歩を進める城之内をうさんくさげに目の端に留める。
書面に意識を戻そうとする刹那、城之内の腕が動いた。
叩きつけた掌が机を震わせ書類を揺らし、数枚ひらりと落ちる中、見据える瞳は笑っていない。

「建物ひとつ簡単に潰せるくらいには」

にーっこり、口元でだけ笑って見せた城之内に海馬は本能的な危機を感じ取った。

「待て、城之内。落ち着け」
「ははは、何言ってんだよオレは落ち着いてるぜお前が落ち着けよ。ポーカーフェイスなのに慌ててんの分かるってある意味凄いな」

思わず口走った言葉に重なるような相手の声は息継ぎがないくらい途切れない。
実際、海馬は少々うろたえていた。城之内は感情と表情が直結しているタイプで怒りも喜びも悲しさも悔しさも いつも前面に押し出して力一杯ぶつかってくる。いわゆる単純熱血と称されるであろう彼の行動パターンにこのようなケースはありえないはずだ。にこにこと浮かぶ微笑が薄気味悪い。

「あーれー?意味わかんねぇって顔してやがんな?ははは、やっぱりな」

わざとらしい声の強弱も不快と思う以前に得体が知れず眉をひそめる。
静かに、だが激しく滲み出る感情があまり楽しくないものであることは十分すぎるほど理解した。
抑えたような低い声がぽつりと落ちる。

「お前ここ数日の睡眠時間、一桁切っただろ」
「適度に休憩と仮眠は取っている」

雰囲気に反し自分にとって至極どうでもいい内容だった為、するりと答えてしまったことを海馬は一瞬で後悔する。

「睡眠を取れっつってんだろオレとモクバはよお!」

近距離でびりびりと響く怒声と本気の形相を向けられて海馬は戸惑った。
今度は両手が叩きつけられた机の上は書類が散乱し惨憺たる状態となっていたが咎める隙は残念ながらない。

「モクバなんてオレに泣きついてきたんだぜ?!小学生を神経性胃炎にでもするつもりかこのワーカーホリック!」

両手を叩きつけ身を乗り出して罵る城之内の勢いは凄まじい。
そんな語彙をいつ覚えた、と思っただけで口に出さなかったのは海馬にとって記念すべき初めて空気を読めた瞬間かもしれない。
ともかくモクバの名前は海馬に多少の罪悪感を覚えさせた。優先順位のヒエラルキーの頂点に位置している1人である 弟は弱点ともいえるべき存在だ。常日頃から兄の健康状態を案じるモクバといえど、仕事に対する海馬の盲目的かつ 真剣な姿勢においそれと口は出せない。時折スケジュール調整をこっそり行って超過密を過密にするのが関の山だ。

「モクバの心遣いはもっともかもしれん。だがオレはこの程度で――」
「倒れたこと、あるんだってな?」

遮る声はごく低い、ぎろり、睨む瞳が細められる。
眉を跳ね上げ、海馬は心の中で舌打ちをする、実際にしないのは火に油を注がない為だ。
いつだったか、海馬コーポレーションが玩具企業として起動に乗った直後、生活を極限まで犠牲にした海馬は邸に戻ったその場で崩れ落ちた。 過労と栄養不足と不眠のコンボが少し気を抜いた途端に一気に襲い掛かってきたのだから当然である。 本人の生命力の偉大さで1日どころか半日で復帰してみせた社長の逸話は自宅だったおかげで邸内の人間だけの知るところとなった。
だが、それ以来あまりに負担のかかる仕事の仕方をするとモクバの瞳が訴える、心配だと声には出さず見つめることで。 海馬もさすがに数ヶ月は弟の心を汲もうと努力はしたものの、前を見据えたら止め処のない性格が改善されるわけもなく、 激務の日々を過ごしている。

「一度だけだ。それからは気を配っている」
「へーえ?たまに立ち眩みを起こしてるとも聞いたけどな」

どこまで筒抜けなのかと今度こそ本当に舌打ちをする。
倒れた事実を教訓に適度な運動で体力をつけつつ3回に1回はモクバの心配に耳を貸して休息も取った、しかし
次から次へと仕事を詰め込むのは他ならぬ海馬自身であり、精神は充実していても肉体がついていかないことも時にはある。 よって軽い眩暈や立ち眩みを目敏く見つけたモクバが休憩に追いやる状況が見られることもなかったとはいえない。
この城之内の剣幕は単にモクバに頼まれたからだけではなく以前の不摂生に対して、またそれを繰り返そうとしている 自分の行動に対してだということだ。
こうなれば逆らっても時間の問題だと思ったが、海馬にも譲れないものがある。

「…今日の重要案件はあと1つだ、それが終われば――」
「駄目だ。モクバからお前に対する全権を預かった、お前の予定は家に帰って休息だ! 聞かねーんだったらこの場で殴り倒してでも連れて行く!」

またまた遮られ、会議で倒れたいかお前は!と吠え掛かられる。
そもそも自分に対しての権限などないというツッコミも城之内の勢いに飲まれて出ることはなかった。

「言っとくが手加減はしねーからな…?」

完全に目が据わっている。本気の目だ。
身をもって味わうまでもなく城之内の実力は折り紙つきだ。グールズや黒服を蹴散らした戦績がある。
体術に関しては引けを取らないつもりではあるが、まさか本気の殴り合いをする気もない。
海馬は書類及びパソコンから手を離し、ホールドアップの姿勢を取ることでリアルダイレクトアタックを逃れた。

それからの時間はひたすら静かだった。
社長室から車まで、腕を引っ張るでもなくただ黙々と隣を城之内は歩く。
海馬は何一つ持ち出させてもらえず、身一つで連行される。机上の書類は散乱したままになった。
車に乗り込む際もお互いに無言で、重い沈黙を保って海馬邸への道のりを走る。 一度、城之内へと視線を向けた海馬だったが、窓の外を見つめて動かない相手を見ると自分も窓外へ目をやった。

邸に着き、先に車を降りた城之内はすたすたと歩き出し、迎える執事にも返事をしない。会釈だけをして足早に
進んでいくのに声をかけあぐね、後を着いて行く形となった。
訪れたのは己の私室、がちゃりと扉を開け勝手に入る相手に続き中へと入る。
扉の閉まる音でまた訪れる沈黙、そこで海馬はようやく1つの違和感に気付いた。

「モクバはどうした」

この騒動の原因というか依頼主であろうモクバが邸にいない、己を待ち構えて説教しても不思議ではないのに。
思考に入ったことで反応が遅れた。強く腕を捕まれたと認識した時には僅かな浮遊感、背中への衝撃で床に引き倒されたのだと把握する。

「モクバはお前の代わりにどうしても外せない何件かを片付けに行ってるよ、ほんと良く出来た弟だよな一生大事にしろ」

矢継ぎ早に告げられたのは質問の答えと責める言葉、表情は相変わらず怒りで固定され視線は鋭い。
圧し掛かる体勢で、城之内は海馬の顔の横に利き手を叩き付ける。

「そんでオレはすげー言いたいことがある、なんでだか分かるよなお前頭いいもんな?」

本日三回目となるその行動は床を伝わって海馬自身へと衝撃を伝えた。

「大切なものを背負うっていうのはな、自分のことも一緒に背負わなきゃ駄目なんだよ。 つまりは自分も大事にしろってこった。それをお前は本当になんなんだ?いい加減にしろよマジで一発殴るぞテメ」

叫ぶでもなく噛み締めるように吐き出された長台詞は殺気さえ感じさせる強く激しいもの。
分からなければ殺す、とでも言いそうな矛盾に満ちた恫喝である。

「倒れたりしたら一ヶ月は療養させるからな」
「いやさすがにそれは長い」
「ああ?!」

懲りずに反論してしまい、更に城之内の神経を逆撫でたところで海馬は大きく溜息をつく。

「……分かった。こちらの非を認める」

完全なるサレンダーだった。


「じゃあちゃんとメシ食って風呂入って寝ろ。明日即復帰したら殴る」

ひょいと身体を起こした城之内は先程の剣幕はどこへやら、飄々とした様子で片手を振った。
どこか物騒な付け加えも忘れないのがご愛嬌か。
背を向け立ち上がろうとするのを手首を掴んで引き止められる。

「貴様はどこに行く」
「帰るんだよ、お前のアホな行動のおかげで今日のバイト代わってもらうハメになったし疲れたし寝るわ」

振り向きもせずさくさく答える城之内に海馬は不平を漏らす。

「何故ここにいない」
「なんでいる必要あんだよ」

畳み掛ける。

「精神的療養もさせろ」
「うぜぇ」
「貴様が足りない」
「お前本気でうぜぇ」

手首にかけた力を強める、尚も振り払おうとする相手を呼んだ。

「城之内」
「知るか」

問答は無用とばかりに海馬が城之内を引き寄せる、乱暴なその力にさしたる抵抗もなく腕の中に温もりが落ちた。
不機嫌なオーラもなんのその、しっかりと抱きしめるとリラックスしたように息をつく。

「確かに、疲れていたのかもしれんな」
「気付いてもらって何よりだよ」

投げやりに放った言葉は嫌味の意味をなさず、腕の力がいささか強く城之内を拘束する。
後ろから抱き込まれて床の上、なんともあほらしい状況が完成。
お人よしの功労者は大きく息をついて、人騒がせな横着者の顔を後ろ手でぺしりと叩いてやった。

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